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『怨み屋本舗DIABLO 悪魔のフェミニスト編』――「悪魔のフェミニスト」という言葉は「頭痛が痛い」みたいなヤツかと思ったらそうじゃなかったけど、そうじゃないのは間違ってるのだの巻

 目下、『WiLL Online』様でジェンダー教育のヤバさについて書いています。

「ツイフェミ」だけがワルモノだとして、LGBT運動の危険性に気づけずにいる人たちは、是非ご一読を!

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 さて、今回は漫画のレビュー。
 上の写真にはありませんが、帯には「悪魔のフェミニスト編」と大書されており、まあ、「そういうヤツ」なわけです。
 ネットで話題になっているのを見て、尼でポチっちゃったんですが……こういうの、業者の量産した粗悪な時事系動画みたいなもので、ひとまず話題のトピックスに飛びついただけのことが多いんですよね。ぼくもあまり期待せずに読んだし、結論を先に書いておくならば、その予想を大きく外すものではなかったんですが……まあせっかく読んだので、軽くレビューしましょう。

 まず、本書は復讐屋を営むチームの活躍を描く、言うなら現代版仕事人。元締めの美女、頭脳役の男性に次ぐ、実働部隊的な三番手がオタクキャラ。これが眼鏡で長髪、パンツインネルシャツにリュック、ドライバーグローブという90年代のテレビドラマに出てくるようなデザイン(読者からも言われているのか、他のキャラに「昭和のオタクか」と突っ込ませているのがおかしい)。この人、どういうわけかやたらと妙なポーズを取って語尾に「~チュ」とつけてしゃべるというキャラで、「オタクのフリークス性」を頑張って表現しようとしてこうなったのかも知れません。ただ、そこまでイラつくキャラのクセして、能力的には有能なチームの重要人物として描かれているのは、嬉しくもあるのですが。
 四番手のマスコット的美少女もコスプレっぽい格好で、いわゆる「オタク受けしそうなタイプ」として造形されたキャラ。もっとも言うまでもなく画のタッチは萌えと180度違い、こんなふうに「よそ様に萌えやオタクをシミュレートされ、それを提示される」というのは、どうにもいたたまれないというか、ホモサウナに間違って入ってしまったような居心地の悪さを覚えます。
 まあ、それはともかく、内容ですね。

 まず、本話の悪役は売れないグラドル、蜜箱かりん。
 タレントとしての失速の原因はイケメン男優との交際を報じられたことであり、(これ自体は自業自得とも言えるのですが、それを)所属事務所の大物のスキャンダルをマスコミに沈黙してもらうためのスケープゴートとしてさし出された形。
 事務所にもほぼ干され、枕営業をすると申し出るも(口が軽いからと)断られてしまう。本人の実力や性格にも問題があるのでしょうが、何とも気の毒なキャラとしてまず登場してきます。
 ところがそうした不遇を「世の男どもの見る目のなさ」のせいにしてルサンチマンを募らせているおり、ふと、アニメ専門学校の萌えポスターを見て、彼女の中に火がつきます。
 性的搾取だ何だとツイートをすることでそれがバズり、実際にポスターが撤去されてしまい、「私のツブヤキが世界を変えた」快感を感じるかりん。そこで「ジュワ~~~」という描き文字が入るのですが、これはあれですかね、『えの素』でいうところの「ジュン」「ジュナー」「ジュネスト」の状態なんですかね。
 ともあれ、ポスターを描いた萌え漫画家が炎上し、コミックスを有害指定されそうになり、先に挙げたオタクキャラもことあるごとに憤るなど、身のつまされる展開が続きます。

