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英語力ゼロの中年夫婦がオーストリアで靴を買った時の話

「英語ができない」はよく耳にするフレーズだが、私がまだ知らない隠語か何かなのだろうか?
友人や知り合いと交わす数多の会話の中で『じゃぁ英語いけるん?』と尊敬の念を込めて聞くと、たいていは『いやいや、英語はできへんねん』と返ってくる。

外語大学に通っていた人、配偶者が外国人の人、学生時代に英検何級かに合格した人、TOEICの勉強している人、弟の嫁さんなんてワーキングホリデーで海外生活していたにも関わらず同じことを言う。

ちなみに私は英語をほとんど話せない。ただ相手の言っていることの1/4程度は聞き取れる。「うん、うん、うん」と聞くだけ聞いといて、返事は日本語で返すので相手にとっては迷惑な話となっているだろう。
幼い頃に受けた唯一の英語教育、外国の子供が歌う童謡の聞き流しが、私の聞き取り能力の基礎を築いていると思う。
そこから青年期に聞き倒した洋楽一式と学校をサボって見に行った字幕洋画のおかげで耳は若干鍛えられている。(90年代、バイトをサボって見に行った映画の最後にサプライズで監督挨拶があり、リュックベッソンが出てきたことがある。サボりというのも一概に悪いとは言い難い)

肝心な学生時代の英語については散々で、テストがあればいつも30〜50点の間でおさまっていた。そのまま社会人になって勉強もせず、今日に至っているのできっとお察しの通りだろう。


英語の話になると、約10年前、今の夫と海外旅行に出かけた時の事を思い出す。
英語が話せない私達が選んだのは『ドイツ・オーストリア周遊ツアー』。もちろん日本から添乗員さん同行プラン。”日本旅行” のツアーだがこれは非常によかった。


添乗員さんの対応力が非常に高く、移動中に話してくれるドイツのお話も興味深いものばかりだった。約20人の中高年参加者をまとめるのもお手のもので、晩御飯をどこで食べようかとスッタモンダしていると、さらっとおすすめのお店に一緒に連れて行ってもくれた。
用意されていたホテルも良い立地でほぼ全日バスタブ付きのお部屋。ある日宿泊したホテルの前からはライトアップされたノイシュバンシュタイン城を眺めることもできた。

夜は真っ暗
朝は絵本の世界

バスの運転手さんもツアーに参加した人もみな、気さくで良い人ばかりだったので、本当にアタリの旅行だった。




私は今回の道中で長年手が出せなかった高級靴を購入しようと計画をたてていた。ロマンチック街道を巡るツアーだったが、その靴の販売店が唯一出店していたのがこのウィーン。
海賊が履くような側面にベルトがたくさん付いたデザインのブーツで、かのハリウッドセレブもご愛用とか。
当時日本で買おうものなら一足15万円もする代物であったため、(この頃1ユーロ120円程度)ヨーロッパならお手頃価格で購入できるかもと希望を抱いてこの物騒なウィーン中心部までやってきた。

目抜通りから少し入った道沿いにその店はあった。
建物自体が ”ザ・ヨーロッパ” であり、高級感あるエントランスがとにかく入りにくい。店の奥には上客用であろうドレスも多数展示されており、現実離れしたディスプレイが店に入る者を選んでいる。
この雰囲気にさっそく怖気付いたが、ここに辿り着くまでにどれだけの体力と労力、精神力を費やしたことか。

うっかり道に迷ってもその辺の人に聞くなんて到底できないので、入念にGoogleマップでルートを確認し、頭に叩き込んだ。
そして、無数の鋼鉄製ドアが暗い赤絨毯の廊下に整列するソ連のスパイ映画に出てきそうなホテルを出て、ヨーロッパで初めての地下鉄移動に挑戦する。
ウィーンではスリが多いからと口すっぱく注意喚起を受けていたので、よそ者と悟られぬよう終始無言で移動。途中入りやすそうなカフェがあっても、何も飲み食いせずただひたすらにこの店を目指してやってきた。

