誤解

 ザワザワと教室の中は騒がしかった。
 喧騒は放課後なのだから当然と言えば当然なのだが、今日のそれはいつも以上だった。
 理由はある。
 もうすぐ文化祭で、今はその準備期間だからだ。
 誰もかれもが浮かれている。
 教室の中はすっかり作業場と化していて床には段ボールやらカッターやらペンキやらが散らかっていた。
 そんな喧騒の中で俺が何をしているのかと言えば、教室の隅に座って独りただただ黙々と積み上げられていた段ボールを切る作業をしている。
 この開いた段ボールを何に使うのかは知らないが何かに使うらしい。
 正直に言えば、この作業はつまり俺もクラスの手伝いをしていますよという免罪符でしかない。
 きっとクラス連中からしてもそう言うことなのだろう。
 この作業をやるのは別に俺じゃなくてもいいし、俺でもいい。
 教室で相変わらず孤立している俺に任される仕事なんてその程度のものだ。
 不意にため息が漏れて、休憩がてら教室を見渡した。
 みんなは楽しそうに作業や雑談をしている。
 それらが騒がしければ騒がしいほど感じる孤独は強くなって行く。
 それ以上見ていられなくなって、俺は目を逸らすようにまだ開いていない段ボールに手を伸ばした。
 「……あれ?」
 いつの間にか最後の一個だったようだ。
 漏れ出た俺の小さな呟きは教室の喧騒の中に溶けて消えて、いつもと変わらず誰に聞かれることもない。
 俺は少し悩んでから、手早く手に取った段ボールを開き、貯めていた段ボールの山に重ねた。
 それから小さく肩と首を回して、手に持っていたカッターを置き、荷物を持って教室を後にした。
 俺が居なくなったところで特に誰も騒がないだろう。

 相変わらずそんな状態の学校生活。
 それでも今までのように辛さを感じなくなったのは、きっと自分の居場所を手に入れたからだ。

 喧騒に包まれる校内。
 その中を独りで歩く俺の足取りは、決して重くはない。


 「お疲れ様でーす」
 いつものように声を掛けて、扉を開けた。
 すぐに目に飛び込んできたのは二人の影だった。
 「水仙ちゃん、流石に今年はなにかしらやってくれないと困ります」
 「困るったってな、湊。そんなものに参加させられる私の方が困る」
 真剣な眼差しで注意をしているのは伊吹湊先輩。
 うちの高校の生徒会長を務める女性だ。
 そんな伊吹先輩の注意を迷惑そうにしているのが月瀬水仙部長。
 俺の所属しているこの部活の部長だ。
 2人はなにやら揉めている様子だった。
 これはタイミングの悪い時に入ってきてしまった。
 俺が入室したことに気付いたのだろう、2人の視線がこちらに向いた。
 「あら。お疲れ様です、周くん」
 「おう、周」
 伊吹先輩は丁寧にお辞儀をして優しく微笑み挨拶を返してくれる。
 部長の方は相変わらず適当に視線を投げて横柄に名前を呼ばれただけだった。
 「お疲れ様です」
 2人の仕草がいつもと変わらないので、俺もいつもと同じようにもう一度返事をして、いつもの定位置であるドアに一番近い椅子に腰掛けた。
  「一体何の話をしていたんですか?」
 話題に触れないわけにはいかないだろう。
 部長が居る以上、どうせ巻き込まれるのだから自分から訊いた方が覚悟ができる。
 「あぁ、文化祭の話だよ」
 訊ねると部長がうんざりしたようにわざとらしくため息を吐きながら答えてくれた。
 「文化祭……ですか?」
 今、校内を騒がせている話題だった。
 それで何故、部長と伊吹先輩が揉めているのか。
 頭を傾げようとしたところで伊吹先輩が何やらプリントを俺の方へ差し出してくれた。
 短く礼を告げて、その一枚の紙を見てみる。
 一番上には大きめの文字で『部活動展示・出店申請書』と書かれていた。
 「えぇ、と?」
 「我が校では文化祭において各部活動の展示や出店、発表などが推奨されています」
 「はぁ……」
 伊吹先輩の説明を聞いて、未だピンときていない俺に痺れを切らしたのか、部長はわざとらしくため息を吐いて口を開いてくれた。
 「つまり、湊は私らに出店しろって言ってんだよ」
 「え? ……ああ!」
 なんせ普段部活動として活動などしないものだから一瞬ピンと来なかったが、よく考えてみれば部活動であった。
 部活動として学校に登録されていて、こうして部活棟の一角を部室として使っているのだった。
 俺がやっと思い当たったところで、伊吹先輩は小さく「展示でもいいんですよ〜」と言葉を挟んでくれた。
 かわいい。
 「おい。湊の可愛さに絆されんな、周」
 「そ、そんなことないですよ」
 「いや、ある。お前は湊に弱い」
 「……」
 「いいか、周。良く考えろ。文化祭なんて参加して何になる。面倒なだけじゃないか」
 「む、そんなことないですよ。文化祭、きちんと参加したら楽しいです」
 「いいや、それこそないな。少なくとも私は高々中高の文化祭程度で楽しかった思い出なんてない。周も思い出せ、ただただ面倒なだけだった、そうだろう?」
 「……」
 「そんなこと無いはずです。周くんだってきっと文化祭に楽しい思い出があるはずです。ね?」
 「……」
 二人の言葉に俺は何も返せなくて、苦笑いだけを返して俯いてしまった。
 俺の様子を見て、二人が不思議そうに顔見合わせた。
 「どうした?」
 「周くん、どうしましたか?」
 「……無いです」
 二人がわざわざ声を掛けてくれている。
 答えない訳にはいかない。
 「文化祭を楽しんだ事なんて無いです」
 俺の言葉に素早く反応したのは部長だった。
 「そらみろ。周だってこう言って――」
 「違うんです、部長」
 「あ?」
 部長の言葉を遮る。
 視線が再び俺に集まった。
 「俺、その、友達とか居なかったんで、文化祭の時って、空き教室に隠れてただただぼうっと終わるのを待ってたんです」 
 中学の三年間、俺はそういう風に過ごしてきた。
 何も文化祭の時だけの話ではない、思えばほとんどのイベントをそう過ごしてきた。
 俺にとってはそれが普通だった。
 しんと静まり返る室内。
 マズい事を言ったかもしれない、と今になって思った。
 別に同情を誘いたいわけではないのだ。
 俺としてはただ聞かれたから答えただけのつもりだったが、どうにも想像以上に深刻に捉えられたかもしれない。
 訂正しなければ。
 急いで口を開こうとした俺の肩にぽんと手が置かれた。
 綺麗な白魚のような手。
 伊吹先輩の手だった。
 顔を見た。
 そこにはいつも以上に優しい表情が浮かんでいた。
 いや、待ってくれ。
 絶対に勘違いされている。
 「大丈夫です、周くん。大丈夫。今の貴方にはきちんと私たちが居ます。ね、水仙ちゃん」
 「いや、あの……――」
 「はぁ……。しょうがねぇなぁ、とんでもなく可哀想な後輩のために、なにかしら考えてやるよ」
 「いや、あの……――」

 もう訂正の言葉を挟む余地はなかった。
 いつの間にか、伊吹先輩と部長は何やら真面目に話を始めていた。
 取り残された俺は再び苦笑を浮かべる事しかできなかった。



 

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