『映画大好きポンポさん』感想

気になってた作品。超よかったのでもう一度見てきた。いろいろ語りたくなるが、映画作りがテーマなだけあって、ネットをざっと眺めたらすんごい詳しそうな人たちがけっこう突っ込んだレビューや論考を出しているようなので、ちょっとだけ個人的な(偏った)感想と、あと連想をいくつか。

公式サイトにある「ストーリー」はこちら。

敏腕映画プロデューサー・ポンポさんのもとで製作アシスタントをしているジーン。映画に心を奪われた彼は、観た映画をすべて記憶している映画通だ。映画を撮ることにも憧れていたが、自分には無理だと卑屈になる毎日。だが、ポンポさんに15秒CMの制作を任され、映画づくりに没頭する楽しさを知るのだった。 ある日、ジーンはポンポさんから次に制作する映画『MEISTER』の脚本を渡される。伝説の俳優の復帰作にして、頭がしびれるほど興奮する内容。大ヒットを確信するが……なんと、監督に指名されたのはCMが評価されたジーンだった! ポンポさんの目利きにかなった新人女優をヒロインに迎え、波瀾万丈の撮影が始まろうとしていた。

幸せな「狂気」

この作品で好きな点はいくつかあるが、まず1つ挙げるなら、「狂気」が描かれている点だ。映画作りをテーマにした作品というと最近のものでは『カメラを止めるな!』(2017)を思い出すわけだが、あれが「狂気」をコミカルに描いていたのに対して、本作での「狂気」は高揚感や躍動感に満ちている。そのあたりは『映像研には手を出すな』(2020)に近いかもしれないが、舞台が映画の都「ニャリウッド」な分、スケールがさらに大きい。ポンポさんのセリフ通り、「ようこそ夢と狂気の世界へ」だ。

その「狂気」を最も体現しているのがジーン君であるわけだが、何がいいってその「狂気」がダダもれでかつ実に楽しげなのがいい。編集作業で素材の映像をめった切りにしていくシーンは、たった1つの夢のために他のすべてを切り捨てていく、ある意味残酷なシーンだが、ジーン君にとっては「地球上で一番幸せ」な瞬間だ。マウスを握りキーボードを叩くイッちゃってる目のジーン君は、チェーンソーを手にした例のあの人すら想起させる鬼気迫るものがあるが、同時に夢中になって遊ぶ子どものような幸福感に満ちていて、全体としてスピード感あふれる痛快なアクションシーンにもなっている。

とはいえそれが純粋にいい話かっていうとそうでもないわけで、過労でぶっ倒れるまで徹夜して編集室にこもり、安静にしていろといわれた入院先の病院を抜け出してまた編集作業に戻るシーンはまさに「映画を撮るか、死ぬか、どっちかしかない」というジーン君のセリフそのまま、本人が好きでやってるとはいえブラック職場にはちがいない。こういう「仕事に命をかける」的な言説はワークライフバランス的な意味で近年なかなかしづらくなっているが、ひそかに共感する人は少なくないだろう。誰もが賛同するとは思わないしその必要もないが、少なくとも創作の世界にはこうした考え方の人がいてもいい、ぐらいには思うし、それ以外の世界でも、そういう人がいるからこの社会はなんとかもっているのではないか、とも思う。

「オタク」の夢、私たちの夢

見ながら「何かに似ているんだが・・うーん」と思っていたんだが、あとで気づいた。『ベイマックス』(Big Hero 6, 2014)だ。本作の舞台となっている、ハリウッドっぽい街「ニャリウッド」に日本ぽいキャラクターが出てくるあたりはどことなく『ベイマックス』の舞台「サンフランソウキョウ」(San Fransokyo)感があるわけだが、それよりもこの2作品はいずれも「オタクの夢」を描いているという点で通じるものがあるように思う。理系オタクが自分の発明でヒーローになるのが『ベイマックス』、映画好きが自分の映画を作って大ヒットするのが『ポンポさん』というわけだ。Jockとnerdならnerd、suitとgeekならgeekの側に属する人たちの夢。

もちろん、ジーン君の「社会不適合者」っぷりは『ベイマックス』のヒロの比ではないが、あの突き抜けたところが逆に好感ポイントでもある。ポンポさんがジーン君に言う「幸福は創造の敵」ということばはまさにジーン君にぴったりだが、ジーン君ほどではないにせよ「社会不適合者」の自覚を持つ人たち(けっこうたくさんいると思う。私もその1人だ)にとっても「ああ、自分も社会に存在していていいのだ」というある種の赦しを与えてくれるような気がする。

