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産めるけど、産めなかった。

大人になったら。

当たり前に就職して、
当たり前に結婚して、
当たり前に妊娠して、
当たり前に母親になると思っていた。

全部全部、
当たり前のことだと思っていた。


そんな「当たり前」の気持ちが揺らいだのは
子宮内膜症が発覚したから。


子宮内膜症と告げられてから、わたしの毎日がガラッと変わった


このままだと不妊になるよ、と言われて
苦手な薬を必死に飲み続け
毎月、苦手な先生に会いに行った。


子宮内膜症は
自覚症状が全くなかったので診断を受けたときに
「どんな症状がありますか?」と聞いたら

「本に書いてあるんだけどねぇ、、」

と言い放った医者。

彼が言うには
半年の服薬で治るとのこと。

すっかり信じていた。

薬を始めてからの日々は最悪だった

薬を飲み始めて数日は
起き上がることがしんどかった。

薬を飲むために
必ずごはんを食べなければいけなかった。
働く時間が不定期のわたしには
毎食ごはんを食べることが大変だった。

しばらくずっとイライラしていた。
何にイライラしているのか、自分でもわからなかった。

約半年間、
生理とは関係なく微量の出血が続いた。

服薬期間の半年は、
結婚式準備期間でもあった。
毎晩のように夫に八つ当たりをした。


もう辞めたい。何度もそう思った。


服薬を始めて7ヶ月が経った頃
「次回は検査をしてみようか!」と言われ
一ヶ月間ほんとにほんとに楽しみに過ごしていた。

結果、検査はなかった。

「検査するって言ってませんでしたっけ?」
と問うと
「いや、(検査は)しないなぁ」と言われた。

異変に気付いた看護師さんが状況を理解してくれて、
採血検査をしてくれた。

泣きながら帰った。


ようやく母親になる準備が整った

そんなこんなで約9ヶ月間。
子宮内膜症と戦ったというよりは
病院に行きたくない気持ち、好きじゃない医者と
闘った。無事勝利。圧勝。

麻疹のワクチンも打って
これで無事!母親になれる!と思った。


でも、

次の「当たり前」も叶わなかった。


夫の不妊が発覚。

精子がいないことがわかり、
彼の遺伝子を残すことができなくなった。


不妊治療をしているおともだちに
「長い戦いなるかもだけど、一緒にがんばろうね🥹」
と言われた。


「戦うこともできなくなったよ」と
皮肉混じりの報告をしてしまった。

情けない。だっせぇ。


結婚前に彼の不妊がわかっていたとしても
結婚は辞めなかったと思う。それは自信がある。

でも、躊躇はすると思う。確実に。


だってわたしは「母親になりたい」から。


女である以上、

妊娠・出産を経験したい。
母乳をあげたい。


我が子に、生まれた時のエピソードを
昨日のことのように鮮明に語りたかった。
母がしてくれたように。


その全てが叶わないことがわかった。
当たり前が当たり前じゃなくなった。

女として生きる意味があるのか。
毎月くる生理もなんのためかわからない。
なんのために生理痛と戦うのだろうか。


ドナー精子を待つことも視野に入れてはいるものの
何年先になるかわからない。


わたしは
卵子の数が同世代の平均値に比べて少ないらしく
後回しにしていると妊娠の可能性が
どんどん下がってゆく。

祖父母が元気なうちに
ひ孫を抱かせてあげたい。


わたしには時間がない。


病院からいただいた
里子制度と養子縁組のパンフレットを見て
夫婦会議をした。

相談ベースで話を進めたものの
わたしの心は決まっていた。


養子縁組をしたい。


もちろん、
「妊婦」になりたかった。
つわりを経験したかった。
母子手帳を持ちたかった(無くなるらしい、、?)。
マタニティーマークをつけたかった。
ジェンダーリビールをしたかった。
夫に立ち会ってもらって出産したかった。
陣痛と戦ってみたかった。
生まれたばかりの赤ちゃんを抱いてみたかった。


調べてみて知ったが
養子縁組は乳幼児でも実親が希望した場合、
名付けの権利は実親が持つらしい。

わたしは我が子に名前をつける権利さえもない。


顕微授精の可能性があった頃、

先生を始め、たくさんの人たちのおかげで
生まれることができた命だから
命ある限りたくさんの人たちのために生きてほしい。
たくさんの人たちの笑顔を守ってほしい。

そんな願いを込めた名前を
我が子にプレゼントしたいと思っていた。

まだ芽生えてもいない命の未来に
そっと想いを込めていた。


わたしたちふたりの子だから
きっと穏やかで優しくて陽気でよく食べて
たくさん笑ってたくさん泣いて
ひとつひとつの感情を噛み締めて生きていくんだろう。


そんな想いもどこかへ行った。

焦る必要がないのはわかっているが
足踏みする必要もない。


血の繋がりがなくても家族になれるから。



産めるけど、産まない選択をした。

ゆくゆくはドナー精子が見つかれば
人工授精にも挑戦してみたいと思うけれど。

それはそのときのわたしが決めてくれるから。


まずは、わたしは夫と、
継ぎ接ぎ家族をつくってみようと思う。

クリエイティブな仕事をしているわたしたち夫婦。

どんな家族がつくられるか、
想像するとたのしみで仕方がない。

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