方向感覚
ダダン!!
合図のように視線を飛ばしてドラムのキメを叩くと、それに合わせてエレキギターがEのコードを大きく唸らせた。
やがて残響音が止んで、俺たちは視線を合わせ、お互いに息を吐く。
「……先輩、相変らず上手いですね」
部室の、半ば備品と化している誰のかもわからない廉価品の赤いストラトキャスターを肩から下げた風島清景はアンプの上に置いていたペットボトルに手を伸ばしながらそう言った。
俺――久我健太郎は清景のその言葉にとりあえず苦笑を返した。
「いやぁ、でも久しぶりだから腕は落ちてるよ」
こうしてドラムを叩くのは数週間ぶりだった。
俺は既に高校三年生で、季節が秋ともなってしまっており、絶賛受験へと向かっていっている。
部長を務めていた軽音楽部も既に引退していたが、その時の顔を使って時折こうして軽音楽部で使用している防音室を借り、ストレス発散という名目で楽器の演奏をしているのだった。
もちろん軽音楽部の活動が休みで防音室が開いている時に。
俺はスネアの上に置いたドラムスティックを二本まとめて掴み、柔軟がわりに腕を伸ばした。
何時になっただろうか。
この部屋には窓がないので出入り口の扉の上に掛けられた時計で時刻を確認する。
まだ16時を回ったばかりだった。
清景の方を見る。
どうやらギターの調子が良く無いようでヘッドに取り付けたクリップチューナーを見ながら頻繁にヘッドのペグをいじりチューニングを合わせているようだった。
おそらく現在の軽音楽部の部員は誰もあの赤いストラトキャスターのメンテナンスや弦交換を行っていないのだろう。
考えてみれば、俺が現役だった頃にあのギターの面倒を見ていたのは俺だった。
「弦死んでるだろ、それ」
「死んでますね……。ギリギリ切れないではいてくれてますけど」
苦笑して言葉を投げかけてみれば、清景も苦笑混じりに言葉を返してくれた。
俺は持っていたスティックを再びスネアの上に置き、床に置いたペットボトルを手に取った。
「自分のギター持ってきた方が良かったんじゃないか?」
ペットボトルに口をつけてから清景に訊ねると、チューニングの手を止めて視線を宙に投げてから口を開いた。
「俺、エレキは持ってないじゃないですか」
「あー、そうだったな」
「アコギだとデカいんで持ってくるのめんどくさいんすよね」
「あのアコギもおさがりなんですけどね」と付け足して清景はギターのチューニングに戻った。
俺はなんとなく少しだけ気まずさを覚えてしまった。
ペットボトルを床に戻してスティックを再び握り、気持ちを紛らわせるように軽く8ビートを叩いた。
先程よりもドラムの手応えを感じられる。
感覚が戻ってきていた。
風島清景は軽音楽部員ではない。
俺が清景に出会ったのはまだ清景が一年生だった時のことだった。
4月の終わりごろ、清景が部活動の見学で軽音楽部の部室に訪れてくれたのが出会いだった。
ほとんどの生徒が友達を伴って数人で訪れるか、先に部員に勧誘されてきたかのどちらかの中で、一人ふらりと部室に訪れた清景の姿は俺の目を引いた。
丁度、勧誘係のリーダーをやらされていた俺は細かい作業の合間を見つけて清景に話しかけた。
中学に上がるまでは幼馴染のお母さんにピアノを教えてもらっていたことや彼の叔父さんから譲り受けたギター弾いていること、好きな音楽の話や楽器の話、他愛のない会話をした。
会話は不思議とかみ合い、お互いにそこそこに趣味が合い、そしてそこそこに趣味が合わなかった。
その時点で既に俺は風島清景という少年になんとなく関心をそそられていた。
それはきっと、短いその会話の間の中でも音楽に対して清景が俺と同じような方向感覚持っているように感じたからだろう。
それは今を以って、一緒に軽音楽部所属していた部員達や学校外でいくつか組んでいる、或いは組んでいたバンドのメンバーの誰にも感じたことの無い感覚だったのだと思う。
