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コロナ陽性だった話。

1ヶ月ほど前の話。
2022年1月、オミクロン株の感染が爆発的に増え始め、ニュースが読み上げる感染者数が桁外れの数字になった頃、
僕は自宅で10日間+αほど隔離されていた。
つまり、僕もその数字のうちの1人、コロナに罹ったのだ。

現在は、後遺症らしきものが残りつつも、基本的には元の日常に復帰できたので、一つの体験談として振り返ってみようと思う。

(※自分が体験し、見聞きしたことを書いているが、自分には専門知識があるわけではないので、新型コロナウイルスに関する情報は公的機関が発表しているものを参考にしてほしい。)

最初の兆候は、喉。
ほんの少し喉がイガイガしはじめて、
給湯器が壊れた話」でテンションおかしくなって着衣のまま風呂に飛び込んだ直後だったこともあり、あれが原因で風邪をひいたんじゃないかという、あまりにも虚しすぎる可能性に胸を痛めていたのだが、事はもっと重大だった。

最初は、本当に「普通の風邪ひいた?」といった感じ。
喉の軽い痛み、37.5℃以下くらいの微熱。
正直、いつもの自分だったら薬飲んで寝て、そのまま生活再開しそうなレベルの症状だった。
ただ、ちょうどそのタイミングで、数日前に会った知人からオミクロン陽性だったという旨の連絡があり、「あぁ、これヤバイかも」とスパイダーセンス察知。
ネットでオミクロンの初期症状を検索すると、「なんでそんなに当たるんですかー!?」とゲッターズ飯田氏を前にした読者モデルみたいな反応になる。

これ、オミクロンだ…。

で、PCR検査を受けようとしたんだけど、(1月の段階では)病院がまったくどこも受け付けてくれない。
PCR検査を行っている近所の病院に10軒ほど電話するも、「夜までいっぱいなので、明日また連絡ください」と断られる。
結局、検査の予約ができたのは3日後(発症4日目)で、そこまでは自己判断で自主隔離となった。

発症1日目の夜から、熱がグンと上がり、「ただの風邪かも」と思っていた男苦しむ。
そこからの40時間ほどは、きつかった。
熱は38.5℃以上39℃あたりまで上がり、鈍い頭痛と、体温調節がうまくいってない感じの苦しさ、節々の痛みで朦朧として寝たきり。
布団から出ると物凄く寒くて、全身がガクガクで立っていられない、バグったプレステのポリゴンみたいにガクガクしながら壁に手をついて移動するしかない。
だが、布団に入ると、今度は寝汗が滝のように出て、あっという間にビショビショになる。
やはり体温調節のステータスが狂ってしまっているようだ。
食欲はまったく無いので、買いためたウイダーinゼリーとポカリスエットを摂取して生きる。

幸い、発熱の最中に咳と味覚障害(オミクロンは味覚障害が出にくいという話だが)は無かったので、自分はかなり軽症の方だったと思う。
オミクロンは軽症の割合が多いとは言え、重症の方もたくさんいるわけで安易に参考にはならないと思うが、個人的な体感としては重めのインフルエンザで寝込んだ時に近かった。ちゃんときつかった。

発症3日目に、熱が下がり始めて、少し楽になる。
鈍い頭痛が少し残っているのと、ここから今度は喉がめちゃくちゃ痛くなった。
「発熱→喉痛くなる→咳が出る」
と、常に観客を飽きさせないようにエンタメ教育を施されたNetflixのドラマのように、次から次へと時間差で違う症状が襲ってきた。

発症4日目、やっと病院で検査を受けることが出来た。
徒歩で20分ほどの病院に検査を受けに行く。
コロナの疑いがある患者は裏口から入り、アクリルで隔離された真っ白な小部屋に通されるシステム。

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受付や会計は、小さな小窓から行う。
アクリルの向こうに現れた医師さん曰く、PCR検査はパンク状態なので、検査結果が届くのに2〜3日かかると言う。
すでに発症から4日近く経っていて、もう熱も下がりはじめているので、さらに3日後に「コロナです!」と言われても…となり、まずはその場で結果がわかる抗原検査からやってもらうことに。
すると、瞬殺で陽性判定が出た。

