人間の学習と生成AIの学習の違い ~ジャービスの学習過程モデルを基に~


1.ジャービスの学習過程モデル

まず、成人学習者の認識変容のメカニズム一欧米の成人教育理論の成果を手がかりに一にて紹介されている、ジャービスの学習過程モデルについて理解していきます。

ジャービスは、ある経験に対して 9タイプの反応があり、それらを非学習 (non-learning)、非反省的学習 (non-reflective learning)、反省的学習 (reflective learning) という 3つの異なるカテゴリーに分類している。

成人学習者の認識変容のメカニズム一欧米の成人教育理論の成果を手がかりに一


上記論文より引用
上記論文より引用

論文では、9つのタイプの反応が、(図4)においてどのような過程を辿るのか説明されています。
ここでは、「技能の学習」「記憶」「黙想」「反省的な技能の学習」「経験学習」の5つに絞って見ていきます。

非反省的学習とは、一つの層 (stratum) の中で起こり、反省を含まない学習である。これには前意識の学習 (pre-conscious learning)、技能
の学習 (skills learning)、記憶 (memorization)の 3つがある。
(略)
技能の学習 (skills learning) は、手仕事の訓練やフィットネス・トレーニングのような限定された学習の形態、アセンブリーラインでの労働のように単純で短い手続きに限定された学習を指し、コミュニケーションによる相互作用よりも、むしろ経験についての行為様式において起こる学習で、技能の学習と知識との間に大きな関係がある。学習者は実演を見て、どのようにある仕事を実行するかを知っていると主張する。 (1→ 3→ 5→ 8→ 6→ 4または9) 記憶 (memorization) は、子どもがかけ算九九や語彙を覚えるような、おそらくもっとも知られた学習の形態である。大人でも賢人の言葉を学び記憶しなければならないことがある。この学習形態は、経験について相互作用的な様式において起こる。また、記憶は過去に成功した行為の結果や、将来の行為のための計画の基礎を形成し貯えられた記憶としても起こる。 (1→ 3→ 6、可能であれば8→ 6, それから 4または 9)
これら 3種の学習は、社会的再生産の過程にあることを示している。学習に際しては、社会およびその構造は不問に付され変わらないままである。こうした学習では、人間がより広い社会へ適応するための学習となる。

技能の学習」は単純な作業などを覚えるような場合です。
「人間」がどのように行うか「経験」し、それを「実践」し、上手くできたか「評価」し、「記憶」します。その後、その人の認識や考えは「変化」することもあれば、変化せず「強化」されることもあります。

記憶」は暗記などです。
「人間」が覚える内容を知る「経験」をし、「記憶」します。可能であればそれについて「評価」し、評価を含めて「記憶」します。その後、その人の認識や考えは「変化」することもあれば、変化せず「強化」されることもあります。

反省的学習においては、個人は振り返り決定をして自らの学習を評価するが、すべての反省的学習が、革命的で批判的であるわけではなく、そのままで刷新的 (innovative) であるわけではないことに留意が必要である。ここには、黙想 (contemplation)、反省的な技能の学習(reflective skills learning)、経験学習 (experiential learning) が位置づく。
黙想というのは、自分の経験について考えるが、より広い社会の現実との関わりなしにある結論に達することを言う。瞑想 (meditation) を伴う宗教的なものや、哲学者や純粋数学者の思考過程もこれに含まれる。そこで、人間は社会の現実と関わりをもつわけではない。 (1→ 3→ 7→ 8→ 6→ 9)
反省的な技術の学習は、例えば、専門職の人が、自立して自らの実践について考えたり、新しい技能を作り出す過程に関わっている。それは、技能を学ぶだけではなく、その実践の根底を流れる知識についても学び、なぜその技能が特殊な様式で遂行されなければならないのかについても学ぶことを意味する。(1→3→ 5→ 7→ 8多くの場合、 5→ 8→ 6→ 9) 経験学習とは、理論が実践の中で試みられる学習の形態であり、その実践の最終的な産物は、社会の現実と十分に関わりのある知識である。そこから社会的な現実をとらえる新たな知識の形態が生み出されてくる。例えば、科学者が常に自らの環境において実験を行い、そこから新たな知識を獲得することと関わっている。 (1→ 3→ 7→ 5→ 8 そして多くの場合7→ 8→ 6→ 9)

黙想」は社会の現実との関わりと関係なく、個人的な経験を基に結論に至る場合です。
「人間」が問題を「経験」し、その意味合いを「推論」し、これまでの認識を「反省」し、そして自分の考えを「評価」します。新たな考えを「記憶」し、自分の認識や考えを「変化」させます。

