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「最もNPBに近い男」アレックス 選手へインタビュー ブレイバーズ通信 2023年5月号


アレックス #45

最速152キロをほこる豪腕投手。アメリカンを父にもつハーフ。出身は兵庫県神戸市北区。1998年3月25日生まれ。尊敬する人はダルビッシュ有選手(パドレス所属)。

近江高校時代は甲子園に出場。ベンチ入りを果たすも出場機会はなし。1学年下には京山将弥選手(横浜DeNAベイスターズ所属)がいる。進学先の天理大学は「合わなかった」ため中退し、アメリカへと乗り込む。カリフォルニア州やケンタッキー州の大学で、野球づけの日々を送った。

大学在学中の2021年3月にはトミージョン手術を決断、卒業後の翌22年4月に完治。同年6月には「兵庫ブレイバーズ」へ入団した。昨季はNPBから6球団のスカウトが視察に訪れたが、ドラフト指名はならず。今季はその雪辱を果たしたい。

選手プロフィール:アレックス


昨季は指名叶わずも「気にしていない」




――昨季はNPB6球団のスカウトが訪れたが指名はならず。そのときの心境は?


正直なところあまり気にしていません。指名の気配もなかったですし。今の僕がプロに入っても全く通用しないな、と感じていた面もあります。悔しい気持ちもありましたが、それでは折れません。

指名されなかった後も、変わらず野球に集中してきました。一日一日、やるべきことに向かって全力投球するだけです。そうすれば、結果は必ずついてくるはずなので。



――昨季を振り返ってみると?


手術明けということもあり、思うようなピッチングができませんでした。とくに制球には苦労しましたね。マウンドに入っても、迷いながら投げていました。今季は自信をもって無心でピッチングをしたいです。そのためには試合前の準備・練習が何よりも大切だと思います。100%の状態で、落ち着きながら試合に臨みたいです。


――今季の調子は?目標は?


かなりいい調子です。円盤投げなど、他のスポーツの知識も取り入れつつ、着実に成長できています。課題だったコントロールにも自信がもてるようになってきました。強い意識をもって、今冬から制球難の克服に励んできたかいがあったと実感しています。

目標は勝つことです。数字の目標はありません。日々の取り組み・練習を継続していけば結果はおのずとついてくるので。


「野球は『気持ち』が一番大切」




――今季からは山川監督が就任した。どう受け止めているか?

山川さんは「元気と根性」の監督。最下位だったブレイバーズが強くなるためには、山川さんの厳しさは必要だと思います。実は僕自身も「気持ち」を大事にするタイプ。精神という土台があってこそ、はじめて技術が活きると考えています。

実は、小中学校の先輩でもあるんです。僕のプレースタイルをすごく尊重してくださり、かなり感謝していますね。元気なだけではなく、周りにも気を配られている監督だなと思います。


――ブレイバーズで尊敬している選手は?


退団しましたが、久保康友さんは別格の存在でした。学ぶことが本当に多かったです。「自らのスタイルは貫いていい」と背中を押してもらったこともあります。同時に「結果は必ず残せよ」とも。

坂本工宜選手も尊敬しています。元プロだからといっておごることはなく、非常に謙虚な方。真剣に考えながら、野球を貪欲にされているなと思います。

マイペースな性格は「短所であり長所」



――アレックスさんはマイペースだと周囲からは言われているが。

そうですね。マイペースは僕の短所であり、長所でもあると思います。周りの反感を買うかもしれない点は短所ですね。マイペースすぎる僕は、たいてい気づいてないけど(笑)。

集中すると野球以外のことには目が向かなくなっちゃうんですよ。でも好きなスポーツに真っすぐ向き合える、という点では長所だと感じていますね。



――ウガンダ出身のKATO選手からは慕われていると聞いた。


仲良くしているだけです(笑)。僕自身もそうだったように、異国の地で野球をすることはものすごく大変。言語の壁もあります。アメリカ留学のおかげで僕は英語が話せる。チームメートとして、KATO選手の手助けが少しでもできればいいです。

KATOにはもっとうまくなって、プロに行ってほしいと心から思います。大人びた選手だけれども、まだまだ16歳。彼がずれてしまわないように、できることは何でもやりたいと思います。

肌に合ったアメリカで急成長



――近江高校時代を振り返って。

しんどかったけど、いい経験ができた時期です。二番手だった僕は、エースの人についていくことに必死でした。当時は141キロぐらいしか出なかったんじゃないかな。京山(現DeNA)とは寮の部屋が同じで、練習終わりはずっと一緒にいました。頭も素材も良く「そりゃプロに行くわ」と思います。


――高校卒業後、アメリカの大学へ行くことを決断した。


監督がすごく面倒を見てくれ、周囲にも溶け込みやすい環境でした。英語は全然しゃべれず、最初の半年はとくに苦労したのを覚えています。

ウエイト中心の練習が肌に合ったのか、渡米2年目には152キロをマーク。大学のスポーツ支援も手厚かったです。その分、結果は残さないとだめですが。ただ競争の激しいシビアな環境は僕にぴったり。ダラダラせず、野球が真剣にできる場所でした。アメリカ行きはとてもいい経験だったと改めて思います。


しんどいがプラスになったトミージョン手術



――大学時代にはトミージョン手術も経験した。


肘の痛みが酷くなり、やるなら今しかないと決断しました。手術後は体に対する意識が高まりましたね。怖いもの知らずの手術前は、体のケアに関しては全然気にしていませんでした。いい変化だと思います。


――リハビリ期間中は、ボールにさわれない日が続いた。


リハビリ中は我慢の期間でした。一日一日を大切にするしかなく、メンタル的にはしんどかったです。ケガ前より良くなってやろうという思いを強く持ち、心を折らないようにしていました。

ポジティブシンキングを心がけ、目の前のことに集中する。ただネガティブになることもありました。「本当に戻ってこれるんやろか」って。そうした辛く、不安な日々を乗りこえて、メンタル・フィジカルともに成長できました。価値のある日々だったと思います。


――そして無事に大学を卒業。帰国を決意し、兵庫ブレイバーズへ入団したのはなぜか?

トミージョンが完治した後も、ゲーム感覚はなかなか戻りませんでした。母国で土台を作り直したいと思い、日本へ帰国しました。

NPB・MLBを目指す上では、プロスカウトが来る独立リーグでプレーすることがベストかな、と。その中で、兵庫ブレイバーズは地元神戸から最も近かったチーム。いきなり日本に帰ってきて、一人で生活するのもしんどいだろうなとは感じていました。そのため、ブレイバーズへの入団を決意するのに、時間はかかりませんでした。

(このインタビューは2月24日に行われました)

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