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仕事人としての成長の条件

成長には3つの責任を果たすことが求められる

プロフェッショナルファームではなく事業会社に身を置いていると、仕事人として、そして人間として成長出来ているか不安に感じることがある。そこで改めて成長の条件を考え直してみたところ、3つの責任を果たすことが成長の条件だという結論に行き着き、これらを十分に満たせているか否かを振り返ることが大事だと感じた。プロフェッショナルファームのメンバーやマネジメントポジションの方が成長の条件を満たしやすい環境にあるような気もするが、どのような立場のビジネスパーソンでも応用可能と考えている。以下で3つの責任について、簡単に説明する。

① 説明責任を果たすこと

説明責任を果たすことは、自身の考えについて自身の言葉を使って利害関係者を説得することである。頻繁に「以前からこのようにしていたから…」「誰々にこのように言われたから…」というような発言を耳にするが、これは自身の考えでも自身の言葉でもないと考える。説明責任という言葉通り、リスクを取って「私は●●という理由から、□□が最善と考えている」と表明した上で利害関係者からの理解を得られれば説明責任を果したことになる。
逆に説明責任に関する意識が欠如していると、考える力・伝える力・判断する力(=ポジションを取る力)が育たない。

② 実行責任を果たすこと

端的に言うとやると決めたことをやり切ることであるが、世の中ではこれが不十分なケースが散見される。特に経営者と従業員、シニアメンバーとジュニアメンバー、戦略チームと実行チームのように考える人と実行する人が異なる場合に実行責任が果たされていないことが多く、最終的な顛末として実行側の能力不足とされることが多い。
しかしながら、このようなケースでは、そもそも実行不可能な道に進んでいることが多々あり、考える側が実行責任を持つことが重要である。例えば、3年間で営業利益率を3%から10%に改善するという目的に向かって行動しているときに、一見するとやりようがありそうであるが、自動車業界Tier2の金属加工メーカーであれば業界がひっくり返らない限りほぼ不可能と思う。
このような場合には考える側は再考する必要があるし、実行側は考える側に異議を唱えないといけない(実行側として①説明責任を果たすことに繋がる)。
実行責任を果たすことは言うは易く行うは難しであるが、考える側にとっては自身の考えに対しての適切なフィードバック、実行側にとってはタスクを引き受け際の判断に対しての適切なフィードバックとなり、このフィードバックをなくして成長は望めないと考えている。

③ 結果責任を果たすこと

これは結果が出るまでやり切ることであり、捉え方によっては実行責任の延長線上の話であるが、敢えて個別事項としているのには意味がある。経営者やマネジメントだと「部下が不出来でして…」等、プロフェッショナルファームだと「これ以上はスコープ外でして…」等の言い訳により、結果責任が果たされないことが多い。言い訳をせずに結果責任を果たすということは、前者であれば自身の無能さを表明することになるし、後者であればプロジェクト採算の悪化に繋がるしで、短期的な費用対効果は良くないかもしれない。また、会社人であれば、個人の意思に関係なく会社として結果責任を放棄しなければいけないケースも存在すると思う。
しかし、ここで仕事人としての苦労を積むことが、説明責任を果たした時点の自分に対する強烈なフィードバックになり、自身を成長させる。将来的に類似ケースに取り組むときに同じ過ちを犯さないだろうし、それ以外のケースにおいても所謂引き出しが増えることによって成果に繋がるだろう。
また、結果責任を果たすことは冒頭に記載した「人間として成長出来ているか」とも関連する。結果責任を果たそうとする姿勢は素直に謝ることに繋がり、人間的な成長をもたらすと考えている。なぜなら、結果責任を果たそうと全力を尽くした後でなければ、謝罪された側はその気持ちを受け取ることができないので、素直に謝罪することができないためである。予算を取って実行するような規模のプロジェクトに失敗した際に素直に謝ることは容易ではないが、(主観的ではあるが)それができる人は人間的に魅力的であると考えている。

言語化してみると目新しさがないように感じるが、周りを見渡すと3つの責任が果たされていないことが多く、成長を望む自身としてはこれらを果たしているか否かを定期的に振り返ることで今より一回り大きい自分に出会えると信じている。

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