エミューの住む家に行ったら、1歳児は茄子に怯えた
エミューという鳥がいる。体高2メートル近くにまで育つ巨大な鳥だ。そしてそのエミューと一軒家で二人暮らししている人がいる。「砂漠」さんという方だ。
もともと都心で人間の限界に挑むほどの長時間労働をしていたが、いまは田舎に移り住み、仕事をしながらエミューの「エミューちゃん」と生活。その様子を「エミューちゃんと二人暮らし」というYoutubeチャンネルにアップしている。
元々、砂漠さんとは旅好きのつながりで知り合った。とんでもなく面白い旅行記を書く人がいるぞ…という噂を聞き、読んでみたら確かにとんでもなかった。
その後何度かやりとりをし、2021年には僕の旅行記の刊行記念イベントにも出演してもらった。砂漠さんは顔出しNG(ネット上ではいつもボカシが入っている)ということで、ボカシの代わりにアラブの伝統衣装アバヤで全身を包み、あとヤギを引き連れて都心のど真ん中に颯爽と現れた。ヤギは路上に生えた草をむしゃむしゃと頬張り、文字通り道草を食いながら渋谷を闊歩していた。
イベントの事前打ち合わせの最中、砂漠さんがいきなり「いま、エミューの卵を孵化させてるんですよね〜」と言った。当時僕はエミューのことを知らなかったので、文鳥サイズの鳥かと思って、「いいですねえ、僕も飼ってみたい」とか相槌を打っていた。そうしてあとで検索してたまげた。飼えなさすぎる。でも、砂漠さんならやるんだろうな、とも思った。
砂漠さんがTwitterにあげたエミューの卵は、青黒い楕円がとても神秘的だった。蛍光灯を反射する光沢は、宇宙を閉じ込めたみたいに見えた。
そしてイベント本番の数日前に、エミューちゃんが生まれた。Zoomを通じて、小さな雛のエミューちゃんが、ピィーピィーと口笛のように鳴いているのが聞こえてきた。僕もその数ヶ月前に子どもが生まれていたから、「同じ時期に親になりましたね…」みたいな話をした記憶がある。
その後、何度か砂漠さんの家に遊びに行こうと試みたのだけど、感染症が拡大したり、まだ僕の子どもが小さかったこともあって、なかなか実現しないまま一年が経ってしまった。
子を連れて、エミューちゃんに会いにいく
そうして8月上旬。ようやくエミューちゃんに会いに行く機会が訪れた。みんなで遊びに来てください!というお誘いに甘え、1歳の子どもと奥さんと、一家総出で砂漠家に向かった。田んぼ道を通り抜け、一軒家の門をくぐると、そこにエミューちゃんがいた。
でかい。
引いてもでかい。
180cmあるという。理想の身長だ。これがあの、ピィーピィー鳴いていたエミューちゃんなのか。自分の子どもと過ごしながら、赤ちゃんってすぐ大きくなるよなあ…とか思ってたけど、比べものにならない。凄まじい成長速度である。
ただ、その大きさに反して、不思議と怖いという感じはしなかった。というかめっちゃかわいかった。特に瞳が真っ黒でどこまでも深く、なんだか吸い込まれそうだった。宇宙みたいなあの卵の殻を、そのまま瞳が受け継いでいるように思えた。
さて、今回の訪問目的の一つは、子どもをエミューちゃんに会わせることだった。同時期に生まれた同じ「1歳児」として、子がどんな反応をするのかを楽しみにしていた。
子としても、こんなに大きな生き物を間近でみるのは、初めてである。動物といえば家で飼っているウサギか道端で散歩している犬や猫、もしくは動物園で檻越しに遠くから眺めたことがあるだけ。
たぶん泣くだろうな…と予想して、泣いたとき用のパトカーと救急車のミニカー、そして大泣きしたとき用のポイントカードの束(ポイントカードがめちゃくちゃ好きだから)を用意し、万全を期してエミューちゃんとの対面に臨んだ。
しかし初めてエミューちゃんを目にした子は、意外なほどに大人しかった。緊張はしているようだが、怖がる様子はなく、不思議そうにじっとエミューちゃんを眺めている。人見知りが激しいうちの子だが、巨鳥見知りはしないようだ。どちらかというとエミューちゃんの方が子どものことを警戒して、なんとなく目をそらしていた。
それからおもちゃで遊んだり、部屋を走り回ったりしているうちに、双方の緊張は解けていった。特にどちらもプラレールに興味津々で、エミューちゃんは黒くて深い瞳に、子どもはくりくりした丸っこい瞳に、共に好奇心の光をピカリと走らせながら、動く車両を叩いたりつついたりしていた。橋を渡る車両をエミューちゃんがつつく様子は、恐竜映画のジオラマを撮影しているみたいだった。
お昼ご飯を食べたり、プールで水遊びをしたり、合計2時間くらい滞在させてもらったけど、結局、最後まで子どもがエミューちゃんに泣くことはなかった。それどころか子どもは進んでエミューちゃんの羽を撫でてみたり(僕も撫でさせてもらったが、ファサファサでとても心地よかった)、エミューちゃんが遠ざかると「コッチ、コッチ」と呼び寄せようとしたり、なんだか仲良くなったみたいだ。エミューの本能としても、怖がらない人間は「強き者」として認識し、追いかけたりしないらしい。子は人生で初めて強き者として認められ、まんざらでもなさそうにポイントカードを咥えていた。