神経と腹をすり減らしてここまでやって来たのに、ここで引き返すなんてできない。


思い切ってドアを開けて一歩踏み入れる。お客は誰もいない。
これは非常にやりずらい。
ふいに夫の様子が気になり目をやると、不慣れな状況に困惑してか、時代劇に出てくる腹黒い商人みたいに手揉みしながら引きつり笑いを浮かべて店員さんに歩み寄ろうとしているではないか!もともと姿勢が悪いことも相まって、もはやアジアの気の毒な不審者でしかない。軽くたしなめようと手を夫の方に伸ばした時、引きつった笑いを浮かべたボサボサ頭のアジア人女性が鏡に映る。
夫婦は似てくるらしい。


奥にいた何人かの店員さんは蜘蛛の子を散らす様に一斉に消えていき、一人残って私達を対応してくれたのはアジア人女性の店員さん。
中国か韓国系のとても上品で美しく、かなり若く見えたので学生さんかもしれない。
私は用意しておいた靴のスクリーンショットを見せ、”ドゥ ユー ハブ ディス?” と聞いた。(たいていのことはコレで通じる)
サイズは?的なことを聞かれたので39か40と答える。

とりあえず40相当を持ってきてくれたので履いてみた。少し大きい。
エクスキューズミーして39をプリーズする。

しばらくして私の前に現れた39の靴にはつま先部分には大きな傷がついていた。
”とりあえずサイズ確認のため履いてみて” というわけか。
勝手に理解し足を入れてみる。
ちょっとキツイがそのうち伸びてくるだろう。39で良さそうだ。

履きながら、靴に値札がついていなかったのでおそるおそる値段を聞く。
店員さんは箱に貼ってあるシールを指差し…
「455ユーロ」

455ユーロ!掛ける120円したって54,600円!カードの手数料がかかっても、日本で買うより 何倍も何倍もお得である!

あまりの驚きに感極まって
「 ディス シューズ イズ フィフティーンタウザンド USドル イン ジャパン!ベリベリ エクスペンシブ!」と珍しく自分から店員さんに話しかけていた。
(このフレーズはきっと死ぬまで忘れない)
えらく店員さんが驚いたので、計算を間違えたか不安になり、再度頭の中で計算してみる。1ドル100円として15万円なら1500ドル。
私は何度も頷きながら「フィフティーンタウザンド USドル  イン ジャパン」と自信満々に、これは日本では恐れ多い高価な品なのだと伝えた。

(数年後、”フィフティーンタウザンド USドル”は”15000USドル”だと友人に指摘され、1ドル100円でも一足150万円の靴になると知る)

この夢の靴を早速頂戴し、とっととずらかりたいが、どうもこの大きな傷付きの靴を買わされそうな雰囲気が気になる。
それは断じて断りたい、私にとって5万円の靴は超高級品だ。
念の為、傷を指さし別のものに交換して欲しいとジェスチャーを駆使して伝えてみる。
「sorry 〜ナンチャラカンチャラ」
信じられないがこれを売るつもりだ!しかも現品限り?!

この商法に一気にドン引きし、退散しようかと頭をよぎったが、この靴、国に帰れば15万円。履いていればきっと傷もつくだろうし仕方ないさと諦めて、さっさと傷物の購入に承諾する。
有名なブランドであってもこれを商品と言い切れる姿勢はさすがだなと悪い意味で感心し、なんだか全てが安っぽく見えてきた。
つま先の傷を触りながら、まあ、これで最後だなと日本よりは断然安価で手に入るこの夢敗れた靴を、達成感に失望入り混じりで眺め、無力感に浸っていた。
”サイズと箱が違う場合があるので注意” と何かで読んだので、念のためサイズ確認しておこう、靴裏を見てみる。

靴裏がレンガ畳により傷つき汚されている。

誰か一回履いてるぞ…

これはもはや中古の域である。

そんな私を申し訳なさそうな表情で見ていた店員さんがサイズ40の買わない方の靴を箱に直しながら”他も見てみる?”と聞いてくれた。
もうこれ以上私達に買えるものなど何ひとつ無く、ずさんな商品管理を目の当たりにし、興味もないが、恐らく二度と来ない店だ。少し見て回る事にする。

何の用途で着るのか見当もつかないド派手なドレスや靴なんかをさらりと遠くから流し見しつつ、正直もう疲れて飽きたのでこの辺で失礼させてもらうことにした。

支払いにカウンターへ向かうと店員さんが笑顔で
「新しいのがあったよ」と傷ひとつない靴を見せてくれた。
思わずカウンターに駆け寄る。

なんていい人!


