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須田場好七の風景感考 2

話し手:須田場好七氏 / 聞き手:永井一樹(附属図書館職員)


ー 須田場先生を本学にお迎えし、写真ワークショップを開催するわけですが、まずは先生のスタバ写真家としてのご活動について、お聞かせください。

(須田場) スタバのカップが写り込んだ写真って、だいたいインスタ映えしますよね。若い人だったら、きっと一度はそんな写真撮ったことがあると思うんですよ。ただ、本当にどんな風景でも映えるのか、その境目のラインって、誰も追求してないと思うんです。もしかしたら、このカップが負ける時があるかもしれないですよね。背景が凄すぎて、もうカップ入れても全然映えない。そんなシーンがあるかもしれない。その限界値っていったいどこなんだろうということを探究するのがライフワークなんですが、まだ答えは見つからないですね。

- ニッチですねぇ。

(須田場)  例を示しましょう。色んな手法があるんですが、代表的なのは「風景映え」。海を背景に写真を撮ったら映えますよね。当然です。でも、漁港だったらどうでしょう。

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ー ああ確かに。ベネチアみたいですね。

(須田場)  そう見えますよね。これ、神戸市長田区の漁港なんですよ。もうベネチアの地にしか見えませんよね。「卓上映え」というのもあります。「机の上で、今勉強してるよ」っていう写真にスタバのカップ、実に映えますよね。でも、参考書を離婚届に変えても全然映えるんですよ。この朱肉がポイントになっていて、いいなと。

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ー そうですね。赤が、何というか、印象的ですね。

(須田場) そうなんですよね。続いて「メッセージ映え」。続けていいですかね。これ、肉の日という看板なんですけどね。肉の日が列挙されていますよね。何が言いたいかというと、29日は除外なんですよ。肉の日なのに、29日が入っていない。

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ー ああ、これは誤解しますね。

(須田場)そうなんですよ。この看板、うどん屋なんですけれど、この写真がなかったら、「あ、今日は29日か、肉の日だな。肉うどんでも食いに行こう」って車を走らせたかもしれないわけです。

ー なるほど。ところで、私も時々須田場先生のインスタグラムを覗かせて頂いていますが、タリーズ・コーヒーのカップが写ってるときがありますよね。

(須田場) ああ、それは逆説を唱えているパターンですね。背景あるいは持ち手のカップ、どちらかにスタバが入っていれば、スターバックス映えが成立するわけです。背景にスタバを入れた場合は、持ち手もスタバになってしまうと、それは限界値の検証にならないので。

ー じゃあ、スタバの要素が全くない写真というのは、須田場先生は…

(須田場) 撮ったことないですね。この逆説パターンで近いのが、これです。「えっ! スタバって青い限定カップ出たの?」って一瞬思ったでしょ。

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ー いや…思いませんでしたけどね(笑)。―ところで、先生はこれまで学校機関や社会福祉関係の機関などでワークショップの実績がおありですが、反応はいかがでしたか。

(須田場)淡路にある高校の写真部で、ワークショップをしたことがあるんです。ちなみに、言ってなかったですけど、僕、カメラ使えないんですよ。首にぶら下げているけど、使ったことなくて。その写真部の生徒も、1年目はカメラ持ってないんですよ。でも、2年目3年目になると、親に買ってもらったりして、結構いいカメラを持ち出す。僕が生徒たちに伝えたのは、カメラのスペックは問題じゃないということです。構図だったり、撮る者の考えをもっと自由にすることが、いい写真を撮る秘訣だと。だから、僕はもうずっと、こいつ(スマホ)を使っていますね。

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ー 須田場先生としては、ワークショップの参加者にどういう体験をしてもらいたいと思われていますか。

(須田場) みんな、普段目が行きそうな場所しか撮ってないと思うんですよね。たとえば、このカップがなくても、十分映える場所ばかり撮る。でも、僕は普段目が行かない、映えない場所に、このカップを添えてほしいなと思ってるんです。このワークショップの醍醐味はそこなんです。高校の例でいうと、写真部員だから普段から校内の写真いっぱい撮ってるんですが、それとは違うところに、やっぱりみんな行くんですよね。ある生徒は、ちょっと臭そうな靴がいっぱい並んでいる下駄箱にカップを添えてみたりとか。普段撮らないじゃないですか、そんなところ。でも、イベントの趣旨を説明して、コンセプトを伝えたら、目が行かないところに、あえて目を向けるというマインドになっていくのが面白いですよね。

ー そう言われると、映えるの定義って一体何なのだろうっていう深い問いが立ち上がってきますね。私たちの欲望って、ネットやテレビなどメディアの力で方向付けられているという感がありますよね。これが好きとか、これがかっこいいとかいう快・不快の感情すら、もしかしたら内発的なものではないかもしれないという。

(須田場) そうですね。オリジナリティーが若干失われてる時代でもあるのかなと。映える写真を撮るっていうのは、ある意味では確認作業でもあるんですよ。何かで見た、テレビやSNSで知ったものを現地に行って、生で見てみたい、確認したいという、そういう動機から生まれてくるものが多い。で、「来たよ」って写真を撮るわけです。でも、僕が今撮ってる風景って、どこでも紹介されてるわけじゃなくて、自分で見つけた場所なんですよね。それって、オリジナリティーじゃないですかね。確認作業じゃなくて、自分で探求していく、見つけていくっていうのがやっぱり一番面白いなと思うんですよね。

ー 実に深いですね。ちなみに、これ、スタバのコーヒーで例えるとどれくらい深いですかね。

(須田場) エスプレッソ・トリプルくらいかな。(了)

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