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折々々のことば

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自分の小さな営みを営むために。鷲田さんが休養の間、ここで私なりに。もちろん、代わりではないし、バトンでもない。ただ、ここで。それのみです。そして、お帰りをお待ちしております。鷲田…
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記事一覧

折々々のことば 6

教えていい? おしえんでいい! 38歳と8歳  昔ながらの玩具。どこかでもらってきて、家じゅうでハマる。そしてそのコツを自分なりにみつけた父親が、5歳と8歳が愉しんでいる横から声をかける。そして、8歳がすかさず返す。そうだよな、って思う。私でもそう答える。だって、面白くなくなっちゃうんだもん。そんな世界が溢れている。そして、教えて欲しい、教えてあげる、も溢れている。いえから。 #2021・2・14

折々々のことば 5

色々な可能性を考えながら準備を進めていくしかないんじゃないかな。 太田光  「もともとオリンピックって好きじゃないんですよ」という言葉から始まるも、今の世においては「五輪という目標を持つのはありだと思うんですよ」と。一方、様々な選択肢に対してはやく結論をだして欲しいという想いに共感しつつ、この状況でどうするべきか。相手に選択を迫り、自分で決められることがあるのを忘れてしまう。朝日新聞2月6日付朝刊から。 #2021・2・10

折々々のことば 4

今日は、あったかいね。 ●●●●(お名前は分かりません)  2月の最初の土曜日午後1時半頃、駅のホームにて。私は足早にそのお二人を追い抜きながら、片側の方がもうお一方に。朝の気温、昼の気温、夕の気温、夜の気温。自分は季節の移ろいを感じつつ、なんて悦に入るも、その移ろいは朝と夜だけであったりすることに気づく。知っている、という範囲や世界の狭さは、知っているというところからは気づきにくい。まちから。 #2021・2・10

折々々のことば 3

その異臭たるや、たとえようもない。 堀威夫  1945年5月29日の横浜市街の大空襲のあと、被害に合った三ツ沢の本家に握り飯を届けるため、一望の焼け野原を通る。焼け残った家の柱を井桁に組んで、亡骸を焼いている。私は、たまたまこの時代のこの国に生まれたゆえに、今のところそれを知らずに生きられている。そのありがたさを想い、だからこそ、を志に育てて。日本経済新聞「私の履歴書」2月5日付朝刊から。 #2021・2・10

折々々のことば 2

普通、夫婦は支えるって言葉があるでしょう。うちは応援し合う。 萩本欽一  昨年8月に亡くなった妻、澄子さんとの別れを振り返りながら。生前は病院へのお見舞いを断られたり、葬儀は萩本さん抜きを指示されていたり。結婚した理由も「好き」だからではなく、一方で、「ずっとファンだった」とも。ふと、かわいそうに、と思う器量の小さな自分を恥じつつ、そして、関係の在り方の豊かさや彩りを想う。「徹子の部屋」2月3日の放送から。 #2021・2・10

折々々のことば 1

人間存在は、歴史の行為主として、自らの生の生産者であり続けた。 ティム・インゴルド  正直なところ、この言葉の前後を理解している、筆者の主張を理解している、とは言い切れない。だから、要約めいたことができない。だから、この言葉だけをここでは拾う。それは、誰かの言葉と共に営む、においてはとても足りないな、とは想うものの、その足りないことを知れただけでも、先ずはよしかな、と。今、私は、私の生の生産者か。『人類学とは何か』から。 #2021・2・4

折々々のことば

鷲田さんが休養に入られた。大事に至らなければ、と勝手ながらの祈りをここで静かにふと想う。 毎朝、二紙が届く。その営みにときおり想いを馳せていた。時々、「明日の夕刊は休みます」とか「明日の朝刊はお休みします」という言葉が載っている。そっと「いつもありがとうございます。ちょっとだけになりますけど、休んで下さい。こちらは大丈夫です。」とそっと呟く。 もちろん、交替だろうし、「ある人」が365日近くやってることはないだろう。それが、組織や集団の技。一方、「ある人」の居場所にもなり