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伝統じゃなくても

林業は伝統的なのか

林業みたいな伝統的な産業は大事にしないといけませんね!みたいなことを言われることがあります。しかし、林業は伝統的なのかと言われると結構あやしいよなあと思います。

そもそも西粟倉には昔から、あまり人工林がありませんでした。だいたい薪をとるための山だったり、炭焼き窯があったり。家畜のための牧草地も多くあったようです。丸太の生産は限られていました。

そしてその数少ない人工林でも、戦時中・戦後直後にかなりの量が伐り出されてしまいます。「兵隊さんが来て伐っていったらしいで」「じいさんが小遣いにしてしもたんじゃ」当時の山林はかなりの財産になったはず。

ドイツが東西に分裂した年、西粟倉村の山にて
羽田くんのブログより

結果として、1950年代の西粟倉は非常に森林資源の少ない村になっていたようです。これは日本全国的に見られた現象でもあります。

1946年 坂根あたり
よく見ると、木がほとんどないよ!

そして1960年代。全国的に建材が不足したため、ありとあらゆるところで植林が進められました。西粟倉もガッツリその流れに乗りまして、村史の資料にも毎年「○○ヘクタール造林」という文字が並んでいます。

2021年 坂根あたり
木しかねえ!

現在、西粟倉の人工林率は8割。実に330万本のスギやヒノキが植わっています。孫の世代にラクをさせてやりたい!という気持ちが西粟倉を一気にスギやヒノキの山々へと、村の風景を変えたわけです。

そんなわけで。こんなにスギやヒノキが生えている西粟倉は、歴史上初めてなのです。60年経ったとは言え、戦後から始まった第1回目の植林→収穫をトライしている最中。木々はまだ、若いとすら言える状態です。

ちょっと、伝統的とは言いづらいですね。

そもそも伝統的って難しい

学生時代、ケニアに行ってた時の話です。この辺の伝統的な食事ってなんなの?と聞くとよく「チャパティ」という答えが返ってきました。チャパティは、ナンの親戚みたいな食べものです。めっちゃ美味しい。

動画の2:40くらいのやつです。

ですが、チャパティというのはそもそもインド周辺の食べもの。イギリス植民地時代に鉄道建設の労働者としてインド人を東アフリカへ送り込んだ時に、食文化もいっしょに送り込まれたというわけです。

100年前程度に初めて持ち込まれた食べものを、伝統的と言って差し支えないのでしょうか。チャパティはたしかにケニアの食文化の中心選手ですし、伝統的だ!と言われれば納得するオーラです。しかし…。

日本でも、初詣なんかは伝統行事の代表だぜ!みたいな顔をしていますが、鉄道の発展とともに、せいぜい明治時代ごろから一般化したのではないかという話です。伝統とはなんぞや。

敬意を払うために必要なもの

そんなわけで、伝統という言葉自体がかなり怪しいので「伝統的だから(昔からあるから)大事にしないとね」という言説はあまり好きではありません。林業にしろ、それ以外の何かにしろ。

昔からあるから守っていかないとね、と言う時に守られる山のイメージ

たぶん、そこに「伝統的だから」という理由付けが不要なんです。ただ「大事にしたい」と言うだけで本当はいいんです。なぜそういう不思議で弱々しい理由をくっつけたくなってしまうのか。

理由を失うと、言葉は一気に主観的になってしまいます。自分個人が大事だと思ってるのです!と主張することになってしまう。それがなかなか、ハードルが高いんですよね。理屈ではなく、行動で示す必要が出てきてしまう。

だから、安易な理由をくっつけて安心したくなります。
伝統的だとか革新的だとか、価値があるとか、ないとか。

そういう理屈をこねた世界に安住するのではなく、素朴に自分の中から生まれてくる言葉だけで「山を大切にしたいね」って言えるひとが増えると、きっと見える景色が変わってくるだろうな、と思っています。

僕もまだまだですが、がんばっていきましょう。

(田畑直)


この記事は、百森 Advent Calendar 2021の22日目です。

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