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さようなら、わたしの神様だった人 -小林賢太郎引退について

高校生の頃、宗教にハマりたくなった。もうなにも考えたくなくなってしまって、毎日ただただ何故か不安で、なにか強烈に強いものをただ信じてそれの言うことを聞くだけで生きていきたかった。あの頃は寝ても覚めても死にたかった。でもなんとか生き延びたかった。死にたいから、死なずに済む方法を、いつも模索していた。
なにか同調できる思想の宗教はないかと思って本気で調べたけれど、結局見つけることは出来なかった。世の中にはあんなにたくさんの宗派があるのに、どれにもイマイチ共感できなかった。書きながら今思ったけど、そういうのって別に「ハマろう」と思って調べてハマれるもんじゃないんでしょうね。恋と同じです。ハ?
ちなみにリトル・ぺブルとかいうやべえ教団を見つけたときは震えながら笑った。調べてみてもいいけどマジで自己責任でお願いします。でもまああんなもんでも、信じ切って思い込めたら幸せなんかなあ、と思った。

自分の中の神様が欲しかった。
それさえ信じていれば生きていけるというものが、欲しかった。
なにかに縋っていたかった。

そういう自己嫌悪と自己陶酔のムニエル~思春期のソースを添えて~みたいなメンタルの人間が、そんなタイミングで出会っちゃダメだろっていうものに、17歳の春、出会った。
出会ってすぐ、神様だ、と思った。そんなこと絶対に思うべきじゃないのに。でも思ってしまった。だってずっと神様が欲しかったから。なにかに傾倒して、崇めて、祈りたかったから。そうしないとしんどかった。馬鹿だな。
不安定な毎日の芯になり得る強いものを求めていたわたしが出会ったのは、創り出すものも、発する言葉も、動きも、声も、顔も、指の先まで、美しい人だった。

胸がいっぱいで筆が進まねえな。ここまで書くのに4時間くらいかかっています。


わたしの神様がわたしの神様になってから、狂ったようにコンテンツを漁った。コントや芝居の映像はもちろんほとんど観たし、なけなしのお小遣いで戯曲集やエッセイ本、舞台のサントラCDなんかも買い集めた。台詞を丸暗記しているコントもいくつかあった。好きなコントの好きなシーンだけを繋いだ動画を作ってウォークマンに入れたりしていた。
知れば知るほど好きになった。まずもって顔が綺麗で(ゴッドタンのプロデューサーの佐久間宣行氏が「昔のラーメンズの動画とかを見ると、とにかくまず顔がかっこいいっていう。ああいうさ、パフォーマーとかをする人のルックスとして本当にあれは100億点の顔だよね。」とラジオで評しているのを聴いて100億回頷きました)、声も良い、歌も上手い、芝居も上手い、動きもしなやかで、手品もパントマイムも出来るかと思ったら、コントだけじゃなくて演劇の脚本も演出もこなすし、突然漫画も連載しだしたりするわけ。なにやらせても完璧。こえーー!欠点、ひとつくらいあれよ!って騒いでたら母親が静かに「EDなんじゃない」って言ったことを今思い出した。いいがかりにもほどがない?
そういう、外的なスペックみたいなものに惹かれて、ミーハー気分でのめりこんでから、彼が生み出すものたちの繊細さと緻密さに圧倒されて、今まで好きだったものたちへの気持ちとは全く違うものが自分の中に生まれるまで、時間はかからなかった。

まあどれだけ好きだったかみたいな話はキリがないからアレなんだけど。でも好きだったなあ。好きっていうか、だってまあ、神様だったんだもんな。

今振り返ると、あの時わたしは信仰対象を欲していて、そのタイミングにバチっと当てはまって、だからあんなことになって、みたいに自分の心の動きが理解できるけれど、当時その自覚はあまりなかった。神様だと思っていただけで。他のことなんてなにもわからなかった。どうしてそんなにのめり込んでしまったのか、自分の心の弱りが影響していることも、「そうなりたくて自らなっている」ことも、なにもわからなかった。それでこそ宗教です。おめでとうございます。
別に25歳の今出会っても当たり前に大好きになっていたと思う。同じように動画を観漁って、同じように発行物を集めて、同じように興奮したと思う。でも出会いが今だったら、彼を「神様」なんて言っておこがましくも自分の人生に取り込もうとすることなんてなかったとも、思う。

