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山の神いろいろ

毎年、師走になると、クリスマス会や、忘年会。日本のオトナたちは、こういうった名目で飲食をする機会が増える方々が多いのではないでしょうか。

そんな師走、林業界では、「山の神」さまの季節だな、と思う人も多いかと思います。

少なくとも私は思っていました。北東北にいた頃は。

というのが、私の住んでいた東北の山で働く人々は、11月の末頃から、今年の山の神はどうする?的な話で持ち切り。一年のピークをここに持ってくるために生活しているくらいの力の入れようです。イメージ、岸和田のだんじりに備える猛者たちのよう。

じゃあ、その山の神祭とは何ぞや?というと、北東北の場合は、こんな感じでした。

北東北の山の神祭:12月12日に実施。山の神様が、木を数えているので、人が入ったらケガをするとか、木と間違えられて数えられ、木になってしまう!ので、その日は一日、お休みをする。その日は山に入らず、神事をおこない、山の神に感謝する。また、山の神は醜女なので、自分より醜いものがあれば喜ぶとして、顔が醜いオコゼを供える。そして、その後、一年の無事を感謝し、慰労会が開催される。先述の「力を入れ」ていた部分は、もちろんこの部分で(笑)、この日ばかりは無礼講、カラオケあり、出し物ありで、一年どころか、一生分じゃないかという勢いで(それでも毎年ある)ねぎらいの宴をしていました。

ところが!西粟倉に来てみると、どうも違う。

西粟倉の山の神:神事は特に行わない!が、山の神の日は、ヤマには入らず、現場で働く人々が、山の神様に感謝をして、お互いを慰労する日、としてお祭り(という名の慰労飲み会)をする。日時は、11月のことが多いよう。

そして、そのお隣の古くからの林業地である鳥取県智頭町もまた、どうやら違うようなのです。

智頭の山の神:毎年、旧暦2月と、10月9日に行う。その日は、春は山の神様が種を蒔き、秋に山の木の本数を数える。よって、人間が山に入ると、数を数え間違えるから入ってはいけない。そして、山の神様が祀られている祠に山の神様の好物である、小豆ご飯と蕪の味噌汁お供えする。

おっと、お供えものまで変わってしまった!!

たった3地域の話(しかも2つは隣接)ですが、こんなにも違う!

昔の人の行動範囲を考えると当然といえば当然なのですが、同じ神様の信仰なのに、色々違って面白い。そして、西粟倉に至っては、ほぼ信仰は消え、祭りだけが残っている状況です。(注・全林業関係者に聞いたわけではないので、この地域がすべてそうだ!というわけではありません)

色々と形が違えども、各地で今も残っている山の神信仰。こんなにも残っているのはなぜでしょう?

最近の林業は、機械化はもちろん、IT化もようやっと進みつつあり、現場作業の過酷さも以前よりはだいぶ軽減されています。でも、そうはいってもまだまだ危険な業であり、死亡率も高いです。一説によると、自衛隊同様の危険度です。

なので、一年を無事に終えることができたとき、山そのものにも感謝し、仲間同士を労う習慣が、他の業種よりも残っているんだろうな、と思います。

また、私の感覚としては、ヤマで働く人々はみんな大酒飲んでワイワイいうのが好きな人が多い(かつての林業者は、採用時、飲酒試験があったのではないかと思われるくらい、大酒のみしかいない!)ので、山の神様の言い伝えと、林業関係者の気質が合致して、この営みが各地で残っているのかな、とも思っていますが。なにせ、神様の祀り方には地域性があるのに、神事後の「宴」はどこでも実施されている!

のんべえ節はさておき、天候や地形といった、人ではなかなかどうしようもない部分が多い林業。風害、雪害等神頼みしたいくらい、ガーン、となることがいっぱい。でも逆にいうと、自分たちだけではどうしようもない=己の限界を知る ことで、謙虚に仕事に向き合い、自然と対峙しながら仕事をしよう、ということを改めて思い直す、そんな日としても大事なのかな、と思ったり。だからこそ、呑まないとやってられない!と大酒のみ体質が強くなった気がしなくもないですが。。。これじゃ、結局のんべえ節ですね。ありゃりゃ、、、

というわけで?地域でいろいろ違えども、見守ってくれているであろう山の神さま。今年も一年、無事に大きな事故、ケガもなく仕事ができました。来年も無事に西粟倉の山々での仕事を見守ってくださるよう、よろしくお願いします。

(長井美緒)


この記事は、百森 Advent Calendar 2021の10日目です。

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