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生身の人間か偶像か

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。なんてお世話もしないような人に挨拶するのはなんか違う気がすると思いながら、死んだ目でホイコーローを食べてる23歳終わり際。

  最近、恋人ができたら推し活はほどほどにしようと思っている今日ですが、前まではキャー!!芥屋さん!!!みたいなアイドルに向けるような気持ちだったのですが、最近はうーーーーーーーん真剣に考えてもかわいいんだよな、なんなんだろうと悟りを開かざるを得ない気持ちになっておる。
  常日頃から、私にとって芥屋さんは概念だからと言い続けてるが芥屋さんは正真正銘生みの人間である。しかし顔も知らない画面から声しか聞こえない芥屋さんを生身の人間として推すのは多少違和感を覚えたとて、生身の人間なので一挙手一投足が供給である。ツイートすれば供給だし、Twitterで動画があがれば供給である。たくさん供給してくれてとても感謝しています。しかし生身の人間と人間、推しに何も期待するなという方が難しい。
  多かれ少なかれオタク側が推しに対して何かを託しがちになる事もあるだろう。こうしてほしいもっと有名になって欲しいという反面、有名になるにつれていい事もあるが、もちろん悪い事もあって、よく思わない人に心無い事を言われて精神をすり減らすようなことがないように健やかに生きてほしい、ほんとうに。そしてオタクはどんどん大きくなっていく推しに多少の遠さを感じ、大きくなったなぁと多少の古参マウントな身内ズラをしながら涙を流すのだろう。
(私はその有名になっていく階段のレンガになりたい)

   私が常々言っているもし交際相手が居たとしても隠してほしいし間違ってもお気持ち表明とかはしないでほしいっていうのも、こちらの誰のものにもならないでほしいというただのオタクのエゴの押しつけに過ぎないのかもしれない。しかし芥屋さんには誰よりも幸せになってほしいとも思う。オタクという生き物は難しいものだ。
  こんなに限界オタクをしていてガチ恋という感情になる事はないのかとよく聞かれるが、こちらはガチ恋というより看取りたい。恋とかそういう次元ではなくもはや崇拝の域に達しているので、これはガチ恋とはまた別の感情なのではないかと思っている昨今である。
  第三者目線で話すと、配信者のガチ恋ってアイドルにガチ恋するよりもメンタルが削られそうだし独占欲が沸いてきてしまう可能性すらある。これは配信してるだけの一般人という、頑張って手を伸ばせば手が届いてしまいそうなこの距離感が起こしてしまう現代の問題なんだと思う。

  以上最近恋人ができたが、芥屋さんが好きすぎて1週間程度で別れた限界オタクの拙い文章でした。

あーーーあ、ごちゃごちゃうるせぇんだよ沈めんぞって言われたいなぁ

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