反省的な技術の学習」は背景や意味を含めて技術を学ぶ場合などです。
「人間」がどのように行うか「経験」し、それを「実践」し、その意味合いを「推論」し、これまでの認識を「反省」し、そしてどのくらいうまくできたか「評価」します。その後、多くの場合PDCAサイクルのように「実践」「評価」「記憶」を行い、自分の認識や考えを「変化」させます。

経験学習」は理論が実践の中で試みられる場合です。
「人間」がこれまでの自分の経験による理論では解決できない問題を「経験」し、どう対応すればうまくいくか「推論」し、これまでの理論を「反省」し、そしてどのくらいうまくいったか「評価」します。その後、問題がよりよい方向に向かうように「推論・反省」「評価」「記憶」を行い、自分の認識や考えを「変化」させます。

まずDeweyが『思考の方法』でいかに反省的思考を考えているのかを検討
する。
(略)
(1)暗示 suggestion
 反省的思考の始まりは、こうしよう・こうすべきだと思う暗示されたアイ
ディアである思惟を行っている行動の中から生まれる。その生まれるきっかけは学習者の内に湧き起る好奇心や驚異、そして困難もしくは困惑を直視し解決しようとする衝動的なものからである。
 尚、何らかの知識を学習者に吸収させようとする「教授」活動では反省的思考は生まれない。なぜなら、教授活動ではたとえ既知の知識と関係づけることがあっても、知性的整理、仮説、推理の局面での思考は行われないからである。教授活動で行われることは、考えられ得るかぎりの性質や関係を単に数え立て、又それらを列挙することであり、思考が進み知見を深めることではない。一方、反省的思考を生み出す環境整備として、好奇心を喚起するための諸条件を確立することが教育者に求められている。何かに取り組むなかでこのような暗示によって突き動かされる衝動が反省的思考のスタート地点である。

Kolbの体験学習のモデルと理論に対するMiettinenの批判の検討
―ラボラトリー・トレーニングの文脈で―

John Dewayは、教授活動では反省的思考は生まれないと説いています。
思考する過程が存在しないためです。
Kurt Lewinのアクションリサーチのモデルでは、どのように到達するのかということが明瞭でない体験を計画的に行った場合に、計画に対する反省として反省的思考が生まれるとされます。
このような場合は、衝動的なきっかけ以外でも反省的思考は起こりそうです。

2.人間の学習 特に模倣について

人間の学習として真っ先に思い浮かぶのが、非反省的学習の「記憶」でしょう。
例えば絵を描くことに関して言えば、人間の骨格を覚えるとか、箱をパースにのせて狂いなく描く方法を覚えるなどです。
では、模倣は「記憶」に該当するのか、見てみましょう。

模写という活動を通して作品と関わる経験は,次の 3 つの理由から,作品についてアクティブに考える活動を誘発し,知識の再構築を促しやすいと考
えられる.
第一に,自らの作品を生み出すという明確なゴールが設定されるため,鑑賞するよりもいっそう時間をかけてその作品について考える状況が生まれる.
第二に,模写とは他者がその作品を生み出した行為を再現する活動といえる.そこでは,単に視覚的に見るだけでなく,身体感覚も使いながら
同じものを描くことで,作者がその作品を生み出したプロセスを追体験する.実際の問題解決を通して効率的な方略に気づくことがあるように (Anzai & Simon, 1979),作品を鑑賞する場合でも,描いてみることでその作品の生成に関わる深い知識が得られることが期待できる.
さらに第三には,人間が行う模倣は単なる行動の再現ではなく,背後にある他者の心的状態 (例えば,意図など) の推測を伴うといわれている(Tomasello, 1999).模写は,他者が描く行為そのものを見るわけではないが,模倣と同様に,背後にある作者の意図の推測を促す働きをもつと思われる.このことは,描かれている具体的特徴をまとめるための枠組み的知識の構築に役立つであろう.

他者作品の模写による描画創造の促進

上記は仮説ですが、「背後にある他者の心的状態 (例えば,意図など) の推測を伴う」という点で、「反省的な技術の学習」に該当するように思われます。
仮にそうだとしたら、具体的にどのような反省的思考が生まれると考えられるでしょうか。

一言で「まねる」といっても,そこには多様な側面が含まれる.制約の緩和と着眼点の影響を通じて新たな描き方の工夫が生じるというプロセスからは,創造のためには模写そのものの是非ではなく,その方法が重要であることが示唆される.実験の結果からは,「既有知識構造と合致しにくい作品」を「模写という関わり方」によって経験することが,自身の創造を促進する条件のポイントであることが伺える.

