見出し画像

男性問題から見る現代日本社会(再・その2)

 前回記事の続きです。

 近年、「弱者男性論」が喧しく、「アカデミズム」の人たちもそれに対してのリアクションを余儀なくされている様子ですが、五年ほど前にも近い状況はありました。
 しかし、そこで語られるのは旧態依然としたフェミニズム礼賛ばかり……。
 それと『Daily WiLL Online』様では伊是名夏子師匠に絡めた障害者問題を書いておりますので、そちらもチェックをよろしく。

 いずれも「障害者」という聖なる弱者と「健常者」という悪者、「女性」という聖なる弱者と「男性」という悪者の二元論に陥った者たちの思考停止、とまとめることができましょうか。
 まあ、というわけで……。

*     *     *


第3章 「オトコのセクシュアリティが危ない」関口久司

 ここでは男性の性的欲求が低下していること、また経済的弱者の男性が結婚しにくいことなどをデータを挙げて指摘しており(女性への、年収一〇〇万円の二枚目と年収一〇〇〇万円の冴えない中年と、どちらと結婚しますかとの調査で圧倒的に後者が選ばれたとのデータを挙げており、なかなかいいと思いました)、これはまあ「当たり前の事実」であり覆しようがないことで、認めざるを得ないのでしょう。
 ならば女性の社会進出を取り止めて男性が稼ぐようにするか、女性の意識を強引に変えて主夫を養ってもらうしか手がないと思うのですが、師匠は「よりよい関係性を作る教育が必要」とか、「レイプやDVに至らないよう、男が配慮しろ」とか書いて終了。女性に対しては何も言うことがないようです。
 また、性教育の取り組むべき課題と称し、「自己中心的な性暴力文化からの解放」が挙げられております。随分とまた、仰々しい物言いですが、要はポルノ否定ですね。ポルノが性暴力の大きな原因であるとぶつなど平常運転なのですが*、奇妙なのが恋愛や性についての情報を得るメディアについて、

女性ではマンガや雑誌などが多いのに比べ、男性ではネットなどのアダルトビデオ・エロゲーが主流を占めています
(76p)

 と書かれています。
 え~と、これ、何かソースがあるんですかね?
 女性が読む漫画や雑誌もえぐいと思うけど、それらは問題ないんですかね? 後、女性向けエロも(書店などで買わなくて済む)電子書籍や乙女ゲーなどが売り上げを伸ばしているんですが、ドン無視でしょうか?
 そもそもアダルトビデオってネットなんですかね? いや、ネット配信も多いですが。
 エロゲはまあ、ソシャゲ全盛の今となっては「ネット」というのも間違いはないですが、エロメディアとしてそこまでメジャーなんでしょうか?
 非モテ男性を描写した箇所でも

ネット配信のアダルトサイト「エロゲー」などのオタクで、モテないと自覚し恋愛などからの逃避を語った男子大学生の微妙な心理を紹介します。
(61p)

 などと妙な文章があり、これでは「エロゲー」という名のアダルトサイトがあるように読めてしまいます。関口師匠、恐らくこうした文化について何も知らずに書いてるんじゃないでしょうか。

* ただ、師匠が誰相手の性教育を想定しているかはわかりませんが、未成年がポルノを見ちゃいかん、というのは当たり前のことだとは思います。

第4章 「生きづらさの根源――ひきこもり問題から考える」南出吉祥

 本章では女性の引きこもりもいると念を押しつつも、やはり男性が多く(2:1くらいの割合らしい)、それが男性役割に押しつぶされている故だとの論調。
 本章はフェミ色が薄く、上の世代が高度経済成長的な根性論で現代の若者を追い詰めているなど、比較的素直に読める箇所が多いのですが、最後の最後にとんでもない爆弾を投下して話が終わります。
 家族以外の仲間とシェアハウスをするなどの試みを挙げ、

 それはとりもなおさず、現代社会に一般化され浸透している男性原理および家族主義圧力を溶かしていくことであり、「男の生きづらさ」を解消していく回路でもあります。
(105p)

 なるほど、「男性解放」のためにはより以上にこの社会を破壊する必要がある。
 それが著者たちの揺らがぬ信念のようです。
「家族主義圧力」が具体的に何を意味しているのかわかりませんが、そんなものはすっかり形骸化していることは、非婚化からも明らかでしょう。
 先に、ぼくはこの本に対して、「現実について行けずに途方に暮れている」的な評を与えました。しかしそれは間違いでした。
 彼らはこの社会の少子化、非婚化、貧困化、男女の不幸を極限にまで推し進め、「計画通り」とほくそ笑んでいる真っ最中であったのです。

画像1

■こんな感じ。声優のアフレコ光景にも見えるぞ!

