生きるべきか、主体は?

一つの課題を押し進めると
自分が躓いている、より根源的な課題に辿り着ける

『生きるべきか、死すべきか』

『何を主体とすべきか』

この2つだ


「生きるべき」と言いたい
言うべきだと思う
でも、一方で

「これが終わったら、その後は終わりでいいから」

と言う気持ちが浮かんで来なくもない

それは生き物として理想ではないので、是非ともやめたい
死ぬ迄「生きたい」と思って生きたい

ここは無理矢理にでもそうしたい
感情抜きで


主体については

他者主体はやめるべきだと思う

他者主体と思うと却って、結局は最も自分勝手になったりするから

自己犠牲が過ぎる人程、歪みが大きくなり、結果的に人に迷惑を掛けやすい

相手の真意が掴めていない事もあるのに
それに気付かないまま進み続けるという事もある


「世のため、人のため」を本当に願うなら

自分が行動しなければならない

その為には必要不可欠な条件があり

しかしながら
それが整っている人は多くない

志があることは望ましい

でも、出来るかは別

だからまず、自分自身を整える

それには、周囲の人に迷惑を掛けない事から


その為には、健康であることから
心身共に

だからここに中心を置く

健康とは何か

どうすれば、それが叶うのか

現代人に足りていないものは何か

害になっているものは何か


「人を助けたい」と思ったとする

でも、本当に助けるべきなのかはわからない

助けたいと思った人の願望が入ってしまっている

最初は人助けと思っても
いつの前にか、自分が救われる事に重点が変わってしまうこともある
大仕事なのに対価を支払って貰わない場合などはこれに陥りがち

自分に厳しく出来ない人はやるべきではない

人助けは実は非常に危険なものでもある

それでも、それで生きるつもりなら

それ相応の覚悟が必要


個人的感情が入る場合は
絶対、仕事としては無理

先日観た映画
『コーダ あいのうた』の音楽教師

立派だった
ああ言う人でなければ、指導者にはなれない

教師としての感情は込めるけど
個人的な感情は発生させない
この条件は欠かせない


仏教では
「人を愛するな」と教える

大事なのは「慈悲の心」だと

人を助けると言う事を考える時
この考え方はとてもよくわかる


物事が拗れてしまった場合

最終的に最善の策は

一切の関わりを絶つこと

これ以上、確実な方法は無い

最良にして最適

白紙、ゼロ、というのは絶大な力を持っている