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立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 4.知的欲求の二つのカテゴリー

「こんな本を読んだ」の番外篇として、立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』からいくつかのテーマを選び、それらについて考えています。
この本を選んだ理由は、「知の巨人」と呼ばれた立花隆が。「知」をどうとらえていたかを明らかにしたかったからです。

今回は、「知的欲求の二つのカテゴリー」

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4.知的欲求の二つのカテゴリー


【結論】人間の知的活動は、暴走あるいは逸脱することがある


*今回は、文春文庫 1999年3月10日第1刷 24~35ページです

*この本には「知的好奇心」「知的欲求」「知識欲」ということばが混在しています。ここではすべて同じ意味として読んでいきます。

立花さんは、人間の知的欲求には二つのカテゴリーがあるといいます。カテゴリーとは分類のこと。すなわち、実用的な知的欲求と、純粋知的欲求。

実用的知的欲求とは、技術や工学などの実用な目的を実現するときにはたらく人間の知的なはたらき。
純粋知的欲求とは、実用的知的欲求を底でささえる知的なはたらき。「知りたい」という気持ちです。

立花さんは、人間は、強い純粋知的欲求をもっていたから「文明社会」を築くことができたとしていて、「純粋知的欲求」につよい共感をもっています。

ただ、いまの日本では、技術・工学などの実用的な面に重きがおかれ、純粋知的欲求にあたる基礎研究や、文系の学問が軽視される傾向があります。これはこれで、いかがなものかと、私は思います。


ここからは私見です。

立花さんは「知りたいから知りたいんだ」という、知的欲求がやたら激しい、異常知的欲求者というのがいて、自分もその一人なんだといっています。

しかし、実用的な知的欲求も純粋知的欲求も同じ人間の知的活動であり、どちらが上ということはないと、私は思います。

ここで注意しなければならないのが、知的欲求を含めた人間の知的活動は、他の要因もかさなって、暴走あるいは逸脱することがあるということです。

たとえば、核兵器や生物兵器の開発、好奇心からおかす犯罪など。これらをコントロールするのは、なかなかむずかしい

私たち人間はそのような社会や環境の中で生きていくしかないんじゃないかと思います。

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すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。

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