「制約の緩和と着眼点の影響」が挙げられます。
「制約の緩和」は、自分の固定観念を打ち破るようなものです。「こう描かなければいけない」「こう描くべきだ」という考えが変わるということは、自分の中で「こうしなくてもいいのではないか」という推論・反省が起こったと見れます。教授活動的にこれが正しいのだと教えられたわけではなく、何でもかんでも鵜呑みにするわけでもなく、人それぞれが自問自答によって自分を変化させます。「なぜこうしているのか」まで考えて実践・実験を行えば、「反省的な技術の学習」になると思います。
「着眼点の影響」は、新たなものの見方を得ることです。かつての自分の理論の不十分さを認識し、仮説を立て、自分の認識を変化させます。これはまさに「経験学習」の反省的思考だと言えるでしょう。

こうした反省的思考は確かに存在すると思われ、模倣は「反省的な技術の学習」や「経験学習」といった反省的学習に該当すると思われます。
もちろん、「記憶」を目的に模倣する場合などはこの限りではありません。

石橋・岡田 (2009) は本研究と同様の枠組みで実験を行い,抽象画を模写する場合と,それと同程度長時間に渡って抽象画を鑑賞する場合との比較を行っている.その結果,長時間の鑑賞は模写と同様に創造を促すことが示され,作品をまねて描くという行為は少なくともこのレベルの創造には必ずしも必要でなく,むしろ時間をかけて作品と関わる経験が創造に効果をもたらすと主張している.

「制約の緩和と着眼点の影響」が起こるのは、「模写という行為」よりも、「時間をかけて作品と関わる経験」が大きく関与しているという主張があります。
また、模写の利点として、「作品と時間をかけて楽しみながら関わる経験を可能にする」ことを挙げられています。

また,例えば,ある人が模倣により A という事柄を身に付け,その後,A という事柄は,その人の中にある B という事柄と論理的結合によって結びつき,新たなものが生み出されたとしよう。このようなことが起こるかどうかは,人によって違うであろう。ある人は B という事柄を身に付けておらず,かわりに A という事柄は,その人が身に付けている別の C という事柄と論理的結合を起こすかもしれない。また,ある人は A という事柄と結び付くようなものがなく,論理的結合は起こらないかもしれない。
論理的結合の起こり方は人によって違うのである。同じことが論理的対決についても言える。ここにも個性や多様性が生まれてくる。だから,模倣によって個性や多様性が失われることはあり得ない。模倣によって身に付ける事柄が多くなればなるほど,様々な論理的結合や論理的対決が起こる可能性が高まり,どんどん個性や多様性が発揮されていくことになるのである。

小学校教育における模倣による学習の有効性に関する研究

模倣による個人の変化として、論理的結合や論理的対立が起こることが考えられます。
パクリとは別に「インスパイアされた」という表現がありますが、これは、時間をかけてその作品について考える状況(模倣や観賞)があり、その作品に影響を受けて(推論・反省)、論理的結合や論理的対立が起こり、その人の思想や感情が変化したということだと思います。

3.生成AIの学習

生成AIの学習は機械学習と呼ばれます。

機械学習(マシーンラーニング、ML)とは、人間の学習に相当する仕組みをコンピューター等で実現するものであり、一定の計算方法(アルゴリズム)に基づき、入力されたデータからコンピューターがパターンやルールを発見し、そのパターンやルールを新たなデータに当てはめることで、その新たなデータに関する識別や予測等を可能とする手法である。
(略)
学習とは、入力されたデータを分析することにより、コンピューターが識別等を行うためのパターンを確立するプロセスである。

総務省|令和元年版 情報通信白書|AIに関する基本的な仕組み

学習の目的はデータのパターン化です。
AIはパターンを知らない状態からパターンを知っていくわけで、ジャービスの学習過程モデルでいうと、最終的に9(変化し経験豊かに)に行き着くと思われます。
この変化である論理的結合や論理的対立が反省的思考によって行われているかどうかを見ていきます。

このデータに対して,温度計の異常や不具合による温度の異常(外れ値)を検出したい場合,どのようにこの外れ値を定義して検出すれば良いでしょうか.一つの方法として,値の頻度に着目する方法があります.

1. 機械学習に必要な数学の基礎 — メディカルAI専門コース オンライン講義資料 documentation

論理的対立、すなわちこれまでの理論と異なるデータが存在した場合、頻度によって判断される場合があるようです。
高頻度の理論が残り、低頻度の理論が排除されます。
これは単に確率を計算しており、「教授活動で行われることは、考えられ得るかぎりの性質や関係を単に数え立て、又それらを列挙することであり、思考が進み知見を深めることではない。」という話を鑑みるに、反省的思考は行われていないと思います。

ニューラルネットワークは,基本的に 微分可能な関数のみを層間をつなぐ関数として用いて 設計されるため,登場する関数はすべて微分可能であり,学習データセットを用いて勾配降下法によってパラメータを最適化する方法が適用可能なのです.

