ライフインホワイト After3

 自分の心の中の大切な領域を相手に踏み込まれる感覚は、たとえ相手がどんな意図、例えば強い善意を持っていたとしても決して気持ちの良いものではない。
 きっと普段トゥーリアであれば、こんなに踏み込まれることは無かったし、それで精神の制御を失うようなこともなかっただろう。
 裏の社会ではどんな些細な情報でも他人に渡す利は無い。
 だから欺瞞を並べ、欺く。
 自分の心を、自分の大切なものを守るために。
 トゥーリア・グレイスはそうやって生きてきた。
 なのに、この現状はなんだろう。
 きっと目の前の相手が琴占言海でなければ、いつも通りに振舞えた。
世界最強の超人。
 自分では絶対に届かないFP能力者の頂に立つ者。
 いや、そんな人間の言葉で語れるような強さなど目の前の超人のほんの一側面でしかないのだろう。
 トゥーリアが突き崩されたのは、強い意思を宿すその双眸だった。

 再びの沈黙は数十秒、或いは数分に及ぶ間だった。
 それだけ経ってからようやく、トゥーリアは思い出したように呼吸が出来た。
 心はいつの間にか穏やかに戻っていた。
 「……弟がいます。先天的なFP異常を抱えた子で、普通の医者ではまともな治療を受けられません」
 それは今まで誰にも告げなかった言葉。
 言海は変わらず黙ってトゥーリアを見つめていた。
 「あの子を生かすためにはFPに関する治療が受けられる状態が必要だった、だから私はこうして活動してきた」
 全てを告げたわけではない。
 トゥーリアの両親がもうすでにこの世に居ないこと。
 弟を裏の世界から遠ざけるために大きな組織への従属を避けてきたこと。
 それでも『オーブ』の連中に目を付けられてしまったこと。
 それらは口にしなかった。
 きっと目の前の彼女にはわざわざ伝える必要のない情報だ。
 トゥーリアの言葉を聞いて、琴占言海は立ち上がった。
 立ち上がって独り言のように呟いた。
 「……近々、『協会』と『オーブ』が衝突するだろう。おそらく大きな衝突、戦争と言ってもいいかもしれない」
 それは『協会』の内部情報か、それとも個人的な予測なのか。
 琴占言海という人間を知らないトゥーリアには判断が出来ない。
 そんなことは承知しているだろう言海は、それでも言葉を続ける。
 「私は例の一件以降、『協会』内での権力とは離れているから積極的に参加するつもりは無いんだが……。まぁ、そううまくはいかないだろう」
 琴占言海は世界を救うために『協会』と全面戦争をしている。
 個人対巨大組織の対決の行方は、裏の社会に身を置く者にとっては周知の事実。
 そんな琴占言海は結局、その後『協会』に身を置いたままだ。
 双方(そもそも言海には『協会』を恨む理由が元々ほとんど無いのだが)和解した、というのもまた周知の事実だった。
 しかし、元のように『協会』内部の権力には組み込まれず、琴占言海は個人的な交流や付き合いを除けば『協会』内では孤立した立場となった。
 それは『協会』の権力者たちからすれば腫れ物を扱うようなものなのだろう。
 権力からの付かず離れずは、ともすれば別の生活基盤を確立している言海にとって都合のいいものでもあるが、逆に言えば一大事にはいいように使われる身でもある。
 衝突が起きれば、その起点に琴占言海を投入することは想像に難くない。
(と、言海は考えているが、実際のところ世界最強のFP能力者なんてものは戦闘の矢面に立たない権力者たちにコントロールできるものではないし、言海個人の付き合いには『協会の創始者の1人にして最強一角』や『本国の特別監査官兼特別執行官にして最強の一角』、『日本エリア情報部の次期エース』などのド級の権力者がいるのでそううまくいくわけがない)
 しかし、と付け足す。
 「衝突は必ず悲劇を生む。力を持っている誰かがその悲劇の中から悲しむ誰かを救い上げようとしたって、バチは当たらないだろう」
 琴占言海は自分のためにしか力を振るわない。
 師匠と決めた約束で、言海は常にそれを心に刻んでいる。
 特大の力を持つからこそ、いつでも自分の思うように力を振るう。
 そして当然、善性の強い言海が自分の心に従えば、言海の特大の力は誰かを容易に救う。
 それを恨む者、妬む者がいても言海は絶対にそれを曲げない。
 自分のために力を振るっているだけだから。
 しかし、言海一人では救いきれない人々もいる。
 琴占言海は最強で特大の力を持つ超人ではあるが、どうあがいても体は一つしかないからだ。
 だから――
 「仲間が欲しいと思ったんだ。丁度いい戦力の誰かが。生憎と孤立していてね、誰もいないんだ」
 二本の腕より、四本の腕の方が救える数は多くなる。
 そういう子供じみた単純な理論。
 ただ聞いているだけだったトゥーリアは思わずため息を吐いてしまった。
 「……それでこうして貴女はここに来たわけですか?」
 「私にわかりやすい利があった方が貴女は私を信用できるだろう?」
 そもそも『最強』琴占言海にトゥーリア・グレイスなどという木っ端のFP能力者が必要なのか。
 前提に大きな疑問が残る。
 が、その疑問をぶつける前に目の前の言海は自信満々に笑う。
 「まずは一人を救う。そうすれば目の前の二人目にも手が届くかもしれない」
 この期に及んで言海はトゥーリア・グレイスの意思を無視しない。
 ニヤリと悪戯っぽく微笑む言海にトゥーリアはもう一度呆れたため息を漏らした。
 「そう……。精々頑張ってください」
 「そうさせてもらうよ。まぁ、任せておけ。医療系のFP能力の専門家ではないが、ことFP自体の操作に関して私の右に出る者などこの世界にいるのは師匠程度だろう。体内FPの異常であれば手が届く」
 言海が部屋を出て行く。
 ドアが閉まる前、最後の呟きが部屋に残った。
 「誰かを救って、誰かが救われる。そのためにまず、私が行こう」

 扉が閉まった。
 一人残される。
 窓のない部屋。
 時間感覚も狂い、明かりも天井につけられた簡素な蛍光灯のみの部屋。
 ため息を吐いた。
 ここへ来た時よりほんの少しだけ、部屋が明るく見えた。

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