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『定年後、山登りが私の生涯の幸せを見つけてくれた』

 熱海在住の現在71歳の熊本寛見さん。高校時代は山岳部、大学時代は探検部へ所属、大手都市銀行入行後ニューヨーク勤務を含め、金融界を一直線に駆け抜ける。

47歳のときに元上司からの声がけにより外資系金融機関へ2度転職。60歳で定年退職後、遠ざかっていた登山を本格的に再開。山登りを中心に興味の輪がどんどん拡がり、いまではブログ、写真、水彩画、陶芸、料理、渓流釣りに焚火、史跡・遺構巡りととどまることを知らない。

そんな熊本流‟生涯の幸せ”の見つけ術とは・・・




人生で一番の仕事

 「自分の好きなことを見つけなさい」ドライブ中、ラジオから流れてきた堺屋太一さんの言葉。「一人ででもやりたいこと、赤の他人にそのことについて2時間、話せること、そしてそれが見つかったら10年続けなさい、そうすればその道の権威になる」と。「好きなことを見つけることこそ人生で一番の仕事」

・・・そのときはそんなものかなぁと思う程度でした。

 

退職までの閉塞感

 銀行以外の仕事や自分の将来のことを考え始めたのは50歳を目前にしてからです。銀行では50代で実質的な退職、60歳くらいまでは関連会社に出向するのが一般的に辿るコース。ただそこで待っているのは、今の序列、価値観、話題が同じ村社会が平行移動するだけの縮小均衡のイメージだけ。さりとてジョブチェンジや起業を目指す展望も沸かない、なんて悶々としておりました。

 

「濡れ落ち葉」回避のため、自問自答

 そんな生活が続いていたある日、頭の片隅に残っていたラジオでの堺屋太一さんの言葉、“好きなことを見つけるかぁ・・・”、が突然頭に浮かんできたのです。仕事をやめてから妻に濡れ落ち葉のようにべったりするのは嫌ですからね。あれでもないこれでもないと思いを巡らせるうちによみがえってきたのが高校時代の山岳部での楽しかった部活動でした。社会人になってからはすっかり離れていたものの、やっぱり自分にはそれかなぁ、と試してみることに。久しぶりだったこともあり会社の同僚に頼んで同行してもらったのが登山の再スタート、53歳頃でした。どんどん楽しくなって次々登っているうちに、日本百名山のうち40~50座はすでに達成していることに気が付きました。年にどれくらい登っていたのでしょうか、10~15座ぐらいかな……。そのころには山仲間も増え、ときにはひとりでも山に登っていました。その数70くらいになったときでしょうか、どうせなら百名山制覇を目指してみようかと意識し始め、それからは残りの山をいつどのように登るか計画をたてるのが楽しくて仕方ありませんでした。百座目の山は白山です。山登りを再開してから11年経っていました。

達成した日本百名山。山登り同士の会話では名刺代わりにはなりますね。

手作りシェルフに収まった百名山バッチ・切手

 

山がもたらしたもの

 実は人見知りなんです。でも山であれば、人が気にならなくなる。山で、だからでしょうねぇ。酒の席、飲んだ勢いで山へ誘っているときもあって、翌日冷や汗をかいたりします。家族はもちろん学友や、元職場の人、地域の人、ボランティア活動での初対面の人、山なら誰とでも気にならず行けてしまう。山、という大きな目標があるからでしょうか、たとえ山では同行者にこんちくしょーなんて思うようなことがあっても、すぐ忘れてまた行きたくなるんです。

 

 

人生観を変える景色

 初心者を同行するときには、北アルプスの燕岳に連れて行ってあげます。山頂近くにきてパッと広がった槍・穂高の景色が目に飛び込んできた瞬間、見入ってフリーズした人を見ると、「どうだ、すごいだろ!!」って思うんです。まるで自分の手柄みたいにね、とっても嬉しいです。

燕岳

 