「神様」なんて。傲慢だよな。勝手に自分の人生の登場人物みたいにして。
遠くから応援するだけでは我慢が出来なかった。心の中に住まわせて祀っていた。
だってわたしは17歳だった。


人生で4度、彼を生で見た。

2012年に1回。KKP『ロールシャッハ』の再演。
2013年に2回、LIVE POTSUNEN 2012 『P+』と、KKP『振り子とチーズケーキ』。
2016年に1回。カジャラ#1『大人たるもの』。

ロールシャッハのポスターは今でも部屋に飾ってある。ポツネンは自分が見たものを忘れたくなくてその後DVDを買った。振り子とチーズケーキは、変なところに感情移入してしまって次の日学校に行けなくなった。滅多に怒らない父親に怒鳴られたのを今でも覚えている。
2016年は、もう何年一緒に舞台を踏んでいなかった彼の相方との共演に興奮して、でもツアーは札幌まで来なくて、クソ!!!!!と思いながら横浜まで飛んだ。
それが最後になった。

読み返したら泣いてしまうと思って読まずにいた当時の日記を、少しだけ載せます。


2012年12月23日㈰
ずっと待ってた。天皇誕生日でも、クリスマスイブイブでもなくて、ずっと待っていた。この日。ロールシャッハ、札幌公演。大千秋楽。
観る前からどきどきしてた。ね列1番、席から見えるセットにまたどきどきして、ノーナリーヴスのaugustが聴こえてまたどきどきして。観ている間も、ずっと、ずっと。スクリーンに「ROR SCHACH」の文字が浮かび上がった時から、ずっと。
(中略)
舞台が終わって、またaugustが流れて、カーテンコール、小林賢太郎が出てくる。スタンディングオベーション。
ロールシャッハ自体に泣ける要素はなかったのに、そこで泣いてしまった。ああ。目の前にいる。目の前に、同じ空間に、あんなに楽しそうに笑って。段々泣けてきて、最後は嗚咽を漏らしながら号泣していた。ああ、涙が邪魔で、もっとしっかりこの目に焼き付けたいのに、滲んでしまって。そうしてはけていく。いかないで。もう少し。
ああなんて素敵な舞台、素敵な人たち、幸せな日。
ずっと幸福感でいっぱいだった。
8月からずっと、この日を支えに生きてきた。ロールシャッハさえなければ、小林賢太郎さえいなければ、死んでしまおうと思うこと、何度もあった。
そうして、8月、「神様、どうかチケットが取れますように」って祈ったけれど、いつのまに小林賢太郎がわたしの神様になっていた。
ああ、わたしの神様。舞台の上で、楽しそうに笑っていた。
もう死んでもいいと思った。
でも、パンフレットに書いていた、「今あなたが向き合うべきことからどうか目を背けないでください。ちゃんと悩んで、ちゃんと動いて、ちゃんと乗り越えて、また一緒に笑おうよ」。
わたしは生きます。幸せな日だった。


2013年6月9日㈰
LIVE POTSUNEN 2013 P+。
聴きなれた音楽と、あの帽子と、トランプとブロックチェック。やっと目の前で感じられる日が来た。オープニングの世界観にやられて、コバケンが出てきたときはもう泣きそうだった。ああ、顔が見える、声が聞こえる、わたしの神様。
わたし、生きてる。あの人が舞台の上に立ってる。それだけに生かされている、と思った。
本当にあっという間だったな。今頃あのセットも跡形もないんだろう。
ライブ自体も最高で、笑って息を止めて手をたたいて握りしめて、幸せだと思った。でもカーテンコールで喋ってるコバケンを見て、その嬉しそうな笑顔とか、気取った話し方とか、胸が震えた。この人は確かに生きているし、わたしはこの人に生きている時代に生まれてこれたんだと思って。泣きそうで。何度だって死にたいと思ってきたけど、でもわたしは死ななかったし、死ななかったから今この場所で拍手を送れてるんだ、と思って。
かみさま。わたしを今日まで生かしてくれた人。わたしが生きてるのはきっと間違ってない。ああ。
愛してると思った。


