ライフインホワイト After2
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そこは窓のない部屋だった。
薄暗い蛍光灯の灯りに照らされた真四角に切り取られたような空間は息苦しさを覚えてしまう。
中央にはテーブルと椅子が二脚。
片方には既に女性が座らされていた。
両の手は手錠によって後ろ手に拘束されている。
彼女の名はトゥーリア・グレイス。
先日の事件で拘束された『協会』の第三級指名手配だ。
彼女は対面の扉を睨むように眺めていた。
突然のことだった。
拘束されたトゥーリアは当然ながら『協会』の施設に投獄されていた。
FP能力を発動できぬ様何重にも封印を受けた状態で数日、檻の中で過ごした。
それが今日の朝、突然檻から出され連れてこられたのがこの部屋だった。
目隠しやその他の拘束具のほとんどが外され、残ったのが手錠のみ。
一応のFPジャマ―の機能はあるようだが、『協会』はこの程度で拘束しているつもりなのだろうか。
すぐにでも脱出を試みても良かったが、この部屋から出たところで状況は好転しない。
ため息を吐いて部屋を見回した。
なんの説明もないまま連れてこられた以上、自分で推測するしかない。
部屋の形状から察するにおそらくこれから取り調べなり尋問なりをするつもりなのだろう。
プロの運び屋として活動してきた。
それも『協会』非公認の裏のさらに裏の世界の人間としてだ。
『協会』が欲しがる多くの情報を持っているのは事実だが、当然喋るつもりはない。
プロとしてのプライドはもちろんあるが、何よりも裏の世界は甘くはない。
情報を漏らしたものの末路がどういうものであるのか、想像に難くない。
そして、『守りたいもの』なんていう自身の弱点があれば尚更だ。
思考が巡る。
音もなく風景もない部屋に置かれているせいだろう。
トゥーリアは目を瞑って息を吐き、努めて思考の熱を冷ます。
焦るな。焦れば失いたくないものにまで危害が及ぶ。
目を開き、改めて薄暗い室内を見た。
しかし、どのくらい待機させられているのだろうか。
時計も何もない、窓のない薄暗い部屋では時間感覚も頼りにならない。
一時間近く待たされているような気もするし、十数分も待っていないかもしれない。
改めて考えて軽いイラつきを覚えたところで、扉が開いた。
「……随分と適当な拘束具を使ってると思ったら……、なるほど貴女が相手な訳か」
現れたのはトゥーリアをこんな場所に閉じ込めた張本人にして、世界最強のFP能力者――琴占言海であった。
言海はトゥーリアの言葉に苦笑を返しながら後ろ手に扉を閉め、対面の椅子に腰を掛けた。
「いくつか、質問をしたいと思っていたんだ」
世間話でも始めるような、そんな軽い喋り出しだった。
実際、言海にとっては世間話と変わらないのだろう。
言海の言葉にトゥーリアは呆れたように息を吐いた。
「それなら牢獄でもよかったんじゃないですか?」
わざわざこんなことをしなくても鉄格子越しに話を聞けば済むだろう。
どちらにせよトゥーリアは何に関しても話すつもりは無いし、言海もやる気にさえなればその圧倒的なFP能力によってトゥーリアの意思の全てを無視して情報を引き出せるだろう。
つまりは時間の無駄。
こんな場所を用意する必要などなかった。
そんなトゥーリアの言葉に、しかし言海は気にした風もなかった。
「聞かれたくないこともあるだろう? この部屋は『存在しないことになっている』部屋だ。私以外の人間は絶対に来ないし、盗聴の恐れもない」
つまりはこの『面会』自体が公式には一切記録されないということだろう。
言海が何を考えているのか、トゥーリアには意図が読めない。
正直に言ってしまえばトゥーリアは世界最強の能力者たる琴占言海が欲しがるような情報を何一つ持っていない。
フリーの運び屋と言えば聞こえはいいが要するに根無し草の雇われだ。
依頼人は自分の情報を渡さないし、トゥーリアも探らない。
なので、貴重な情報なんてものは特に持っていない。
この施設に囚われている他の連中の方がよっぽど情報を持っているだろう。
怪訝な顔を言海に向けたが、言海はその意図を汲むこともなく微笑んで首を傾げるだけ。
格上の相手を読み解くことは容易なわけがない。
考えるだけ無駄な気がして、トゥーリアはため息を吐き、体の力を少しだけ抜いた。
「……それで? いったい私に何の用が?」
「まぁ……、今回の事件は『協会』もそれなりに熱心に探りを入れている」
「ああ、なるほど。でも、それならやはり私が話せることは何も――」
「『オーブ』」
「…………」
部屋の空気が一瞬固まったようだった。
「最近、『協会』内じゃその話で持ち切りだ。何でも最近暴れている連中の多くがその名前を口にするだとか」
言海は言葉を切って、それから四角い簡素なテーブルに肘をついた。
「あの社長もそうらしい」
「……私は特に何も知りません」
事実だった。
あの社長が『オーブ』と関わりを持っていたことは知っているがそれ以上のことは知らない。
それ以上のこと、例えば社長が何処で『オーブ』を知ったのか、何処で『オーブ』と接触したのかということは何も知らない。
「本人に直接訊いたらどうです?」
そう、そこが知りたいなら本人に直接訊ねればいいのだ。
トゥーリアと同じように社長も『協会』の施設の何処かで拘束されているのだ。
つまり、言海がこの場を用意してトゥーリアを呼び出した理由は、その先にある。
「訊きたいことはですか? そんな事じゃないでしょう?」
沈黙が流れた。
言海もトゥーリアもお互いに目を逸らさない。
数瞬の間を挟んで言海が口を開いた。
「今回の事件の概要と貴女の経歴を見た」
今回の事件の概要も拘束された指名手配であるトゥーリア・グレイスの経歴もどちらも『協会』内での重要機密であり、本来調べられるようなものではないが琴占言海にとっては関係がない。
「不思議に思った。貴方の経歴を見る限り、仕事の上で大きな組織とのつながりを持つことを避けているようだった」
トゥーリア・グレイスの活動は十年近く前、琴占言海と宇野耕輔が世界を救うよりも前から始まっていた。
そんな経歴の中で彼女は大きな組織との繋がりをずっと排していた。
「それがここ半年になって貴女が関わっている事件の裏に『オーブ』という単語が出てきた」
『オーブ』は物の名前であると同時に、その物を製造・流通させている組織の名前だ。
そして、かの組織は今や世界中の裏の社会で名前を聞くような巨大な組織になっている。
本来ならトゥーリア・グレイスが関わりを避けるような、そういう規模の組織だ。
考えが変わった、とは思えない。
なんせ経歴の中で突然現れた名前だった。
だとするなら――
「向こうから接触をはかられたんじゃないか。その上で何か、弱みでも握られた、だから仕事を受けるしかなかった」
言海の瞳はすべてを見透かすようで、その瞳に射貫かれたようにトゥーリアの体が固まった。
思考が空転し、言葉を紡ぐのに数秒を要した。
その間も言海はトゥーリアを見つめるだけだった。
「……だとしたら……だとしたら何です……?」
やっとの思いで口から出た言葉は震えていた。
「……貴女には関係ないでしょう?」
ダメだ。
これ以上、情報を渡すわけにはいかない。
うろたえるな、冷静になれ、自分にそう言い聞かせるが心が制御できない。
そして、言海が次の句を口にした。
「貴女には守りたい誰かがいるんじゃないのか?」
決定的だった。
トゥーリアは自分の体から力抜けていくような感覚を覚えた。
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