見出し画像

刑法

(『共同幻想論』によれば)刑罰の登場をもって、国家の完成とみなすことができる。
刑法の登場が国家である。
共同幻想の最終形態である「国家」は、刑法によって具体化したということです。

NHKテキスト 100分de名著 吉本隆明 共同幻想論

『共同幻想論』は学生のころに読んではいるのですが、このような記載があったこと気がついておりませんでした。というかこの本をまったく理解していなかったと思います。

今回、このテキストの該当箇所を読んで、「刑法」について深く腑に落ちました。とはいうものの、いまの私は「国家」にはまったく興味ありません。

私は、大学は法学部、刑法を専攻していました。国家との関係というよりは、人が犯す罪とその心について興味があったからです。

その後、あることをきっかけに、刑法への関心から、人の悪と死についてに関心が移り、それに深くとらわれるようになってしまいました。それが自分のなかで一応決着するまでに10年ほどを要します。何のことかわかりませんよね。

なお、どこかで読んだ「現代刑法は国家の恣意的な刑事権力の行使から国民の人権を保障するものである」といった意味の言葉も、目からウロコが落ちる思いをさせるものでした。

***

***

すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。

***

こんな本を読んだ』はブログで随時更新しております。よかったらご覧ください 



読んでいただけただけでうれしいです。