あーーー。クッソ。泣いてる。案の定じゃん。アホか。

ずっと、神様だった。少しずつ大人になって、なにかに縋らなくても生きていけるようになっても、娯楽を娯楽として、勝手に崇めたてずに楽しめるようになっても、ずっと、「あの時あの人は神様だったな」と思い出していた。ただの「好きな芸能人」には一生ならない。今でもわたしが彼に宛がう名前は「10代のわたしの神様だった人」だった。「天才」という言葉が時に褒め言葉にならないのと同じように、そう思うことを良く思う人はあまりいないんじゃないかと理解するようになっても。エゴイズムで神格化して、馬鹿みたいだなって、わかっていても。

ひとつひとつ丁寧に全部思い出せる。彼が出ているPVをカラオケで見たいがために椎名林檎の茎を猛練習した。実際に歌って、彼のことを全く知らない友達の前で、騒ぎながら画面に向かって手を振った。あまりに騒ぐので友達も彼の顔と名前を覚えて、わたしと彼が並んでいるイラストを描いてくれた。家ではいつもコントに出てくる歌を口ずさんでいて、親に「何その変な歌」と引いた目で見られた。コントのセリフを文字起こしし、彼に興味のない友達を無理やり巻き込んで読み合わせをした。某小説投稿サイトに彼にまつわる話を書いて載せまくったら界隈で若干有名人になった。ちなみに今でもそのサイトで人気順に小説を検索すると30位くらいまで全部わたしの小説が出ます。
痛々しくて、愛しい思い出だと思う。いや正直書き連ねるのしんどかったよ。黒歴史だもん。若さと勢いってこええよ。思春期特有の、なにかを好きになりすぎて感情の行き場を失いおかしな行動に出るやつ、それの典型的なパターンだった。そもそも、根がね…………オタクだから…………。あの時読み合わせに付き合わせた友達へ。あれはマジの奇行だったね。ごめん。

でも、ねえ、思うよ、好きだったねえ。愛してたね。痛々しくもわたしの全てだったね。


そんで、ああ、書きたくないな。書きたくないけど。2020年、12月1日に、彼が表舞台を引退することを、知った。

2020年、どうなってんのよ、と思って。コロナで行きたかったライブも全部なくなってさあ、詳しく書かないけど人生でいっちゃん辛いんちゃうこれは?みたいなこともあって、追っかけしてたグループは4人から3人になって、カンピロバクターで入院して、それでこれよ、トドメじゃんこんなもん、ひどいよ神様、と、思ってから、ああだからわたしの神様は他ならぬこの人でした、と思った。

受け入れられる日は来るかな。まだ先だと思う。
引退声明文を読んで、何度も読んで、理由も、言葉の選び方とかそういうのも全部、悲しいくらい彼っぽい感じで、あー、マジなんだ、と、思っ、ダメだあ書いてて辛い。つらいよ。表舞台を引退するだけで創作活動は続けるんだから良いとか全然思えないよ。思えるわけないよ。彼の声が好きだった。笑った顔が好きだった。
もっと観に行けば良かったなんてゴミみたいな後悔だ。思いたくないのに思ってしまうね。思ってしまう。たった4度。終ぞ、彼と相方が2人だけで舞台に立っている姿を見る夢は叶わなかった。

彼はもうわたしの神様ではない。もうすぐ26歳になるわたしには、もう神様なんて必要ない。自分の足で立って歩いていかなければいけないことを知っている。信じるべきなのはいつだって自分だけだと心底思う。
でも。
神様が本当にいるならあんな形をしているんじゃないかと、今でも、たまに、思っていた。あんな顔をして、あんな声をして、あんなふうに笑うんじゃないかと。

