手術

 「えーと……、しゅ……しゅじゅ……しゅじゅ……しゅじゅつ、手術……か」
 昼下がりのカフェテリア。
 そのカフェテリアの、通りに面した屋外に設けられたテーブル席に男女が二人掛けていた。
 二人はそれぞれ本を片手に、それぞれテーブルの上に辞書を広げて、それぞれ自分の事をしているようで、少女はすぐには青年の言葉に返事を返すことは無かった。
 綺麗な秋晴れで天候に恵まれたおかげか人の往来もそれなりで、街の中に位置するカフェテリアは周囲ののどかな喧騒に包まれている。
 少女がちらと青年の方を見れば、青年はいまだ辞書と手に持った小説を熱心に見比べていた。
 「随分熱心だな、ジェームズ」
 少女――琴占言海は手に持っていた英語の問題集をいったん閉じて、コーヒーに口をつけた。
 「ん? まぁな」
 青い目をした青年――ジェームズ・ハウアーは小説と辞書を見比べながら言葉を返した。
 その姿を見ながら言海はもう一口コーヒーに口を付け、再び口を開く。
 「さっきから何をしているんだ?」
 言海は先ほどから思っていた疑問を口にした。

 言海がこの喫茶店に訪れたのはつい三十分程前の事だ。
 世間一般的に休日の今日であったが、『仕事』が入るような事もなく言海には特に予定がなかった。
 積んでいる本の消化に掛かることも考えたが、窓の外には綺麗な秋晴れの空が広がっており、なんとなく一日家に籠ることも気が引けた。
 気が引けつつも午前中は結局本の消化にいそしんでしまっていたわけだが、昼食を摂り終わったところでもう一度思い直した。
 思い直した言海は自室に戻り、英語の問題集と辞書をカバンに詰めて外へと繰り出すことにした。
 特に目的地を決めることなく街中を会歩いていたところでこのカフェテリアを見つけ、天気がいいこともあり、この場で小一時間ほど勉強に勤しむことにした。
 店内でコーヒーを注文し、居間座っているこの屋外のテーブルについて問題集と辞書を広げながら二十分ほど集中したところで、ちょうどこの周辺をブラブラと歩いていたジェームズと出会った。
 ジェームズはいつも通り黒くて薄い大きなケースを片手に下げており、言海を見つけるとすぐに近づいてきた。
 対面の席が空いているかどうか問答を挟んだ後、ジェームズも店内でコーヒーを注文してこの席に着いた。
 それから二人は無言のままお互いの作業に没頭していた。
 なので、言海はジェームズが何をしているのかを知らなかった。

 言海の問いかけを受けて、ジェームズは持っていた小説に栞を挟んでからテーブルの上に置いて、代わりにコーヒーを手に取った。
 「しばらくこの国に滞在してようかな、と思ってるんだ」
 コーヒーに口をつけた。
 「あぁ、この前も言っていたな」
 琴占言海もジェームズ・ハウアーも『協会』において五天という地位を持つ人物である。
 五天とは『協会』に所属する全FP能力者の中で、その力がトップの五人の事であり、『協会』という世界の裏に潜む巨大な組織にとって紛れもなく重大戦力でもある。
 彼らは『協会』でそれに見合うだけの発言力や影響力などの権限を持っている。
 言海に関しては未成年であることや本人の意思で、それほどの権能を振るう事は無いがジェームズは本国では既に成人しているため大手を振って権能を使える立場にある。
 今回の滞在に関してもジェームズはその権能を活用し、『協会』支部の視察という名目でこの国に来ている。
 この国に到着してすぐにその報告で『協会』のビルを訪れていたジェームズと言海は出くわしており、その際にしばらくの間滞在することを聞いていた。
 「それで滞在ついでに言葉も勉強しとこうかと思ってな」
 ジェームズが先程まで読んでいた小説を手に取り掲げた。
 本来、FP能力者の頂点に立つ彼はFPを通して読心術やテレパシーのようなものを使うことで言語習得に関しても容易に行うことが出来るのだが、それでは足りない部分を補うためなのかどうやら小説を通してさらに言語を学ぼうとしているようだった。
 そのために辞書を広げていたのだろう。
 ジェームズが掲げた小説をよく見れば数年前にドラマで話題になったいわゆる医療モノの小説であった。
 言海は未読の作品であったが、随分と話題になったのでタイトルに覚えがあった。
 「医療モノか」
 「言海はコレ読んだことあるか?」
 「生憎とタイトルを聞いたことがある程度だな。そもそも医療モノは特に好きではないしな」
 「そうなのか」
 ジェームズは掲げていた小説をテーブルに戻した。
 言海は基本的にファンタジー色の強い作品の方が好みで、医療モノのような作品を自分から進んで読むことは多くはない。
 「まぁ、医療モノは漫画で少し読んだぐらいしか記憶がないな」
 学校の図書室に置いてあった作品を思い浮かべながら言海はコーヒーに口をつけた。
 小学校にも中学校にも置いてあり、昼休みに風島清景としょっちゅう読みに行っていた。
 小学校でも中学校でも全巻が揃っていたわけではなく所々歯抜けで、それでも置いてあるだけ全部を読破したのを覚えている。
 「ふーん、なんでも漫画があるんだな」
 ジェームズは呆れとも感嘆ともつかない苦笑いを浮かべた。
 言海はそれに口角を上げて返してやった。
 「お前の国にはギターの神がいるかもしれんが、この国には漫画の神がいるからな」

