見出し画像

それはかつてあった

 文:永井一樹(附属図書館職員)

 四十も半ばに近づくと、自分が死ぬことを考える。祖父母は他界して既に久しい。両親はまだ健在だけれど、いつの間にかすっかり年老いてしまった。やがて両親が去れば、次は自分の番である。三十代までは、自分が半永久的に生きられると思っていた。それがそうではないと最近実感する。だるま落としの積み木みたいに、世代は順番に退場していく。
 私に、祖父母の記憶が遠のくように、私の子孫は私のことなんてすぐに忘れてしまうだろう。それは、ちょっと嫌だなと思う。墓石の側面に彫られた私の名が、子孫たちに流し読みされるのは何だか淋しい。
「<存在した>という状態は、いわば、第三類に属していて、<存在している>とも<存在していない>とも、根本的に異質なことである」と、哲学者のウラジミール・ジャンケレヴィッチは書いている。何か、私が<存在した>という証を子孫たちに残す手立てを今のうちに考えておかねばならない。
 たとえば、最近私が憧れるのが、Wikipediaに人物伝をもつ人々である。百科事典に記事が残れば、自分の<存在した>を客観的に証明することができるからだ。だが、私には他人に紹介できるほどの自分史がない。大学図書館に長年勤めた。その傍ら、一冊の詩集を編み世に問うたが、黙殺された。おおむね、以上。今の私くらいの年齢で死んだ三島由紀夫は、いくらスクロールしても終わらないのに、私のはわずか数行で終わってしまう。それに、Wikipediaでは、自分の人物伝を書くべきではないというルールがあるらしい。誰が好き好んで、私の人生など追うだろう。
 百科事典は諦めて、自分史を自費出版するという方法もある。これなら誰に気兼ねもせず、思いのままに書き連ねることができる。自分が日々何を美しいと思い、何を憎んで暮らしてきたか、その精神史を丁寧に記録していく。字数制限なし。
 だが、いくら死を意識しだしたとはいえ、まだ四十前半の私。いつ死ぬのかわからないけれど、今から書きはじめたら、たぶん相当な長編になるだろう。プルーストの『失われた時を求めて』みたいに文学的価値があれば別の話だが、そうでなければ、身内にとってさえ無用の長物となりかねない。棺桶に入れられて、いっしょに燃やされてしまうかもしれない。それでは本末転倒である。<存在した>を残すのは、意外と難しい。
 あるいは、書き残すというヒロイズムは慎んで、もっと庶民的に直接的に、<存在した>を残す方法もある。それは写真である。
『明るい部屋』で、珠玉の写真論を遺した文学者ロラン・バルトも書いている。写真の本質は、<それはかつてあった>を証明することである、と。絵画や言説は嘘をつくけれど、写真は現実そのものである。それがかつて間違いなくそこに存在したことを、写真は告げる。
 私は、最近父が大切に保管している先祖の写真を見る機会があった。朽ちて、綴じも外れてしまった古いアルバムを繰っていたとき、ふと一枚の写真が私の目に止まった。それは、私が幼い頃まで存在していた家の縁側で撮られた集合写真だった。昭和初期頃の写真で、大人に紛れて写っている5歳くらいの男の子、それが私の祖父だと、父が教えてくれた。そこには、私の曾祖母や高祖父までもが写っていた。私は、それまで墓石に刻まれた名前でしか、その存在を知らなかった人々が、その写真のなかでは肉体を持って笑っているのが不思議だった。そのとき私を襲った悲しみを、どう説明したらいいかわからない。その家を知っているのに、私はこの人々の団らんに決して加わることができないという強い疎外感、孤絶感みたいなものに、私はめまいのような感動を覚えていた。
「消滅してしまった存在の写真は、あたかもある星から遅れてやって来る光のように、私に触れにやって来るのだ。撮影されたものの肉体と私の視線とは、へその緒のようなもので結ばれている。」(バルト)


文献

・『還らぬ時と郷愁』(ウラジミール・ジャンケレヴィッチ著 / 国文社 / 1994年)
・『明るい部屋:写真についての覚書』(ロラン・バルト著 / みすず書房 / 1997年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?