【空想観光学-5】空飛ぶクルマの実現に向けて僕らは何を成すべきか
歴代米国大統領の中で国際的に最も知名度の高い人物は誰がといえばJFK。
1961年1月に第35代アメリカ合衆国大統領に就任したジョン・フィッツジェラルド・ケネディは1963年11月22日に暗殺されたので、その在任期間はわずか3年弱でしたが、その存在を後世に残した大きな力は彼が発した名言の数々です。
JFKがその就任演説で語ったこのフレーズには時代や国家の壁を超えて人々の心に響く「コトバのチカラ」があると思いませんか?
そして、彼の魅力はコトバをコトバで終わらせなかったその行動力。
いみじくも
我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならないと語っていたJFKが「空」に思い描いてた夢を考察します。
「我々は月にいく」を有言実行
1961年5月の議会でケネディは人類の月面着陸を目指す「アポロ計画」を発表しました。
今年2023年はライト兄弟の人類初有人動力飛行から120年ですが、その中間点の時代で彼は人類の目的地を宇宙に拡張する挑戦を宣言したのです。
これは翌年に某大学で行った演説の中で語られたフレーズですが、当時はソ連との冷戦時代。
1957年に人類初の人工衛星スプートニクを成功させ「宇宙開発戦争」で遅れをとっていた米国民の士気を高め、巨額の予算を投入して技術力を高め雇用を創出し経済を活性化させる一大計画を打ち出したリーダーシップのメッセージでした。
そして着目すべきはこの計画が10年という期限を定めたプロジェクトであったことです。
アポロ11号の月面着陸成功は1969年7月20日ですから、ケネディは有言実行の人となったわけですが、残念ながらその瞬間に立ち会うことはできませんでした。
というアポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉も歴史に残る名言ですが、その出発点にJFKのビジョナリーな宣言があったのです。
混迷の時代に響くリーダーの言葉
ケネディが大統領になった当時、アメリカは不景気の真っ只中で失業率も高く、莫大な経費を宇宙開発に注ぎ込むなど国民が受け入れるはずがない状況でした。
このような環境下で一国のリーダーが語る言葉は凝縮された国家戦略のようなものです。
悲観的に足元ばかりを見るのではなく楽観的に上空どころかその先の宇宙を見上げる国民マインドを10年にわたって継続させることになったケネディの演説は魔法のように思えます。
その他にもケネディは以下のようなビジョナリーな言葉を残しています。
「空飛ぶクルマ」の世紀を迎えた今、JFKが残したこれらの言葉は色褪せることなく使えるように思えます。
では、我々が目指す先は「月」ではなく、どこなのか?
そこを探究することも「空想観光学」なのです。
1969年の月面着陸というケネディのアポロ計画の成果を、高度成長下の日本は思わぬ形で目の当たりにすることになりました。
1970年の大阪万博会場に「月の石」が展示され、何千何百万もの人々が「未来」を見たのです。
一見、何の変哲もない物言わぬ静かな石は、JFKのビジョナリーワードを極東アジアから世界に向けて増幅させる役割を担いました。
70年の万博テーマは「人類の進歩と調和」でしたが、あれから55年。
2025年に再び大阪で万博が開催されますが、そのテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。
そして「月の石」に変わる未来透視装置として「空飛ぶクルマ」が登場すると考えてみてください。
その実用化に向けては様々な壁が存在しますが、かつてケネディが語ったように「簡単だからではなく困難であるからこそチャレンジする」という精神が必要なのです。
ところで、アメリカ政府は万博開催年の2025年に向けて再び人類を月面に送り込む「アルテミス計画」を進めていますが、その目標は「最初の女性を、次の男性を」月面に着陸させること。
そう、女性が月に立つという夢を人類はまだ達成していなかったのです。
ちなみに、アルテミスはギリシア神話に登場する月の女神の名前ですが、アポロ計画の由来である太陽神アポロンと双子の妹です。
宇宙が舞台の壮大な事業に対して、実にロマンチックなネーミングです。
/HYOGO空飛ぶクルマ研究室 CHIEF 江藤 誠晃
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