 このかりんにディアブロ8号と名乗る怪しい女が接近してきて、社団法人を立ち上げるよう、入れ知恵します。
 つまり、かりんはキャラとしては石川優実師匠と仁藤夢乃師匠との合体であり、凡百の評であれば「よく調べている」と絶賛する箇所かも知れません(いや、以下にも並べますが確かに「よく調べている」のです)。
 社団法人立ち上げの記者会見の場、マスコミ側は彼女が過去に際どいグラビアの仕事をしていたこと、そしてイケメン男優とのスキャンダルの件をつつきます。前者はまさに石川師匠のネタを拾ってきた形ですが、マスコミがそこを擦るのは描写として疑問、むしろ徹底して隠蔽することでしょう。
 しかしこのマスコミの質問に対し、彼女は「ジャニー的枕営業的なものであり、断れなかった」と言い出すのです! フェミの特殊能力、「過去改変」の炸裂です!
 確かに「よく調べている」と思います。
 先のディアブロは要するに悪の組織の手先であり、彼女の指示で、社団法人は貧困女子を集めるように。ここもColaboを「よく調べている」のですが、ディアブロが「馬鹿な女は金のなる木」「私達がさらにステップアップするための捨て駒」などと言い出すのです。この辺りから、どうにもきな臭い感じがしてきましたが……さて、どうなるかと思っていると案の定、彼女らはシェルターに女性を匿い出します。
 タコ部屋フルなシェアハウスにぶっ込まれ、精神科医にデタラメな診断で重度の心の病を抱えているとされ、生活保護申請し、そのカネを法人で管理。
 これらもみなさんご承知の通り、実に「よく調べ」られています。
 ここに、先にも挙げた怨み屋本舗の萌えっぽい()娘がシェルターに潜入捜査を開始します。
 ここでかりんが彼女に「男性経験はないの、いい男性紹介しようか」などと言うのですが、これもまた、え? という感じ。
 もう一人、シェルターに匿われる女性が登場しますが、ホスト狂いで彼氏にDVを受けており、DVはともあれ本人も無反省な馬鹿女として描写されます。
 一方、かりんは過去の自分に似ているとの近親憎悪から貧困女子を憎んでおり、何と匿った女性に「男に身体を売れ、ここを追い出されたらホームレスに輪姦されるだけだぞ」と言い出します。
 買春相手は議員の醜い親父。社団法人は彼と癒着することで、さらなる利権に預かろうとしているのです。
 潜入捜査している萌え美少女がコンドームを渡されるという描写もあり、これもColaboの支援物資にそれがあったことを「よく調べ」た結果であり、おそらくそうした事実からこの買春という描写も思いついたのでしょうが……しかしこうなるとさすがに、実在の人物を露骨にモデルにしたにしては、フライングと称するべき描写だと思います。
 事実と異なるからけしからぬ、と言っているのではありません。単純にあり得ない(例えるなら粗暴犯が急にすごい知能犯的な詐欺を働くような)描写を、単にキャラをわかりやすいワルモノに仕立て上げるため、やってしまうのが安易なのです。
 当noteの愛読者の方には言わずもがなですが、フェミニズムの本質は男性憎悪であり(その憎悪がツンデレ的感情の発露であり、彼女らほど男性からの愛を求めている存在はないのは、本作の蜜箱かりんと同様とは言え)、このような描写は非現実的に過ぎるでしょう。
 なまじっかなことではバズらなくなったかりん、ついには先のDV彼氏から逃げてきた女性に対し、DV彼氏の仕業と偽装し、硫酸をかけます! そして彼女の整形手術の費用と称し、また募金を募るのです。これはアシッドアタックと呼ばれ、日本では聞きませんがインドなどではよくある事例だそうで、その辺から引っ張ってきてるかなあ。

 もっともさすがに彼女らの悪事もここらがクライマックス、怨み屋本舗がさんざん証拠を掴み、それを公表することで陰謀は全て露見というオチ。
 主人公(みなさんお忘れかも知れませんが主人公は「怨み屋本舗」の元締めの美女です)にはかりんに一喝。

