ライフインホワイト After1
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『協会』の日本エリア本部のビルの中にはカフェテリアがある。
職員も当然多い施設なのでそれなりの大きさのあるカフェテリアで、職員だけでなく報告や手続きの関係でここを訪れる『協会』所属のFP能力者たちもよく利用している。
時刻は午後三時。
クリスマスも過ぎ、これから年末忙しさが漂うビルの中にあってそれらから隔離されたように長閑な雰囲気を纏うカフェテリア。
足取り早く、一直線にそこを目指す少女の姿があった。
不満と不機嫌を顔に滲ませながら歩くその少女の名は宇野聖花。
かつて世界を救ったヒーロー宇野耕輔の義理の妹であり、現在国内の魔法系FP能力者では頂点の五指に数えられるような実力者でもある。
『協会』所属でありながら『魔法結社』のエース。
二つの組織の板挟みに悩みながらも淡々と仕事をこなす、そんな彼女がイラつきを隠してもいなかった。
時々すれ違う職員に怪訝な顔をされるが、今は気にしない。
足早にビルの中を進んだ。
よく見知った通路だ。今更迷うこともない。
角を曲がると一際大きな窓に照らされたカフェテリアが見えた。
冬の午後の柔らかな日差しに照らされた空間はより一層ゆったりとした雰囲気を醸し出すが、そんな雰囲気を水でも差すように聖花はキョロキョロと首を振った。
聖花が仕事の報告というわけでもなしにこのビルを訪れたのはとある人物に呼び出されたから。
聖花はすぐにその人物の姿を捉え、改めて足早に彼女の座る席に向かう。
すぐに席に到着、窓の外に視線をやりながら優雅にコーヒーを嗜む彼女がこちらに気付くよりも早く、聖花はテーブルに思い切り手を付けた。
ダンッという音が長閑な空間に響き渡り、カフェテリア中の視線が聖花に集まる。
例に漏れず目の前の彼女――有村夕夏もゆっくりと聖花の方を向いた。
「あら、聖花ちゃん。流石早い」
「御託はいい。先に私の質問に答えて」
切羽詰まったように捲し立てる聖花に夕夏は諦めたように息を吐いてその先を促した。
「なんでお兄ちゃんを……宇野耕輔を巻き込んだ?」
事件の顛末は聞いた。
その中で目の前にいる女は宇野耕輔と一度接触している。
何故、止めなかったのか。
それを確かめるために聖花はここまで来た。
聖花の怒気を孕んだ静かな問いに夕夏は数瞬言葉を迷ってから答えた。
「……私の判断じゃないわ。かつての宇野君がそうだったように、彼の方から事件に飛び込んできたのよ」
「飛び込んできた? なんの能力もなくなったお兄ちゃんが?」
「……私も警告はした。それでも宇野君は私の警告を振り切って――」
「それなら……!! それならなんで無理やりにでも遠ざけなかった!!」
聖花の怒号がカフェテリアに響き渡る。
先程以上に注目がこちらに向くが、そんなものは気にも留めない。
「お兄ちゃんの性格を考えればわかるだろう!! 絶対に事件に向かって突き進むのが!! その上で、なんの能力も持たなくなってしまったお兄ちゃんがどうなるか、考えればわかるだろう!!」
実際に、宇野耕輔は大きな怪我を負って日常に返ってきた。
怪我はFP能力でも治るだろう。
でも問題はそこじゃない。
事件に巻き込まれて怪我をしたという事実だ。
宇野耕輔にかつてのようなスペシャルは無い。
当たり所が悪ければ、経過が悪ければ、運が悪ければどんなダメージも簡単に致命傷に、そして簡単に命を落としてしまう。
今の宇野耕輔はそんな存在だ。
だから聖花は――聖花たちは宇野耕輔が宇野耕輔を失ったあの日、彼を守ると決めたのだ。
非日常に暮らす自分たちと日常に暮らす耕輔の間に線を引き、交わらないように。
聖花の怒号に対して夕夏は言葉を詰まらせていた。
返答が出来ないからではない。
怒号を飛ばす聖花の顔が今にも泣きそうであることがわかるから。