とはいえ本作は「オタク」だけのものではない。原作には登場しないアランというキャラクターが登場するが、彼と彼が物語の中で果たす役割は、この映画が映画ファンだけに向けられたものではないことを原作よりはっきりと示している。作中で製作される映画『MEISTER』が、全てを失った老天才指揮者ダルベールが少女リリーとのふれあいを通じて音楽への情熱を取り戻していくさまを描く中で、居場所がないと感じている人、打ちひしがれた人、大切なものを失った人、日々の生活に困っている人、自分を見失ってしまった人、自分のふがいなさに絶望する人、目標に向かって苦闘する人、その他多くの人たちに、立ち上がる勇気や歩き続ける力を、その完成に期待する世界中の人たちに彼らを応援しようという情熱を与えたのと同様、本作を見る私たちもまた、本作が心の奥底に残した火種を実感することになろう。この映画が描くのは、がんばる人たちの夢でであり、同時にそれを応援する人つまり私たちの夢でもある。

好きな登場人物

『MEISTER』が実際に作られることはないだろうが、見てみたい気はする。いかにもありそうなプロットだが、ドンピシャのものは知らない(あるのかな?)。ちなみに、ジーン君が最もいいシーンとして即答した「リリーがアリアを口ずさんでいる所をダルベールに呼び止められて振り向くシーン」で歌われる歌は、原作でもいくつかのレビュー記事でも「リリーが歌うアリア」と書いてあるが、たぶんあれはマタイ受難曲でもアリアじゃなくて44番のコラール(つまり合唱曲)『汝の行くべき道と』(Befiehl du deine Wege)だと思う(マタイ受難曲では同じメロディが何度か使われるがリリーが歌ってたのは記憶が正しければ44番。原作ではまちがいなく44番)。本来はイエスに対するピラト総督の尋問の始まりの歌だが、「行くべき道が示される」みたいな内容だから、失意から立ち直ったダルベールが音楽への情熱を取り戻す瞬間にふさわしい曲かもしれない。確かにあのシーンのリリー(演じるのは新人女優のナタリー)はすごくよかった。

とはいえ作中で一番お気に入りなのはジーン君の先輩監督コルベット。フルネームすらわからないキャラだが実にいい人かついい立ち位置。「誰か1人、その映画を一番見てもらいたい誰かのために作ればいい」もすごくいいアドバイスだと思う。ちょっと例がちがうが、くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』で、舞台であがってしまったときは知った顔を探せ、というのを思い出した。自分を見失わないためには人とのつながりが重要ということなのだろう。編集作業で心身ともにぼろぼろになったジーン君をナタリーが支えたように。

自分の「3本」

本作では登場人物の好きな映画3本がいちいち紹介される。原作だとなぜそれらが選ばれたかについてそれなりに理屈の通った理由が書いてあるので、読んでて「じゃあ自分だと何だろう」と考えてみる気になった。好きな映画はたくさんあるから難しかったが、しばらく考えて出てきたのがこれ。

・『転校生』(1982)
・『炎のランナー』(Chariots of Fire, 1981)
・『スター・ウォーズ』(Star Wars, 1977)

どれも似たような時期の作品で、要は自分が若かった頃に繰り返し見たものというオチだが、強いていうなら「行ったことのない場所、見たことのない風景」といったところか。『転校生』はいわゆる尾道三部作の1つめだが、当時行ったことのなかった尾道は私にとって憧れの場所だった。急な斜面に立ち並ぶ家と細い道もさることながら、『G線上のアリア』をバックに広がる瀬戸内海の夕暮れを映画館のスクリーンで見たときの胸がしめつけられる感覚は今でもはっきり覚えている。『炎のランナー』だとケンブリッジ大学もそうだが、一番ぐっときたのはオープニングに出てきた英国南部の海岸。初めて海外旅行に行ったとき、迷うことなく行先に英国を選んだのは、あの日本とはちがう空と海の色を見たかったからだった。『スター・ウォーズ』の場合は主人公ルークの住むタトゥイーンに沈む2つの太陽、それになんといっても宇宙空間の広がり。それまでに見たSF映画であれほど宇宙空間の広さを感じたことはなかった。あと3つとも音楽が印象的というのもあるかも。

すべての創作者に

考えてみれば今は旅行が難しい時期だ。自分が上の3つを選んだのは、「行ったことのない場所に行きたい、見たことのない風景を見たい」という今の願望のあらわれなのかもしれない。現実に満たされない人のために映画があるのだとすると、今はもっと映画を通じていろいろな場所へ旅するべきなんだろう。幸い映画館は感染対策の上で営業できるようになったし、何ならディスクや配信だってある。みんな、もっと映画を見るといいよ、ということで、映画好きの人に。もちろんそうでない人にも楽しい映画だと思う。特に創作をやっている人にお勧め。

ブログより転載


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