第5章 「妻はなぜ、夫のがんばりを認められないのか――子育てにおける夫婦の意識ギャップ」加野泉

「自分は育児に参加しているのに妻は認めてくれない」との不満を持つ人物を紹介し、え~と、何かいろいろぐちゃぐちゃ述べて(すんません、もう疲れてきました)、結論は「男は育児しろ(大意)」。男がいかに労働に時間を取られているかについてはほとんど語られません。
 もう、正直、金持ちが「金がありすぎて家が足の踏み場もない」と嘆いているのを横目で眺めながらカップ麺を啜っている気分で、何も言い返す気力が起きません。
 ただ、気になったのは加野師匠が父親の育児参加が重要だ重要だと繰り返していること。それには賛成なのですが、では母子家庭は望ましくないのかと言うと、この人、ものすごく怒るんでしょうなあ。

第6章 「男女ともにフツーに生きられる社会――ジェンダーという視点から考える」箕輪明子

 性別役割分業が戦後強制された、結婚が強制された(「強制」かどうかは置くとして、それらは戦前から普通のことだった気がするのですが、師匠は戦後と書いています)、現代においても男が家事育児に参加するようにはなったものの手伝いレベルに過ぎず、けしからぬ云々とメチャクチャなリクツが続きます。
 5章の加野師匠は「夫の育児参加については手伝いレベルに留めて欲しい、手伝いに留まらず五分五分で取り組んで欲しい、と妻によって要求が違う(ので、どちらを望んでいるのかを汲んで従おう)」と書かれていたのですが、箕輪師匠にかかると手伝いレベルでは許してもらえません。

 男らしさ、女らしさという観念は深刻な被害も生み出してきました。その事例の一つが性暴力です。
(136p)

 そしてジェンダーは社会に作られたものだとの、とっくに論破された虚偽の説を、いまだ本当のことのように語りつづけます。
 師匠は頼まれもしないのに勝手に女を働かせておいて――師匠個人のせいではないでしょうが、フェミニストたちが社会をそうしたことは言うまでもないでしょう――「企業側が過酷な労働を緩和しないから女が大変な目に遭う」と絶叫を続けます。近年のフェミニストたちはしれっとこうした文句を言うようになりましたが、企業社会にしゃしゃり出てきたことが悪いんじゃないのでしょうか。
 いえ、そこを一兆歩譲って不問にしても、じゃあ男たちは今まで大変な搾取に遭ってきたのではないのか、いまだ男たちが育児に労力を割けないことが象徴するように、今も男たちは女たちよりも遙かに凄惨な目に遭っているのではないのか――どう考えたって「男は損」で「男は被害者」以外の結論はないはずですが、箕輪師匠にそうした視点は潔いほどになく、「性別役割分業を見直せ」と絶叫して章は終わります。
 結局、先にも挙げたまえがきにあった「女の就業状況が云々」といった論調が、最後の最後まで透徹され、それだけで本書は終わってしまうわけです。

 いつも言うことですが、「ジェンダーフリーを実践すれば女性差別(も、男性差別)もなくなる、というのは嘘ではありません。「ジェンダーフリーによって性暴力もなくなる」というのも真でしょう。
 しかしそれは、ぼくたちのアイデンティティのコアをなす「男らしさ/女らしさ」を全てリセットするということであり、それが実現した世界では(いや、実現する具体的な方法を彼ら彼女らが語ったことは一度もないのですが)恋愛も、それをテーマにしたあらゆる漫画や映画などの文化も全て、消え果てていると考える他はありません。
 これは、アニメの悪役が「地球の環境を悪化させないためには人類を滅亡させる他ない」と言っているのと同じ、論理的には正しいが、絶対に受け容れることのできない暴論なのです。
 彼ら彼女らは、人類の殲滅を目論む、宇宙から来た侵略者だったのです。
 ――さて、簡単に……と言っていた割には結構な文章量になってしまいましたが、今回はこんなところで。
 本書は男性の窮状と、それに対して一兆年一日のフェミニズムを押しつけるということで、彼ら彼女らの信奉する「オカルト科学」が一切の力を持ち得ないということの証明になっている、極めて良質なガクジュツショ、ということになりましょうか。
 実のところ本書、昨日今日の二日で読了し、ブログ記事も本日一日で書き上げました。
 新書一冊読むのに一ヶ月かけるようなぼくが、です。
 執筆時間の方も最速の新記録です。
 そこからもいかに本書の内容が薄いか、理解できようかと思います。
 何しろ六人もの執筆者がいるのにp159という薄っぺらさ。この薄さで千八百円も取るんだから暴利だよなー。

ここから先は

0字
このマガジンを読むと、「男性学」のステキな正体がお知りになれます。

フェミニズムの傀儡学問、「男性学」。 フェミニズムそのものの悪評が広まるにつれ、「男性学」はいよいよその反社会性を強めつつあります。 本マ…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?