 秋晴れの穏やかな気候は相変わらずで、カフェの面している通りの人通りも相変わらずだった。
 二人はしばらくの間無言のまま通りを行き交う人々を見ていた。
 楽し気に歩くカップル、忙しそうに小走りで駆けてくスーツの男性、のんびりと周囲の店舗を見ながら歩いている親子、談笑しながら移動する学生のグループ。
 きっと、それぞれの日常を謳歌しているのだろう。
 「言海」
 ジェームズは切り出すようにポツリと呟いた。
 「本国は『宇野耕輔』に気付いた」
 ジェームズは言葉を続けたが、言海は目の前を行き交う雑踏を見渡したままだった。
 「これからは『協会』も動くことになるぞ」
 それは、忠告なのだろう。
 ジェームズがこのカフェに現れたのは偶然ではなかったのかもしれない。
 『協会』の関わらない場所で言海に会うために現れたのかもしれない。
 言海はコーヒーに口をつけた。
 「それは違うぞ、ジェームズ」
 「……」
 「耕輔のことを『協会』はきっとはじめから知っていたよ」
 「……それは、そう決まっているからか?」
 「『宇野耕輔』はそういう存在だからな」
 覚悟を持って喋るジェームズに対して、言海は終始身構えることもなく自然体を維持していた。
 「まぁでも、そうだな。世界はこれから動くことになるだろう」
 「……言海はこれからどうするんだ?」
 ジェームズの問い。
 言海は空を見上げた。
 背の高いビルに切り取られた歪な空は青く、透き通っている。
 「戦う。きっと、全てと」
 強い意志を宿した言海の双眸がジェームズを見た。
 その口角は微かに上がっていた。

 
 「……そうか」
 無言の間を置いた後ジェームズは納得したようにそう呟いた。
呟いて、傍らに置いた黒い箱に手をかけて、掛けていた椅子から立ち上がった。
 「悪いな。邪魔したよ」
 「別に構わんさ。これから用事か?」
 言海が訊ねるとジェームズは片手に下げた大きな箱を突き出した。
 「しばらくまともに時間が取れてなかったから、コイツと遊ぼうかと思ってたんだ」
 言海はジェームズがいつも持ち歩いている箱の中身を知っている。
 黒い箱の中には武器でもなんでもなく、ギターが一本収められている。
 「いつも思ってるが重くないのか? ソレ」
 「ない方が落ち着かないんだよな」
 ジェームズは自慢するように笑って見せたが、言海は呆れてため息を吐いた。
 「そういえば、清景もギターが好きだから見かけたら声でもかけてやってくれ」
 「清景……って確か言海の幼馴染だっけか?」
 うむ、と今度は言海が自慢げに頷いた。
 「へぇ、ギター弾くのか……」
 興味ありげに呟いてジェームズは片手を上げた。
 「じゃあな、言海」
 「あぁ、また今度」
 ジェームズが去って、カフェは静寂を取り戻した。
 言海はコーヒーに口をつけてから、問題集を再び開いた。

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