ひとしきりサンキューを連呼して感謝の意を伝え、これ以上なくフレンドリーで満たされた雰囲気の中、会計が始まった。
モヤモヤが一気に晴れた、良い買い物である。

その横にスッと金髪のモデルさんみたいな、しかし千枚通しみたいな鋭い目線でいちいち刺してくる別の店員が立ち、新しい靴の箱を指さし何か抗議している。

少し離れた場所にいたのではっきりとは聞こえなかったが、
「なぜこの靴を売ったのか?」と言っているようだった。
中古靴を彼女に持たせたのはおそらくこの千枚通しだな、と元アパレル店員である私の勘はピーンときた。英語ができるなら”逆にこんな中古の靴は売っちゃダメよ、アナタ” と言ってやりたい。
キレイな靴は自分の取置きか何なのかはわからないが、二人のやりとりについつい耳を傾けてしまう。

担当してくれた店員さんは 「彼女は韓国人だから」と答えていた。
私の事を韓国人だと言ったようだ。


私が日本人であることは ”この靴は日本では非常に高価である” (150万円するとの虚偽も意図せず含まれたが)という会話からも、
私が支払いに使用した日本の会社のクレジットカードからも、あの店員さんにはわかっていたと思う。

そこで私は ”あの店員さんは私の事を自分の同郷から来た人だから良くしてあげたいと千枚通しにハッタリをかまし、私に傷のない靴を売ってくれようとしている” と推測した。

なんと嬉しいことか!これは千枚通しの反撃に備え何かあれば私も加勢しなければとカウンターに近寄る。

あらら、意外にも千枚通しはその一言で
「そうなんだ!OK」とあっさり奥へ消えて行った。
ん?
同郷ならお咎めなし?

ともかく中古の靴が出てきた経緯は私の想像の域を出ないのでこれ以上触れないが、見ず知らずの一見の客である私に綺麗な靴を用意してくれた店員さんには本当に感謝しかない。

しつこいくらいお礼を言ってお別れしたあと、すぐホテルに逃げ帰った。
高級靴を持って地下鉄に乗るのだ。気が気ではない。


行きと同じく無言の早歩きでホテルの部屋に戻り、お土産用に買っておいたスナック菓子を飲み物の如く流し込み、一本のコーラを夫と二人で分け一息つくと、
すぐに安堵と満腹感に包まれその後死んだように仮眠をとった。

6時間くらい眠った。夜8時頃に目覚めた。最終日の午後はほぼ眠っていたことになる。さてこの旅最後の晩御飯はどこで食べるかと再びスッタモンダする。
結局最後は添乗員さんに内線電話で助けを求める…

するとちょうど添乗員さんが今から行こうとしていたトルコ人の屋台にご一緒させてもらえる事になった。
そうと決まれば手早く髪を整え厚手のパーカーをひったくり、腹痛の為トイレにこもっていた夫をまくしたて、ソ連風廊下を走り抜けロビーへ駆けつける。




しばらく歩くと屋台があり、メニューを指差し注文する。添乗員さんにも気持ちばかりのビールを一本ご馳走し、冷たいパイプ椅子に腰掛けて、料理が運ばれて来るのを待つ。

いつまでも日が沈まない空の下、隣で腹痛なのに薄着で冷えたビールを凍えながら飲む夫が、私に厚手のパーカーを貸してくれと懇願するのを無視し、大きなシュニッツェルを頬張りながら、あの優しい店員さんが最後見送ってくれた姿を思い出していた。

オーストリアの言葉はドイツ語だが、二人とも英語で会話していた。ひょっとすると千枚通しもどこかよその国から来た人なのかもしれない。同郷の人には良くしてやりたいと思う心がわかるから、引き際がよかったのかな?なんて勝手な妄想で ”同郷お咎めなし” の『同郷バリア』の威力について考えていた。


”私がもっとちゃんと英語を話せていたらどうだったろうか”


今回の旅行がとても楽しかったので、ビールを飲みながらまたドイツに来るためにの貯金の計算や、英語学習の段取り等、もう次来る事を考えていた。


はっ!呑気にとんかつ食べてる場合ではない!



何よりもダイエットしなければ!
次ドイツに来る時はあの店員さんの様に”シュッ”としたアジア人で来たいのだ。




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