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コロッケ

 この世で何が一番好きかと聞かれたら、私は迷わずにコロッケと言う。

 しかし、全てのコロッケが好きなわけではない。いや、全てのコロッケが好きなのだが、私が、本当に美味しいと絶賛するコロッケは少ないと言う事だ。

 小学校、中学校の時に給食で出てきたコロッケ。それが私のベストだ。

 市販のコロッケ、冷凍食品のコロッケ、美味しいと噂のミートショップのコロッケ、どれを取り寄せても、食べにいってもがっかりするだけだった。

 大学の学部対抗ソフトボール大会の時に、同級生の岩谷(いわたに)さん(女性)、通称イワヤが差し入れとして作ってきてくれたコロッケが、今も忘れられない。

 給食のコロッケと同じで、球体に近い形状で、下味がしっかりついていてソースなどかける事なくそのまま食べると無茶苦茶美味しい。

 思わず、結婚してくださいと言いそうになってしまったが、医学部医学科の彼がいたイワヤにそんな言葉をかけられるわけもなかった。

 そして、年月は流れて私は料理好きの妻と結婚した。
 彼女は料理が得意で、私の口での説明を頼りにコロッケを作ってくれた。絶品だった。イワヤのコロッケを超えた。

 さらに、進化させて、カレーコロッケを開発した。

 彼女のコロッケを食べるだけで幸せだった。胃袋を掴まれると世の中で言うがまさにそれだ。

 彼女は絶対味覚を持っていた。
 絶対音感とかのたぐいだ。

 仕出し料理を一口食べて、私は何かが足りないと思った。私には何がどれほど足りないかなんてわからない。家内は、すぐに調味料をパパッと使う。
「食べてみて」

 言われるままに食べるとまさに絶品だ。何をどれだけ足せば私の好みかをわかっている。そもそも、味覚とはその人固有のものだ。薄味が好きな人がいれば濃い味を好きな人もいる。世の中の全員が美味しいと思う料理なんて存在しない。美味しいなんて、好みの問題だ。それなのに、妻は私の好みを把握していた。

 広島に買い物に行った時にレストランに入った。私はステーキ丼を食べて、すごく美味しいと感じた。こんな美味しいものを食べたことがないとまで感じた(それでも妻のコロッケを超えなかった)。
 家内にいうと、一口食べさせろという。

 食べると家内が顔を歪めて言った。
「私の好みじゃない」

 私は味が濃いのが好きだった。彼女も濃いめが好きだったが私ほどではなかった。

 絶対音感を持っていて繊細な耳をした人をロックコンサートの時にスピーカーの真ん前に座らせたら、やめてくれと叫ぶだろう。繊細な音を聞き分ける人にとっては苦痛でしかないと思う。

 ステーキ丼は、そんな大味だったのだろう。

 家に帰り、何ヶ月もしてから、「あのステーキ丼をもう一回食べたいなぁ」と愚痴った。

 次の日の夕食にステーキ丼が出た。家内はそぼろ丼を食べている。一口食べて目を見開いた。あの日のステーキ丼と同じ味なのだ。
「これ、あの、ステーキ丼と同じ味!」

 私がいうと彼女は私を鼻で笑った。
「同じ味付けしたのだから、同じなのは当たり前」

 彼女は、一度食べればその味を再現できた。

 妻がいない今、コロッケをあちこちから取り寄せてみる。どれも味が大きく違う。彼女なら、調味料を加えて私の理想の味にできるのかもしれない。しかし、私にそんなことができるわけもなく、注文するたびにがっかりしてしまう。

 美味しいけど、求めている味じゃない。

 彼女は、美味しいものをいっぱい作ってくれた。レシピが欲しかったが、それは無理だった。
 彼女のレシピは全て、砂糖適量、醤油適量、塩適量、などなど、量を測ることはなく、目分量で入れて上手くいくし、上手くいかなければ、また、調味料を適量追加するだけだ。

 そして、今日、招き猫印のコロッケが届いた。初めて食べるコロッケだ。
 美味しいが私の求める味ではなかった。肉が多くて肉汁がたっぷりと言うコロッケだった。贅沢なコロッケだ。

 私が求めているのは、もっとじゃがいもが多くて、それを誤魔化すためにじゃがいもに濃い味をつけたようなコロッケだ。

 そして、きょうもまた、次はどこに頼んでみようかと、通販サイトを覗き見る。

 タブレットの画面に並ぶコロッケの写真を見ながら、本当は、妻の味付けのコロッケを探しているのではなく、どこを探しても、いるはずのない妻を探しているんじゃないかと、ふと、思った。

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