それから部活動の詳細や部室と防音室にある備品の話をした。
清景はその話も興味深そうに聞いていた。
最後に勧誘の話をした。
俺は当然ながら清景に実際に所属して欲しくて勧誘をした。
俺の勧誘を受けた清景は、しかし、あっさりと横に振った。
なんとなく、そんな気はしていた。
それは手応えだとかそういう話ではなく、清景の雰囲気から察していたのだと思う。
音楽が好きで、楽器も好きで、部活に入りたい気持ちが全くないわけではないがどうしても所属する気持ちにはなれない、と丁寧な言葉で告げられた。
それ以上、清景はその理由を告げるようなことをしなかった。
清景の言葉に納得はしたものの諦めきれなかった俺は部活の件はひとまず横において、個人的に時々一緒に演奏しないか、と提案した。
それに対して清景は苦笑を浮かべて困ったような表情をしていたが、首を横に振るようなことは無かった。
それから、俺と清景はこうして防音室の空いている隙を狙って演奏するようになった。
部外者である清景とのセッションのような演奏は月に一回程度という頻度で、決して他の軽音楽部員やバンドメンバーと比べて合わせる機会が多い、というわけではなかったがそれでも一緒に演奏して一番楽しいのがこの時間であることも事実だった。
いつの間にかチューニングに納得がいったのか清景がEのコードを鳴らした。
赤いストラトキャスターの鳴らした音が清景の後ろに置かれたスタックアンプで増幅され大きな音として出力される。
その音に清景は納得したように一人頷いて、別のコードを幾つか続けて鳴らした。
手癖のような単純なコードの進行であったが、続けて鳴らせば曲のように繋がっていく。
目線が合う。
口角を上げて、スティックを握りなおす。
清景の弾く単純なコードの繋がりにドラムを合わせる。
ゆったりとした曲調。
お互い難しい事は考えずに曲を展開させる。
正しくセッションというやつだった。
なんの決まりも決めずに始めたセッションは長く続くわけもなく、2分も続かずに尻すぼみになって終わってしまった。
清景がもう一度チューニングを合わせる。
今度はすぐに終わった。
「やっぱ適当にやっても続かないっすね」
「そうだな。せめてもうちょっと決めてからやった方が続くだろうな」
「ノリだけでしたからね」
清景は、ギターのボリュームを0にしてアンプからの出力音をなくしたギターをチャカチャカと弾いていた。
「次、何しようか」
俺がそう告げると、清景はギターを弾く手を動かしながら虚空を見上げた。
「何します?」
一年半以上、こうして二人で演奏してきたのでレパートリーはそれなりにある。
だから、俺はこういう時に決まってこう言った。
「清景の好きな曲でいいぞ」
こうして付き合いが続くことになったのは、清景と合わせること自体が楽しいからだ。
だから、俺としてはなんの曲でもいいし、それならば清景の好きな曲で合わせたほうがいい。
俺がいつも通りにそう言うと、清景は少し悩んだ仕草を見せてからもう一度チューニングをいじり、絞っていたギターのボリュームを上げ、ギターを鳴らした。
アンプで歪んだ音が鳴る。
清景が弾いて見せたのはよく知っている曲のイントロフレーズだった。
俺も清景も好きな、スタンダードと言っても差し支えの無いバンドの曲だった。
清景と目が合う。
「どうですか」と訊かれているようだった。
俺は頷いた。
頷いてスティックを鳴らした。
始める合図。
清景がもう一度、先ほどと同じフレーズを弾き始め、ドラムもそこに加わる。
音は足りない。
ギターとドラムだけでは不完全だった。
いつか清景とバンドを組めないだろうか。
清景とのバンドはきっと楽しいだろう。
俺は、それをずっと前から確信していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?