心理学ガール #31

レディオアノット

 僕は心理学部の大学4年生。ここは大学本部棟の心理学研究室。サキナさんと話をする。

僕「ここ10年くらいは、インターネットが広まって、催眠に関する心理学的な情報も比較的入手しやすくなったと思うんですけど、巷にあるのは相変わらず俗っぽい催眠理論ばかりなんですよね。なぜ学問的な情報が広まらないんでし
よう」

サキナ「それは、心理学の基本的な考えが理解できない、俗っぽい催眠理論を捨てられないのどちらかかもしれないな。心理学的な考え方は、例えば、数学とか物理とかとは少し違うし、理解するにはそれなりに時間が必要だと思う。しかし、多くの人は、そうは思っていないから自身の学問的素養で理解できていると思っていて、いわゆる俗っぽい理論が心理学的ではないと気づけなく、それらを並列に考えているかもしれない。他には、なんとなく理解していて、例えば“催眠状態はない”という結果を理解できたとしても、自身が今まで催眠状態があるといっていたのを急に否定することは難しいだろうし、催眠状態を前提とした理論で上手くいっているのを変えられないかもしれない。加えていえば、催眠状態がないとして、それに代わるわかりやすい催眠理論がなければ変えられないかもしれない」

僕「僕らは学問として催眠を扱っているから、もし今自分が主張している理論が学問的に否定されても、特に困ることはないですが、学問としてではなく商売としてだったり、コミュニティの中での居場所を得るために催眠を扱っている人にとっては、実は今までの説明は間違っていましたと認めることは難しいかもしれないですね」

サキナ「そうだね。それに催眠に限らず、世の中には学問的なものを否定するための言い訳がはびこってるからね。例えば、『科学は絶対ではない。すべては仮説でいろんな立場がありどれもが正解である』という間違った相対主義的な言動や、『理屈じゃなくて結果が大事である』という結果第一主義的な言動や、『楽しければなんでもいい』という快楽主義的な言動などがある。学問的なものは、それらと対立するものではなく、別の元の話だと思うけど、そういう言い訳を手に入れた人は、なかなか受け入れることが難しいだろうなと思う。これは催眠に限らずそう。基本的に皆、自身が論理的であると思っているし、最近は負けない議論をするのが正しいという価値観を持っている人も増えてきている感じがするからね」

僕「僕も専門じゃないこととか、知らないことについては謙虚にならなきゃと思います。それと、精神分析学における防衛機制の合理化や犯罪心理学における中和の理論を思い出しました」

サキナ「世間的なイメージだと、研究者って頭が固いとか思われている気がするけど、実際のところ逆で、学問的な実践をしている人ほど自身の態度を変容することに抵抗がない人が多いとと思う。あとは、催眠という現象そのものが、『予言の自己成就』に類似しているところがある思う。まったく根拠がない催眠の理論や技法だとしても、催眠のコミュニティで、これは〇〇といった理由で効果があるといわれて広まれば、効果が表れてしまう。ある意味、催眠というのは、そのコミュニティ内で構築された現実であるといえなくもない。そうすると、催眠のコミュニティは学問的なものは必要としていない」

僕「面白い視点ですね。催眠自体の学問的理論とは別に、催眠コミュニティ内で催眠がどう構築されるかというのは、社会心理学や社会学的視点で検討する意味があると思います。とりあえず、広まらない理由はなんとなくわかってきました。ありがとうございました」

 僕はサキナさんと別れて学生会館へ向かった。