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「はい、もう出てるんでコロナ確定です。保健所に連絡します。

ただ、保健所もう機能してませんけどね(笑)

というわけで、薬をもらって、もう機能していないらしい保健所からの連絡を待つことに。
オミクロンの潜伏期間は3日ほどということなので、陽性が出た知人と会ってからの日数でちょうど一致する。
その日からの数日の間に会った人たちに、陽性だったと連絡する。
どういう態度で連絡したら良いのか悩ましく、ネットで見つけた陽気な黒人さんたちがカラフルな衣装で「コロナ陽性でした」と代弁してくれる動画を送る。
この期間で、自分が一緒に食事を摂ったりで「マスクを外して長時間接触」した人は2人いた。(ちなみに2人とも検査の結果、陰性だった)

すでに発熱が快方に向かっていることから、発症から数えて10日目まで自宅療養となった。
軽症であれば、7日ほどでウイルスの排出が無くなるという。
保健所からは、ショートメールでURLが送られてきて、そこに体温や症状など返信する。電話などはかかってこなかった。
一回だけ、市の支援センターみたいなところから電話がかかってきた。
食料の支援を全員にする余裕は無いので、食糧支援は希望者だけだと言う。希望するか聞かれたので、お断りした。発症1日目とかだったら、お願いしていたかもしれないが、今となってはもっと困ってる人はたくさんいるだろう。

熱が下がりはじめてからも、喉の強い痛みと、微妙な倦怠感(実際には熱は下がっているのだが、ちょっと微熱があるような感じがつづく)で、ある程度調子が戻るまでに1週間以上はかかった。

おおよそ5日ほどで平熱に戻り、7日ほどで喉の痛みもだいぶ引いて、
発症から10日で抗原検査も陰性、無事復帰となった。
ちょうどイベントが密集していた1月末〜2月には回復しており、特にイベント類を休むことはなかったのは奇跡的だった。

ただ、(これがコロナ特有の後遺症なのかはわからないが)ゼーゼー言う感じの咳だけは1ヶ月経った今も止まらない。
静かにしていると出ないのだが、少し運動したり、喋ったり、夜になると咳が出始める。
イベントやラジオで喋る機会が多いので、咳止めをもらって飲んでいるが、あまり効果は感じられない。
自分は、もともと喘息の気があって咳だけが長引いてしまうことが多いのだが、こういう病後の長引く咳は「感冒後咳嗽」と言うらしく、コロナ特有のものでは無いとも言われている。
だが、あらゆる不調に「もしかしてコロナの後遺症なのでは…?」という「後遺症の不安」がつきまとうというのが、軽症とは言っても未知の病の楽観視できない部分だ。
そして、もしかしたらこの不安は一生消えないかもしれないということでもある。
どちらにせよ、付き合っていかねばならない。今は、人間の知恵がこの災禍を克服できることと、できるだけ多くの人の命や生活が守られることを願いたい。

ただ、
まぁ暗くなっていても仕方ない。
無事復帰することができ、
外に出れる喜び、好きなものを食べれる喜び、
そして物を作り、ライブできる喜びを噛み締めている。

そう、どうせなら運命に負けず、楽しく行こう。

もういっそコロナからの帰還を盛大に祝いたいくらいだが、ご時世的にもそんなことしてくれる人がいるわけもなく……




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えっ。


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いたーーーーー!!!!海の向こうに!!!


というわけで、海の向こうのから陽気にメッセージを送ってくれるというサービスで、自分だけの復帰祝いをお願いさせていただいた(有料)。
これくらい陽気なことがないと、この記事も明るく終われないからな!


ありがとう!!!

おれに幸あれ!!!!

きみに幸あれ!!!!

すべての人に健康あれ!!!!!!!

世界にエネルギーあれ!!!!!!!


サポートいただいたら、美味しいもの食べたりして、それで培った元気とやる気で、また面白いものをお届けします。