ライフインホワイト 10
「宇野……君」
「有村会長……」
そこにいたのはよく見知った女性だった。
有村夕夏。
宇野耕輔の通っていた高校の一年先輩で、生徒会長を務め、そしてかつて『宇野耕輔』の仲間だった女性だ。
俺が彼女の姿を見たのは実に彼女の卒業式以来のことで、三年近く会うことはなかった。
「……」
「……」
お互いに気まずい沈黙が流れ、思わず顔を逸らしてしまった。
何故三年も顔を合わせることがなかったのか、その理由を考えてみれば当然の沈黙だった。
『宇野耕輔』は彼女たちを裏切り、彼女たちは俺を見限った。
そういう関係だ。
お互いにこの場で口に出すべき言葉を見つけられなかった。
「…………その、会長じゃないわ」
「え……?」
沈黙を破ったのは彼女の方だった。
しかし、彼女の言葉の意図がわからず聞き返してしまった。
「もう、あの頃の生徒会長じゃないわ、宇野君」
改めて彼女の方を見た。
あの頃の、自信満々の笑顔とは違う困ったような柔らかい笑みを浮かべていた。
「え、あ、そ……そうですよね。えーと、じゃあ……有村さん?」
三年も経ち、お互い大学生ともなれば当然なのかもしれないが、なんだか記憶の中にいる有村夕夏とは雰囲気も少しだけ変わっていて、どうにも居心地が悪い。
そして俺の言葉に否定も肯定もせずクスリと静かに笑う彼女に、一抹の寂しさや虚しさが胸の奥を小さく突いた。
「……さて世間話をしていたいところだけれど、宇野君。」
彼女が言葉を区切り、目が合う。
先程までの笑みとは違う、こちらを貫くような真剣な眼差し。
「悪いことは言わない、今すぐ手を引いて帰りなさい」
「でも俺……――」
説明をしようとした俺の顔の前に手の平が出され、言葉を遮られた。
「貴方の性格と今の格好を見れば、話を聞かずとも大方の察しが付くわ」
彼女は視線を濡れている俺の上から下に動かした後、小さくため息を吐いた。
取り付く島もない。
『宇野耕輔』をよく知る彼女からしてみれば、俺の行動など容易に想定できてしまうのだろう。
「貴方はもうこちら側の人間じゃない。宇野耕輔は『主人公』ではなくなったのよ。だから、ここから先は貴方の関わるべき世界じゃない」
有村夕夏の口からぴしゃりと放たれたその言葉は、果たして誰に向けたものだったのか。
少しだけ考えた。
自分とは違うかつての自分を。
目を閉じて、息を吐いて、目を開く。
彼女とまた目が合う。
揺るぎないはずの真剣な目の奥が、幽かに揺れていた。
「……有村さんが関わっているってことは『協会』が出て来るような事件ってことですか?」
俺は『主人公』ではなくなってしまった。
今の俺には彼女の覚悟や後悔、心情を完璧に理解することなんか出来ない。
出来る訳がない。
だから、前に進むしかないのだ。
そして、きっと、『宇野耕輔』もそうしただろう。
それだけはわかる。
かつての『宇野耕輔』が自分自身ではないのと同じように、かつての『宇野耕輔』は自分自身でもあるから。
「……」
答えは返ってこなかった。
きっと、今の俺には答えてくれないのだろう。
おもわず苦笑してしまった。
どんなに覚悟を決めていても、どんなに慣れたと思っていてもかつて仲間だったはずの人間との関係が何よりも自分がかつての自分と違うということを思い知らさる。
息を吐いて、彼女に背を向けた。
それでも、俺には進むしかないのだ。
大きな収穫は得た。
上位FP能力者であり、名門有村家の人間である彼女が関わっている、そのこと自体が大きな収穫だ。
だから、進む。
目の前の暗い道を見上げて、歩き出す。
「っ……!! 待ちなさい、宇野君!!」
彼女の声が路地の空間に響いた。
振り返る。
強張った表情の有村夕夏がそこに居た。
「この事件には指名手配中のFP能力者を雇ったアウトロー達が関わっているわ。そんなの相手に今の貴方じゃ何もできない。貴方が傷ついてしまうだけじゃない!!」
どんな相手が関わっているのか口に出したのは、俺が彼女の対応からそれらを予想したことを悟ったからだろう。
きっと彼女は俺との関係をどのように位置づけるべきなのか決めかねている。
「……おそらく俺の知り合いの女性が関わってしまっているんです。だから、立ち止まれないです」
そしてそれは俺も同じだ。
だから、この場を後にするしかなかった。
彼女の制止を振り切るように、彼女の続く言葉も聞かず、俺は路地を後にした。
帰路に着くことにしたのはそれからほどなくの事だった。
気温が下がってきたことで雨に濡れた衣服に耐えられなくなってきたこと、これ以上の手掛かりを探す算段が何もなくなってしまったこと、そして何より精神的に随分と消耗してしまったこと、それらの理由が重なって俺は一度自宅へ戻る決断をすることにした。
スマートフォンの時間表示を見るとギリギリまだ最終電車に間に合う時間で、俺は駅へと急ぎ発車寸前の電車に飛び乗った。
俺と他数人の駆け込み乗車を注意するアナウンスが流れた後、滑るように電車が動き出した。
最終電車は座れない程度には混んでいて、俺は立ったままただじっと窓の外を眺めた。
電車の窓からは冷たい雨に濡れた街並みが見える。
疲れてしまった。
疲労が心と体を蝕み、どんよりと身体が重くなっていくのがよくわかる。
心の奥は確かにまだ燃えているはずなのに、思うようには動けなかった。
こうしている今も綾瀬さんは一刻を争う状態にいるのかもしれない。
いや、もしかしたらもう……――。
その焦燥が肩にのしかかるような、そんな気分だった。
電車が止まる。
また人が入ってきた。
少し詰める。
衣服が濡れているせいだろう、隣の人に怪訝な顔をされた。
また電車が動き出した。
これからどうしようか。
少しでも気分を変えてみようと考えてみるが明るい展望は何もなかった。
そもそも『協会』が動いているならば、最早一般人でしかない俺が綾瀬さんを探す意味はあるのだろうか。
『協会』は大きな組織だ。
俺が何をせずともきっと事件を解決するだろう。
しかし『協会』が介入しているのならば、何故綾瀬さんは帰ってきていないのだろう。
彼女がいなくなって一週間、解決には十分な時間だったはずだ。
また内部のゴタゴタだろうか。
人の命がかかっているというのにお偉方は何を考えているのだろう。
いや『協会』にしてみればたかだか一般人一人の命など安いものなのかもしれない。
だとしたら、やはり動かないわけにはいかなかった。
どんな相手だろうと、それがわかってしまっている以上見過ごすわけにはいかない。
ほんの少しだけ、また活力を取り戻した。
いつの間にか下がっていた頭を上げる。
車窓は雨に濡れた夜の街ではなく、明るく乾いたホームを映していた。
ちょうど自宅の最寄り駅だった。
駅から自宅まではそれなりに離れている。
普段の登下校にバスを利用しているのもそれが理由だ。
駅を出て、日付を跨いだ暗く静かな住宅街を歩く。
一度帰ってシャワーを浴びて、着替えて、再び街に繰り出すつもりだった。
自宅の手前にある小さな路地の十字路が見えた。
おそらく自宅に近づいたことで気が抜けていたのだろう。
俺は背後に近づく人影に気付くことが出来なかった。
いや、気づいたところで今の俺にできることは何もなかっただろう。
道を曲がった直後だった。
後頭部に衝撃が走り、俺の意識はあっけなくブラックアウトした。
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