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思ってたのと違うぞ、恥も外聞もない中年おばちゃんについて

家から駅に向かって歩いていたら、前から男性が歩いてきた。
数ヶ月前、夫に“近所に住んでる元同僚”と紹介してもらった人かな?と思ったので、
「こんにちはー氷河です(多分向こうは私の顔を覚えていないと思ったので名乗りつつ)」と声をかけたら
「えっと…たぶん人違いです」と苦笑いされた。

あ、そうか、背格好やメガネの感じは同じだけど、こんな茶髪の人じゃなかったな、と思い出しつつ、
「あ、そうでしたか、すみません〜」とこちらも愛想笑いしながらすれ違う。

そして、「あ」と気付く。
「今わたし、ちっとも『恥ずかし!』と思ってないぞ」と。

若い頃、こんなあからさまな人違いは「恥ずかしすぎる出来事」以外のなにものでもなかった。
10代の私には「もう、ここから走って逃げ出したい!」レベルの話だ。
今回も、周りにいた人がチラチラこちらを見ていたので、
「あの人やっちまったな」的に見られていたのだろうが、
当の本人である私は、なんと全然恥ずかしくなかったのだ。

「あ〜なるほど」
と変に納得する。
「これが中年期に入ったってことなのかも」
そして、思う。「思ってたのとちょっと違ったな」

若い頃は、関西にいる中年おばさんの大胆な挙動を目にするたびに
「おばちゃんには恥ずかしいっていう感情はないの?恥も外聞もいろいろ捨てすぎ!」
なんて呆れていたのだが、
おばさんが「ちっとも恥ずかしくない」理由は実は、「恥も外聞も捨ててるから」ではなかった。
「積極的にチャレンジして失敗するのは、ちっとも恥ずかしいことじゃないと知ってるから」だったのかも、と。

今回の私は、
「知り合いかも」→「声をかけたら新たな交友が広がって楽しいかも」と声かけにチャレンジしたのだ。
そのチャレンジは失敗に終わったのだが、
そのときに私の胸に広がったのは、すっきりした達成感だったのだ。
「違ったかー。まあいいや、声かけれてよかった」
そしてまた次に、知り合いに似てる人を道で見つけたら、ちゃんと声をかけるであろう。

40代になって、なんだかいろいろすっきりしている。
自分に自信がつき、人間を知り、世間を知り、「本当に恥ずかしいこと」がなにかをはっきり判ったのだ。

わーほんとに楽ちんだ。
そして無敵だ。

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