聖花だって宇野耕輔という人間の性格をよく知っている。
だから夕夏が止めたところで、仮にその場に自分がいてどんな言葉で止めようとしたところで制止や警告を振り切って事件に突き進んでいくことを、よくわかっている。
だから、この怒号は夕夏一人に向けたものではないのだ。
それを止められない自分たちとそれを振り切ってしまう耕輔に向けての言葉なのだろう。
「……ごめんなさい。聖花ちゃん」
夕夏にできたのは聖花の怒りを受け止める事だけ。
この場で怒ることが出来るのは、もう聖花しか残っていないから。
力なく俯く夕夏に、聖花はこれ以上の感情をぶつけられなくて顔を逸らした。
有村夕夏は諦めてしまった側の人間だ。
正しく人間を超越したあの力に触れて、自分には無理だとわかってしまった。
どんなに努力を重ねても、どんなに生まれた家柄が名門であろうと。
有村夕夏という存在は、琴占言海という巨大な存在の足元にも及ぶことが出来ない。
宇野耕輔の所在を巡って琴占言海と対峙したとき、そう感じてしまった。
夕夏だけではない、多くのFP能力者が琴占言海と対峙すれば同じように思うだろう。
その中にあって、宇野聖花はずっと遥か彼方の見えない背中を追いかけ続けている。
夜空の星に手を伸ばすようにそれが決して手が届かないことを知りながら、それでも手を伸ばし続けている。
だからこそ、彼女は苦しみ続けているのだと夕夏は思う。
諦めてしまえた自分と諦められなかった宇野聖花。
痛みを受け入れるべきは自分だろう。
気まずい沈黙がカフェテリアを支配する。
「……今回の事件、宇野君を巻き込んでしまったのは確かに私の過失。そう思ってもらって構わないわ」
重い沈黙の中で先に口を開いたのは夕夏だった。
顔を逸らしていた聖花が夕夏の方へ視線を戻す。
睨むような視線。
それでも夕夏は言葉を切らない。
この場で怒りをあらわにできる人間が宇野聖花しかいないのと同じように、この場で聖花に忠告が出来る人間は有村夕夏しかいない。
「私たちはあの日から今まで宇野君を遠ざけてきた。きっとそれが正解だったし、これからも出来る限りそうであるべきでしょう」
日常と非日常はわかれているべきだ。
なんの力もない人間が巻き込まれて無事でいられるような世界ではない。
「でも、宇野君はきっとこれから先も今回の事件のような事があれば同じように自分から渦中に進んでいくわ」
「そうならないようにするのが私たちの――!!」
「――脅威は再び芽吹きだした」
聖花の再びの怒号を、今度は遮った。
それは静かな呟きだった。
脅威。
『協会』の本部で呟くにはあまりにも意味のある言葉。
聖花も思わず目を剥いた。
事件の顛末については聖花も聞いていた。
どういう事件で、何が起こったのか。
始まりはとある小さな反社会組織を追う事件だった。
途中から組織の長が『協会』指定の指名手配FP能力者を雇ったことで事件は加速した。
そして宇野耕輔が巻き込まれ、琴占言海が解決した。
そういう、耕輔や言海が関わったという点を除けば特に気に留める個所がないような事件のはずだった。
しかし、そうじゃない。
この事件、最初の反社会組織を追う段階から有村夕夏が関わっていた。
有村夕夏はFP能力者としては名門のお嬢様だ。
そんな女が【外部の能力者を雇わざるを得ないような小物】を追っていた。
つまりは――
「……宇野君は今やなんの能力もないただの一般人だから、今更巻き込まれるとは思えない。でも、万が一はある。今回のように」
夕夏は真っ直ぐに聖花を見つめた。
「最低限の手を打って損は無い、……いや、手を打たなければ後悔することになるかもしれない」
言葉を切る。
夕夏の瞳には鋭い光が宿っていた。
声を潜める様に、しかし確かに夕夏はその言葉を口にした。
「『オーブ』の脅威はすぐそこまで来ているかもしれない」
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