心理学ガール #28
金字塔
僕は心理学部の大学4年生。ここは学生会館2階のいつもの席。今日も僕はハルちゃんと催眠について話をしている。
ハル「先輩、先輩。以前、教えてもらった催眠の本、バーバーの『催眠』を読みました。古い本ですけど、面白かったです。先輩のいうとおり、催眠に関わる人は必読ですね」
僕「おお、よく手に入れられたね。概要とか結論部分しか話に出てこない本だから、読んだことのある催眠愛好家は少ないかもしれないね。この本の素晴らしいところは、催眠について、いわゆる方法論的行動主義に則って、催眠の要素を明確にした上で、それらを統制して実験した結果で論じているところだよね。もちろん、その実験方法に批判できる部分はあるけど、催眠について、ある一定の結果を実験で示した功績は大きいと思う」
ハル「催眠愛好家の人が説明する催眠って、やっぱり反証不可能な理論が多いし、学問的ではないってのがよくわかりました。催眠のメカニズムみたいなのはまだわかりませんが、催眠状態理論が否定できるということはこの本を読んで理解できた気がします」
僕「そうだね。心理学は、催眠の真のメカニズムみたいなことを研究しているのではなくて、催眠という現象を予測・制御するための、現時点において確からしい記述の仕方を研究しているといっていいかもしれないね。前回例として出した催眠念力理論と、以前に話した催眠予期理論は、完全に立証された訳ではないという意味ではどちらも仮説ではある。だけど、現時点での学問的な文脈においては後者の方が確からしいってことだね」
ハル「巷にあふれる催眠理論は、仮説段階で反証不可能だったり、概念として定義されていなかったりする理論が多いなという印象です。仮説にすらなっていないというか……」
僕「おっ、今日はちょっと厳しいね。なんでもうまく説明できる理論は、実のところ何も説明できないんだよね。検証に耐え得る理論というか、条件をコントロールできなければだめなんだ。ところで、本の中で一番おもしろかったのは、どんなところだった?」
ハル「そうですね。“催眠されますよ”と教示された群と、“催眠されません”と教示された群とで比較する実験ですかね。もちろん、催眠されると教示されると、催眠反応は促進されるんですけど、同じ手法で催眠反応を起こそうとしたとき、催眠されるというだけで効果が促進されるのは、薬の話に似ているなあと」
僕「そうだね。バーバーは、催眠という言葉が言外に含んでいるものに影響を受けているかもとも論じてもいるね。催眠というだけで、被催眠者は、ある種の協力や異常な反応を起こすよ期待を掛けられていると理解するかもしれないということは、催眠を実践する上では面白い知見かもしれないね」
ハル「あとは、暗示をするときの声の調子で反応に差が出るというのも面白かったです。催眠愛好家の人からは、催眠をするときは自信を持った口調が大事だといわれていて、それが実験結果として証明されたと思いました」
僕「強い口調というのが、暗に、催眠反応が成功することを望み期待するという意味を含んでいて、その効果だろうという分析も良いよね。なんとなく自信を持っていえばいいということではないところが。効果がある理由が明らかになれば応用も効く。例えば、変な催眠口調じゃなくても催眠反応の成功を望んで期待することが伝わればいいのだから、別の話し方を考えられるよね」
ハル「そうですね。何となく感じていたことが裏付けられたり、逆に、何となく思っていたことが否定されたりと、いずれにしても勉強になる内容でした」
僕「バーバーの実験に対する批判としては、被験者数が少ないというものがあったりもするけど、数が少ないから確かではないという訳でもないからね。グループ間で明確な違いがあるものなら、サンプル数が少なくても問題はないからね。例えば、男女の筋肉量とかを統計的に確かめるのに数はいらないよね。いずれにせよ、実験の条件は記述されている訳だから、再現実験をやったりすれば、より明らかになるし、追試をして否定されるなら、それはそれで新たな知見だしね。学問ってのはそうやって洗練されていくんだと思う」
ハル「学問っておもしろいなって思いました。今日もありがとうございました」
ハルちゃんは出口に駆けていった。