ライフインホワイト 15

 めまいがする。
 後頭部の痛みが増した。
 意識が遠退きそうだ。
 それでも、歯を食いしばり全身に力を込める。
 体が言うことを聞こうとしない。
 「……ァぁぁぁぁああああッ!!」
 敵は待ってくれない。
 このまま何もできず殺されてたまるか。
 体の反応を無視して叫び声と共にさらに力を込め、無理やりに立ち上がる。
 「……む」
 「……なんだコイツ」
 足元がふらつく。
 視界が滲み、視点が定まらない。
 それでも対峙した敵二人の顔を睨みつける。
 ボロボロの姿で立ち上がった俺に社長と呼ばれた男の方は奇異の目を、『先生』と呼ばれた女は何かを考える様にこちらを見ていた。
 勝算などない。
 次の手も何もない。
 それでも必ず綾瀬さんを助けると決めたのだ、何度でも立ち上がり何度でも立ち向かって見せる。
 そんな俺を見て、先程まで奇異の目を向けていた社長はニヤリと口角を歪めた。
 「……おい小僧。寝てた方が楽になれたんじゃないのか? ん? 抵抗する気か?」
 こちらの心をかき乱すような、小馬鹿にしたような言葉だった。
 実際、社長からすればいつでも殺せる存在なのだろう。
 しかし、そんな言葉にかき乱されるほどの心の余裕はなかった。
 相手の言葉を無視して綾瀬さんの姿を探す。
 視界は少しづつではあるが戻り始めている。
 すぐに一メートルほど後方にその姿を捉えた。
 先程の衝撃と地面への激突で頭など打っていないだろうか。
 心配ですぐにでも駆け寄りたいところだったが、なにせ足が動かない。
 今はこの場を何とか乗り切るしかない。
 再び顔を戻し、目の前の二人の方へ視線を戻した。
 「随分、余裕みたいだな小僧」
 どうやら俺が何も答えなかったことが癪に障ったらしい。
 社長はイラつきを抑える様に呟き、胸元へ手を滑らせた。
 「まぁいい。もう死んでおけ」
 胸元から取り出されたのは、先ほどのチンピラもどきが持っていたものよりも立派そうな銃だった。
 社長は薄ら笑いを浮かべながらトリガーに手を掛ける。
 余裕などなく、立っているのがやっとの俺に目の前の脅威を退ける手段などない。
 万事休す。
 残されたのは覚悟を決める事だけ。
 静かに目を瞑った。
 「――あぁ、思い出した」
 「あっ、おい……!」
 銃声よりも先に響いたのは『先生』と呼ばれた女の声だった。
 目を開けた。
 先程まで社長の隣で控えていた『先生』は社長の銃口を抑える様にしながらこちらに一歩踏み出していた。
 「貴様、『宇野耕輔』だな」
 「あ?」
 「……」
 「まさかこんなところで救世の英雄に出会うとは驚いた。あの戦い以降パタリと噂を聞かなくなったからてっきり死んだのだろうと思っていたが、生きていたとはな」
 『協会』に追われるようなFP能力者だ、かつての俺のことを知っていても不思議ではなかった。
 『先生』が何か考える仕草をしていたのは記憶探っていたからなのだろう。
 「……だとしたらなんだよ」
 不意に声が出ていた。
 絞り出したような頼りない声であったが、それは体に少しづつ力が入り始めている予兆でもあった。
 目の前の相手にできる限りバレないように呼吸を整える。
 俺の言葉に『先生』は楽しそうな笑みを浮かべながら顎に指を当てた。
 「……ふむ。そうだな宇野耕輔であるならば――」
 「おい待て!! なんの話してやがる!! おい、説明しろ!!」
 痺れを切らしたように社長ががなり立てた。
 社長の方は俺のことを知らないらしい。
 『先生』に説明を求めると『先生』は面倒くさそうにため息を吐いた。
 「……そうですね。彼はこちら側の世界の有名人なようです。それも超がついてもいいくらいの。なにせ世界を丸ごと救っている」
 「目の前の冴えないボロボロの小僧が?」
 「えぇ、目の前のボロボロの彼が、です」
 品定めでも得るかのように社長は怪訝な表情で俺の姿をじっくりと見た。
 「それと、今小僧を殺さない事に何か関係があるのか!?」
 「もちろん。彼が本当に救世の英雄本人であるなら『協会』との交渉材料に使える。たとえあの戦いで『協会』と険悪な関係になっていたとしても、その存在を無視できるわけがない」
 「小僧に協力させるってわけか……」
 二人は企みを練っている。
 今の内なら動けるかもしれない。
 足に力が入った。
 ジリ、とほんの少し足が動いた。
 「おっ、と」
 ――パァン!!と軽い破裂音が俺の足元から響いた。
 目を向ければ足のほんの数センチ横のコンクリートの地面に小さな穴が空いていた。
 「動かないでください。次は体に当てます」
 こちらを指差す女の手には何も握られていない。
 FP能力。
 正体不明の攻撃が俺の体を狙っていた。
 気持ちの悪い冷や汗の感覚が背中を撫でた。
 「さて宇野耕輔。貴方に選択権はありません。大人しく我々の要求に応えてもらいます」
 「だ、そうだ小僧。良かったじゃねぇか、自分の知名度のおかげで命拾いしたんだ」
