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たき火観の違い

たき火は好きですか?

私のように都会から西粟倉に引越してきた人間は、ことあるごとにたき火を求めがちです。ちょっと広い場所があると火を起こしてもよいか気にしてみたり、イベントではキャンプファイアを提案したり。

そして我々は火にあたりながら「やっぱりたき火って良いですね」という類の言葉を口にします。「炎のゆらめきを眺めていると、狩猟時代の本能のようなものが呼び起こされるというか」などと呟きながら。

最高の気分

落ち着くんですよね、どうも。ずーっと見ていられます。僕は、息をふーっと吹きかけた時、一瞬静かに収まったように見えてから、炎が勢いよく踊りだす…あの一連の静から動への流れがたまらなく好きです。

他にも「たき火」という主役が場にいることで、他のひとと一緒の空間を過ごすことがラクになるという気もします。雑談が得意ではない自分からすると、火の面倒を見ていれば大丈夫という安心感がある。

火に群がる移住者達 @solobase_camp_nishiawakura

西粟倉に昔から住んでいる人は、そんな風にたき火を求めるひと達のことを不思議そうに眺めていることが多いです。否定するまでは行かないまでも、うっすら「なんで?」という疑問が見え隠れしています。

実際のところたき火の存在価値は不明瞭なのです。直火で何かを食べたいならば、バーベキューのほうが合理的。みんなで集まり、ゆっくり会話がしたいのならば、誰かの家なりお店なり行けば良いでしょう。

森を味わう薪の宿元湯さんのグリル こっちのが断然料理はラク

なので、わざわざ「たき火をしよう」なんていう行為が違和感のある行動に映るのは仕方ないのかも知れません。落ち葉などのゴミを燃やすという分かりやすい目的があるならば、火を眺めゆっくりするのも良いでしょうが。

鹿肉なんかも似たような現象が起きがちです。都会出身者は有難がるけれど、村出身者はあまり好んでは食べない傾向があります。(最近は村内に持ち込み可能な解体施設ができたからか、前より流通していますが)

そう考えると、幼少時にどうやって「たき火」や「鹿肉」に接したのか?というのが結構大事な要素なのかも知れません。野焼きの延長でたき火が身近にあった層と、キャンプなど非日常とたき火がセットの層と。

実際、村外の方に元湯さんの焚き火スペースは大人気

そして、どちらも自分の価値観が当然と思い込みがち。たき火する派は、揺らめく火には魅力があるし、それを求めるのは本能だろう…という。たき火を好きな自分に説得力が欲しくて、理由を発明しちゃうんですかね。

もしかすると実際には、隣の芝生は青く見える的に、非日常を求めているだけかも知れません。自分の常識や、発見したつもりの真理みたいなものが、何によって構成されているのかはなかなか気づきにくいものです。

ともあれ。たき火やりたい派の私としては、たき火勢力圏を拡大し、今後もたき火で遊んでいきたいところ。わざわざたき火なぞせいでも…という方には、楽しんでもらう程でなくても、理解はして頂きたいものです。

どうすれば良いのか。たき火に魅力があまり無いよねえ…?と言ってる方に、たき火の魅力を滔々と語ることの効果は薄いでしょう。これはなかなかの難問です。

一緒にたき火でもしながら、考えてみませんか。

(田畑直)


この記事は、百森 Advent Calendar 2021の8日目です。


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