 いただきました!!
 似非フェミニストいただきました!!
 だああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいてえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 ぼくもバカではないので(いや、少しバカなのでしょう)主人公がクライマックスで「似非フェミ」と一喝するってのは事前に想像していました。
 しかしこの大駒を見て、やはり失意を隠せませんでした。
 先にディアブロという悪役の存在について描きました。
 この存在に、ぼくはちょっと期待してしまったんですね。
 彼女は先にも述べたように悪の組織の一員として、超越的な立ち位置を保っている。まさに「ディアブロ(悪魔)」として、人間を悪に引きずり込む存在として描くことができる。
 普通に考えれば……というか、もうちょっとお上品なコンテンツの普通の考え方で行くなら、このディアブロにそそのかされたかりんだが、最後は「報われなかった過去の自分を救おうとしての、歪んだ正義感の発露としてこのようなことをしていた」といった描写がなされるところでしょう。別に「同情すべき悪としての描写がなされるべきだ」と言っているわけではありません。同情されようとされまいと、彼女なりの歪んだ正義があったことを描写すべきで、「わかりやすいワルモノ描写」に落とし込む(ために売春の強要をさせる、政治家と癒着させる)のは安易だ、と言っているのです。
 ひるがえってディアブロは「男性への、家庭への憎悪の凝り固まった存在」つまりはフェミニズムそのものの擬人化として描くことで、ある程度の批評性、文学性を獲得することができたはずです。
 もちろん、作者は(読者も)そんなことを求めてはいなかったのだから仕方ない、のですが……。

 冒頭にも書きましたが、こうした漫画は本当に俗に徹した、文学性芸術性批評性など期待すべくもない時事系量産型業者動画と、質の低い転生漫画と、ソシャゲと同様のものです。
「時事ネタ」を丁寧に丁寧に拾って、大衆の満足する落としどころへと持って行ってあげるのが彼らのお仕事です。
 しかし、それにしても、ここまで「よく調べ」た上、後半で大幅な「創作」をぶっ込んで、後は(大したものでもないので細かくは言いませんが)バイオレンスなオチをつけて読者の溜飲を下げさせるというのは、まあ、何というかがっかりです。
 例えるならば、岸田総理についてさんざん「よく調べて」おいて、最後に「岸田は悪い宇宙人の手先だった」とオチのつく政治漫画みたいなものでしょうか。
「ワルモノは悪者であって欲しい」。
「ワルモノは最後に惨めにぶっ殺されて終わって、スカッとしたい」。
 そりゃそうでしょう、わかります。
 でも、ならばここまで時事を入念にトレースしなくてもいいでしょう。
 本作、社団法人がシェルター事業をやり出す下りでは主人公たちが「貧困ビジネスだ」と一席ぶちます(その他にも漫画の前半ではグラフが出てきたりで、そういうちょっとおベンキョになる路線も狙ってるのかと思いきや、中盤以降そうした要素はなくなります)。
 それはまさにそうで、そこはいいのですが、フェミニストがシェルター事業をやりたがるのは女性を家族から引き離したいからであり、そこには深い家族や男性への憎悪が潜んでいるのです。
 Colaboも同様であり、フェミニストたちは今までもDV冤罪、幼児虐待冤罪で家庭そのものを破壊してきた――それは拙著でも書きましたし、Colaboの件でも「WiLL Online」様で書いています(自分としてはかなり優れたものだと思うのですが、残念ながら反応はいつもより今一でした)。

「彼女らは利権のためにやっているのではない」とまでは言わないけれども、利権以上に歪んだ正義感が彼女らを動かしており、そこを一切理解できない人たちの姿が、ぼくには非常に奇矯なものに見えます。
 何でこの人たち、フェミニズムのフェの字も、フェの子音のFの字も、エフの字のそのまた頭文字のエの字も知らないのに、こうまで饒舌にフェミについて語っているのだろうと。
 そうした人たちはこの漫画を「絶賛」していることでしょうが、それはつまり、この漫画の作品としてのクオリティは、そのまま、その人たちの脳のクオリティであり、何というか、いくら何でも、もうちょっとあんたら……と思ってしまいます。
 念のために言っておきますが、これは別に特定の人物を指して言っているわけではありませんし、そもそもぼくはまだそうした「絶賛」評を見てもいません(これから目にするのが怖くもありますが……)。
 また、この漫画家を責めようというのでもありません。
 既にかなり責めたようなことを書いた気もしますが、そこは取り消しておきます。
 先のような指摘はフェミニズムについて批判したければ常識であり、外してはならないものと思いますが、これを指摘している者はおそらくぼく以外にはほとんどいません(小山晃弘氏がちょっとしているくらいか)。
 本当に「よく調べ」ろと憤るべきは、漫画に対してではなく、そんな見識すら持てずにいる評論家もどきに対して、なのでしょう。


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