 社長が下卑た笑みを浮かべながらそう言った。
 目の前の人間が自分の掌の上に乗っていることを心底愉しんでいるような、下劣な表情だった。
 このまま奴らの言うことを聞くのは嫌だ。
が、体再び硬直し一歩も動かない。
 「これからしばらく私たちと行動してもらいましょう」
 「おい、女の方はどうする?」
 「もちろん、連れて行きます。彼を縛る大事な首輪ですから」
 俺が目の前の連中の手引きをすれば悲しむことになる人間が沢山いるだろう。
 だから、抵抗するべきだ。
 何か策は無いのか。
 何か隙は無いのか。
 何か、俺は何かを持っていないのか。
 考えてみても何も浮かばない。
 考えれば考えるほどに自分が何も持たないただの人間でしかないことを思い知らされる。
 無力感と絶望が足元から体を這い上がってくる。
 少しづつ体に戻り始めていた力が抜け足元が揺らぎ、今にも倒れてしまいそうだった。
 「――――」
 「――――」
 目の前の男女の声が部屋に響く。
 何事か言われているのであろう。
 しかし、その内容ももうすでに頭に入ってこなかった。
 後頭部の痛みや視界の揺れ、歪みも戻り始めている。
 呼吸も浅くなってきている。
 結局、能力もかつての仲間も失い主人公ではなくなってしまった自分は女の子一人助ける事も出来ないのだろう。
 もうだめだ。
 諦観に体を支配される、その寸前。
 『――……げろ』
 不意に声が響いた。
 動かなかった体が勝手に反応を示し、項垂れていた顔を上げた。
 その声はどこかで聞いたことのある声。
 俺は、声の主をよく知っている。
 「?」
 先程まで完全に動きを止めていた俺が急に顔を上げたことを目の前の二人は怪訝そうにしていた。
 彼らの訝しんだ様子は明らかに俺だけに向けられたものだった。
 『――逃げろ』
 今度の声はきちんと聞こえた。
 が、やはり目の前の二人は俺の方を怪訝そうに見ているだけ。
 おそらく声は聞こえていない。
 俺だけに届いた声。
 方向もわかった。
 まだかなり距離があるようだが声は確かに俺の後方、窓の外から届いているのが不思議と理解できた。
 そして声の主の顔も既に明確に浮かんでいた。
 状況がわかり、思わず口角が上がった。
 まだ、あった。
 何も持っていない俺にもまだこの状況を打破できる大事なものが、まだある。
 体の力が戻る。
 視界も後頭部の痛みも、呼吸も正常に近づいていく。
 希望。
 それが俺の体を動かす――!!
 腕が上がった。
 目の前の二人を指差した。
 「動かな――」
 「俺は、あんたらのためには動かない」
 女の制止を遮るように口を開いた。
 社長が一層怪訝そうに顔を歪めた。
 「あ? 小僧、この状況で何言ってんだ?」
 「この状況? 状況がわかっていないのはあんたらの方だよ」
 「――!!」
 おそらく俺の言葉の意味に気付いた『先生』が俺を攻撃するために動き始めるが、一瞬遅い。
 『先生』の攻撃は先ほどまで俺が立っていた場所の空気を切り裂き、窓ガラスに当たり小さな破裂音が響く。
 俺は、既に走り出していた。
 すぐ近く、綾瀬さんのところへ。
 さらに一瞬遅れて、先ほどの攻撃を受けた一点を起点にして窓ガラスが大きな音を立て割れ崩れる。
 その音に紛れ込むように素早く綾瀬さんを抱え込んだ。
 おそらく体が悲鳴を上げている。
 だが、今は無視できる。
 すぐさま立ち上がり、再び走り出す。
 ――今度はガラスの割れた窓の方へ。
 「動くな!!」
 余裕の無くなった『先生』叫び声が背中から聴こえる。
 待つわけがない。
 遅れて、暴風が部屋に吹き荒れた。
 最初の、この部屋のドアを俺の体ごと吹き飛ばしたあの暴風。
 当然、俺はその暴風を受けて無事でいられるわけがない。
 それでも最後まで足掻く。
 綾瀬さんの体をより一層強く抱き、窓の外へ向かい跳んだ。
 今度は絶対に離さない。
 正真正銘、最後の力、渾身の跳躍。
 地面から離れた俺の体は吹き荒れる暴風に投げ飛ばされるように窓から外へと飛び出した。
 勢いよく飛び出した体は、しかし成人男女二人分の体重をもってすぐに重力によって捕らえられ落下が始まる。
 下はやはり断崖絶壁。
 十数メートル先の岩場の地面に向かって一直線に加速していく。
 耳に入ってくる風切り音が今にも死が差し迫っていることを告げている。
 俺はただ地面をしっかりと見つめ、抱えている綾瀬さんの体を傷つけないよう抱きしめた。
 もう怖くはなかった。
 地面まで数メートル。
 それでも俺は目を瞑ることは無い。
 ――ヒーローは時には遅れるが、必ずやってくる。
 次の瞬間、空中にも関わらず俺の体がフワリと重力から解放された。
 「すまんな、遅れた」
 「……マジで助かった」
 刹那に挟まれたそんな会話。
 俺が安堵を覚えたのも束の間、今度は斜め上と身体が加速した。

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