2012年8月10日㈮
この人さえいればいいと、思える人がいるだけわたしは幸せだと思う。
わたしは小林賢太郎さえいればいい。

馬鹿だな。本気だったね。


本当に彼が存在しなければ死んでしまっていたかはわからないし、そんなことはないんじゃないかと冷静に思ったりもするけれど、当時のわたしが「彼がいるから生きていられる」と思い込んでいたという事実だけが、結局すべてだった。本当にそうかはあまり問題じゃない。誰が何と言おうと当時のわたしにそう思わせてくれていた唯一の人だったんだから、やっぱりわたしは生かされていたのだと思う。
あのタイミングで出会ったのが彼じゃなくてもね、他の何かでも同じように傾倒したのかもしれないけどね、でもそれも今となってはね。それが他の何かだった世界線のことなんて想像がつかない。ずっと、唯一だったよ。

舞台の上で、立って、喋って、笑っているだけで、生きていてよかったと泣かせてくれた人。
もう見れない。

もう見れない。え?もう見れないのか。ええ。マジなの?そんなに苦しいことってある?もうずっと辛いよ。
彼が、この間ツイッターに載せている漫画を更新したのを見て、ああこの世界のどこかで息をしていて、もう見られなくても、どこかでは確実に生きている。そう思ったら泣きそうになった。だけどその思いだけで立ち直ることなんて出来なかった。back numberの風の強い日という曲の「この町のどっかであなたは息をしている それが嬉しいのか悲しいのか涙が出るよ」という歌詞が脳内でぐるぐる流れた。いやいやいや。わたしへ。芸能人への思いをback numberの歌詞に重ねるのはキツイですよ。わたしより。

あーーーー。終わりが見えない文章だな。現在進行形でつらいもんな。つらい。ずっとずっと好きだった、ずっと、好きだった。クソ。いっそ好きにならなければこんなに苦しい思いをせずに済んだのかもしれないと思うけれど、好きでいたことで得た幸福を思うと、好きにならなければよかったなんて絶対に言えないよな。恋と同じです。ハ?
今はポルノグラフィティのうたかたの「こんな気持ちを知っただけでも幸せだと言えるのでしょう 胸は爛れ締めつけられても」という歌詞がぐるぐる流れている。わたしへ。芸能人への思いをポルノグラフィティの歌詞に重ねるのはキツイですよ。うたかた、名曲だよな。


はあ。どこでどんな感じで文章を締めたらいいのかさっぱりわからん。こんなもんどこまででも書ける。好きだった、好きだ、つらい、つらい、っていう話だけでまだまだいける。もー、信者って馬鹿にされてもいいよ。思春期真っただ中に信仰していたものについて書く文章なんてイタくならないわけないんだしさあ。そんなん書き始める前から分かってたし、あなたも読み始める前からわかってたでしょ。そもそもタイトルからしてもうイタイでしょ。わかっててこのタイトルにしたんだよ。いろいろ考えてみたけれど、これしかしっくりこなかった。案の定、出来上がった記事が、これよ。馬鹿にしていいよ。

つらいよ。もう終わろうかな。

あ、そうだ、最後に、2013年7月27日の18歳の自分へ。
あなたはラーメンズの演出補佐をしていた川尻恵太さんや大ファンだった夜ふかしの会の砂川さんが出演する「モコちゃん北海道へ行く」というイベントの為にSpace Art Studioに向かっていますね。終演後少しでも長く出待ちするために、夜の部のチケットを取りましたね。
今すぐ昼の部のチケットを取り直しなさい。
昼の部に、サプライズゲストであなたの神様が来ます。あなたが今座っている会社のデスクから、向かいの専務のデスクまでの距離もないほどの近距離で、あなたの神様を観ることが出来る人生唯一のビックチャンスです。逃してんじゃねえぞマジで。
今でも思い出す、人生最大の後悔!あの悔しさをバネにここまで生きてきた。ていうか職務中に記事書くんじゃねえよ。

あーあ。


熱に浮かされながらKKTVを眺める。小林賢太郎が生きて、現役で活動しているこの時代に生まれてきて良かったとわたしは思う。たとえこの先どれだけ人類が発達しても、便利な世の中になっても、未来は明るく幸せでも、わたしはこの時代に生まれてきて良かった。生きた小林賢太郎に出会えたから。

2013年1月のツイートです。
今もさあ、そう思うな。

さようなら。死にたかったわたしの神様でいてくれた人。
出会えて幸せだった。

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悲しいよ!

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