その光景を見て、うちの子もなかなか強くなったねえ、と僕と奥さんは感心していたのだが、しかしそんな子どもは、帰る間際に、はじめて大粒の涙を見せた。エミューちゃんに怯えたのではない。砂漠さんが畑で栽培している、茄子に怯えたのだ。鮮やかな紫色が、怖かったのだろうか。
エミューに泣かず、茄子に泣く。いつだって予想がつかない子の行動に僕らはまた感心しながら、砂漠家への訪問は終わった。
◇
さて、砂漠さんと話している中で、印象に残った場面がある。大人はコーヒーを飲みながら、子は葡萄ジュースをこぼしながら昨年の旅イベントについて振り返っていたとき、砂漠さんが「海外旅行は、今はあんまりいいかな〜って思ってるんですよね」というようなことを言ったのだ。ウイグルとかイエメンとか北朝鮮とか、仕事の合間を縫ってそんな場所ばっかり行っていた彼女が、である。
もちろんエミューちゃんを一人にできないとか、ご時世柄とか、ほかにも全然違う理由があるのかもしれない。でもちょうど最近、僕も同じことを考えていたから、少しハッとした。子が生まれてからというもの、海外旅行に行きたいとは、そんなに思わなくなったのだ。いやまあ思うのは思うけど、以前みたいに、四半期に一度は海外に行かないと狂ってしまう、というような危機感が、最近は全然なくなった。それは子どもといると、海外…とまではいかなくても、少なくとも「旅」に近い感覚を得られることがあるからだ。
例えば子どもは、近所の公園に出かけるだけで、こんなに楽しい場所が世の中にあったの!?と目を輝かせる。大喜びで芝生を駆け回る。幼児用の滑り台を何度も滑る。まだ乗れないブランコを羨望の眼差しで眺める。水飲み場の蛇口を見つけたら、全身びしょびしょになるまで頭から浴びる。
そしてそんな子どもと一緒に公園内をついて回ると、なんだか僕まで同じような気持ちになってくるのだ。子どもが喜ぶ様子が嬉しいのか、はたまた子どものときめきが乗り移ったのか、34歳なのに「あ!水飲み場じゃん!!」と興奮してしまう。近所の公園に行って帰ってきただけで、旅行から戻ってきた時のような、安心感を覚えることもある。
知らない国に行くと、普段は重たく閉じられた自分の「好奇心の眼」がカッと開く。子どもと過ごす日々には、似たような感覚があると思う。今はイランや南極に行かなくても、子どもの「旅」を追体験することが楽しい。
◇
そういえば以前、砂漠さんが生まれたてのエミューちゃんについて、こんなことを話していた。エミューちゃんは、水をとても美味そうにガブガブと飲む。でも、次の日にはそのことを忘れているという。だから水を飲むたびに、まるで「こんな美味しいものが世の中にあったの!?」と驚くみたいに水をガブ飲みするのだそうだ。
知らないから、得られる喜びがある。
うちの1歳児にも、世の中の知識もなければ、まだ記憶もほとんど残らない。だからこそ公園に行くたびに大はしゃぎするし、プラレールに目を輝かせる。和室に座る180cmの巨鳥を受け入れながら、畑に生える茄子に怯える。何も知らない子どもにとっては、エミューも茄子も、公平に同じ新鮮さなのだ。そんな目で世界を見れたら、どんなに楽しいだろうか。そして子どもであれ動物であれ、なにかを「育てる」ということは、その楽しさをすこしお裾分けしてもらうことなのかもしれない。
保育園からの、いつもの帰り道。マンホールを見つけた子どもは、目を輝かせながら走り寄っていく。その真剣で恐れのない、どこまでもまっすぐな好奇心の目を、きっと30年前の僕も持っていたはずだ。面白い小説を読むと、記憶を消してもう一度読んでみたいと思ったりするけど、最近の僕はそんな贅沢を味合わっている。大袈裟に言えば、もう一度、世界を旅し直している。
砂漠さんはどうだろうか。え、全然そんなことないですけど…と言われるかもしれない。でもYoutubeでエミューちゃんと並んでご飯を食べ、踊り、森を歩く砂漠さんを見ていると、彼女もまた二人の「1歳児」と同じように、瞳にピカリと好奇心の光を宿しているのでは….と思えてくる。顔出しNGの、ボカシの向こう側で。
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今回の訪問の様子が「エミューちゃんと二人暮らし」にあがっています。最高。ぜひ見てみてください。
それからこれは僕の宣伝ですが、『1歳の君とバナナへ』という本が小学館より発売開始しました。1歳児との「旅」の日々を描いた本です。こちらもよければ、読んでもらえたら嬉しいです。
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