ヒリヒリする

山にもよりますが、急な岩稜帯を登っているときなど怖くて、命のやり取りをしているかの如くヒリヒリします。「無事に下りたらもう怖い山はやめよう」とかね。でも戻ってきて、そのヒリヒリが熟成してくると、また山に登りたくなる。一種の麻薬効果ですかね。山で滑落してもしょうがないか、って思えるくらい。思えば仕事ではそこまでの思いはなかったなぁ。

 

山を中心に広がる楽しみ

山登りを始めてから必ずやっていることがあります。それは詳細な行動記録です。最初は高校の山岳部のときにつけ方を習いましたが、遠ざかっていたはずなのに、すっかり体に染みついておりました。そしてどんどん増えていくノートを「山日記」としてまとめたいと、製本技術を勉強しました。またひとつの自己表現になるでしょうか、ブログも始めました。そうするとより多くの人に見て貰いたいと、写真や絵地図なども工夫して取り入れ、旅行記のようになりました。それに伴いカメラにも凝りはじめ、行程図のための水彩画はYouTubeなどで習いました。

1年分ごとに製本した山日記のバックナンバー

濡れ落ち葉になりたくないと始めた山登りでしたが、今ではキャンプ飯から始めた料理の腕前も結構なものです。また、ちょっと優雅な楽しみに山の清水で野点を味わい、その茶碗も自分で作ります。楽しみがつぎからつぎへと現れてくるのです。

手作り野点セット

山を中心にどんどん興味が広がり、以前はまるで興味のなかった歴史も気になりはじめ、山の旅ついでに史跡、遺構巡りもするようになりました。山を介しての新たな交流、深まる交流、とことん好きだからこそ、そのコアの引っ張る強さを実感です。堺屋太一さんの「好きなことを発見して10年続けるとその道の権威になる、というのは、幅が広がるということなんだなぁとしみじみ感じます。

山から広がる楽しみの図

※詳細は喜暖坊のブログをご参照下さい。http://kinanbodays.cocolog-nifty.com/

 

幸せ満喫、それはふつふつ沸く達成感

 私のもう一方の楽しみであった山日記も随分な量になりました。それを開くと一気にそのときの感動が蘇ってきます。北アルプスの大キレットの険しい岩稜を一日かけて踏破し、ようやく辿り着いた北穂高の小屋のテラス。そこでコーヒー片手に来し方をゆるやかに眺めたとき。山梨県の山奥で尺岩魚を釣り上げ、焚火のそばで乾杯しながら釣果を語り合ったとき。なんとか難しいことを成し遂げた後のふつふつと湧いてくる達成感、大自然に折り合いをつけられた、なんか受け入れてもらった気もして幸せ満喫です。

北穂高の山小屋からコーヒー飲んで眺めた岩稜帯

でもまだやりたいことがいっぱいあります。イースター島のモアイ像の横に座って、ともに太平洋の海原を眺めたい、アラスカの大河ユーコン川をカヌーで下って鱒を釣りながらのキャンプ、キリマンジャロ、ついでにサバンナの野生動物も見てみたい、マチュピチュも麓から時間をかけて登ってみたい、黒部水平歩道踏破、日高山脈大縦走……。

 

境遇に合わせた価値観

 思えばサラリーマン時代には仕事中心の価値観「銀行、企業グループ、丸の内、金融市場、グローバル経済、日経新聞、スタバのコーヒー」だったのが、アウトドア中心の生活や地域の人たちとの交流といった生活のなか、すっかりフェイドアウトしました。どちらが良い、悪いではなく、時々の境遇や環境によって変遷する価値観を味わっています。ただ振り返れば仕事中心の価値観は、既製服に合わせているようなところがあったかなぁ。今はより自然体な価値観で生活しております。

 

これから定年退職を迎える人へ

 こうすべきだ、ああすべきだ、なんて言う言葉に引っ張られないようにした方がいい。定年が近づくとやれ人脈を作れ、なんていう話ばかりだけど、どうも自分にはしっくりこなくて・・・。

いくつまでにあれをして、これをして、なんてことに縛られるとそれ自体がストレスになる。それよりじっくりと自分の好きなことを見つけて、じゃあそれをするためにはどうしたらいいんだ?なんて発想がいいと思う。     

#生きがいの持続化 #イキイキ #ワクワク


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