3. ニューラルネットワークの基礎 — メディカルAI専門コース オンライン講義資料 documentation

AIの論理的結合は、微分可能になるように行われます。
断続的にならないで連続するように、計算します。
背景や意味を考えているわけではないので、理解を深めるための反省的思考はしていないと捉えられますが、
「どうすれば目的に応じた関数になるか」を自問自答していると考えれば、「社会の現実との関わりなしにある結論に達」する反省的学習の「黙想」だと捉えられます。
1「AI」が、3学習データを取り込む「経験」をし、7アルゴリズムに従ってパターンを「推論」し、6「記憶」し、9パラメータを「変化」させます。5出来上がったAIモデルを人間が「試し」、8合格点に達しているか「評価」します。
しかし、AI自身は目的意識を持っているわけではなく命令に従っているだけであり、概念を理解しているのではなく要素を分析・分類しているだけです。
学習データの量に応じてパラメータを変化させる様子を、例えば「問1.点(a,b)と点(c,d)を通るような関数を求めなさい」という問題について、問2.、問3.…で条件となる点がどんどん追加されていくというふうなものだと考えると、問題の内容が変化しているだけとも捉えられます。
どういうことかというと、問1の答えはy=f(x)、問2の答えはy=g(x)、…と解きすすめたとして、その答えが変化しているのは前提が異なる問題をそれぞれ解いているからであって、考えが変わったからではなく、反省したからでもなく、どれかの答えが間違っていたわけでもないという考えです。
この解釈の場合、機械的に導かれた内容に対し、非反省的学習の「記憶」をしていると捉えられます。

GANと呼ばれる手法は、理論が実践の中で試みられる学習の形態とも捉えられ、経験学習といえるかもしれません。

GANの仕組みは、「Generator」と「Discriminator」の2つの要素で構成されています。Generatorは入力データの偽物を作り出し、Discriminatorはその偽物を見破るウソ発見器の役割を担います。この流れを繰り返すことで、生成データを入力データに近づけることができます。

GAN(敵対的生成ネットワーク)とは?基礎知識やメリットデメリット・活用例を解説|EAGLYS株式会社

手法が色々あるため、他にも反省的学習があるかもしれません。
しかし、データやタグの表面に現れない意思や思考などを読み解くことはできないと思われます。

またコルトハーヘンは、行動の根底、つまり表面には表れない意思や思考、感情、要望に着目しています。ALACTモデルでは、ギブスのように「感情」のステップ等の明示化はしていませんが、行動の根底にあるものを内省により掘り下げていくことを重要視しています。

【経験学習ってなんだ?】看護師必見「コルブやギブスなど複数の理論を基に解説するよ」 - 教えてカメさん | 看護師向け情報メディア

4.双方の違い

・機械学習では、「表面に表れない意味」を考えた反省的思考が行われない。
 これは、「黙想」や「経験学習」が行われうるとしても、「反省的な技術の学習」は行われないことを示唆している。
 AIは外れ値を頻度で判断することがある。

・人間の変化の有無
 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」である。
 人間が時間をかけて作品と関わる経験により学習した場合は、その人間は自身の無意識の規制を緩和したり、新たな着眼点を得たり、論理的結合や論理的対立が起こったりする。すなわち、模倣前と模倣前で思想や感情が変化しうる。
 それに対して、時間をかけて作品と関わることなくAIに学習させた場合は、学習させた人間の無意識の規制は緩和されず、新たな着眼点は得ず、論理的結合や論理的対立は起こらない。AIの出力物とその人の思想や感情との隔たりが解消されていない。

・主観性の有無

そのうえで、コルプは、経験学習の特質を次のように挙げている。
・学習は結果 (outcome) ではなく、過程(process) としてもっともうまくとらえられる。ブルーナー (I.Bruner) が言うように、教育の目的は、知識を獲得する過程において探究や技能を剌激することであり、知識そのものを記憶することではない。 
(略)
・学習は知識創造の過程である。知識は、社会的知識と個人的知識の間の取り引きの結果である。前者は、デューイが言ったように、先行する人間の文化的経験についての文明化された客観的な蓄積であり、後者は、個人の主観的な人生経験の蓄積である。

成人学習者の認識変容のメカニズム
一欧米の成人教育理論の成果を手がかりに一

AIの学習は社会的知識をパターン化し、結果(再現性)を重視するが、
人間の経験学習は社会的知識と個人的知識の取り引きが行われ、過程(着眼点の変化等)を重視する。
AIは客観的に数学的に分析するのであって、主観的な疑問や思想は持たない。


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