Earendel 2
あの戦いが終わった後、私たちは宇野君との関係を切る事になった。
特別な人間では無くなった彼を、彼では無くなった彼を放って置くことは本当に心苦しかった。
一度でも彼に心を寄せていた私たちが彼の隣にいるべきだと、そう思っていた。
彼の居ない中で集まった私たちがそういう結論を出そうとしていた時、1人が反論した。
『今更、私たちがお兄ちゃんに何が出来るというの?』
宇野聖花は宇野耕輔の義妹で、きっと私たちの中でも一番長く彼と関わって、そして一番彼の事を想っていた。
『もう、お兄ちゃんをこれ以上巻き込まないで。主人公じゃなくなったお兄ちゃんを苦しめないで!』
聖花ちゃんのその言葉は、安易な結論を出そうとしていた私たちにはあまりにも重かった。
なにせあの琴占さんとの戦いを終えた後の事だ。
みんなFP能力者として持っていた自負を粉々に打ち砕かれ、自分の役割を完全に見失っていた。
聖花ちゃんがこの時にそれでも声を上げられたのは彼女がそれでも手を伸ばすことを決めていたからなのだろう。
私は、今でもこの時の明確な答えが出せずにいる。
判断が正しかったのか間違っていたのか確かめる術などない。
ただ、私たちと宇野耕輔の関係はこの時に終わってしまった。
目標も大切な友人も失った私にとってのあの時からこれまでの期間は恐ろしい程に空虚なものだった。
ところが、だ。
つい先日、『仕事』をこなしている中で宇野君に会ってしまった。
私が追っている事件の関係者の中に彼の友人が居たらしい。
主人公では無くなったはずの彼は、しかし巻き込まれ体質とその性格はまだ失くしていなかったのかもしれない。
彼と再び出会えた事、彼の中に確かに未だ『宇野耕輔』が息づいているを事を喜ぼうとする自分を私は必死に抑えつけた。
頭の中に聖花ちゃんの言葉が強く響いていた。
私は宇野君に警告を告げた。
これ以上関わることがないように。
私はきっとよく知っていたはずだ。
宇野君がそんな程度で止まらない事を。
あの時にもっと本気で止めるべきだったのだろう。
宇野君は事件の中心へと足を踏み入れ、また傷付いた。
もう、そんなこととは関係の無い世界にいるはずだったのに。
その上だ。
噂に寄れば宇野君の危機に駆けつけ、事件を解決したのは琴占さんらしい。
結局、私はあの時に立ち止まったままで、中途半端だった。
3/
一日の講義を終えた私は『協会』を訪れていた。
先日の報告と、それから私たちの間での話し合いの為だ。
「……はぁ」
無意識にため息が漏れた。
報告はすぐに済むが、そのあとが問題だ。
恐らく聖花ちゃんは宇野君を止めなかったことを相当怒っているだろう。
あの頃はまだ私の方が年齢も実力も上で立場があったが、今は違う。
年齢こそ私が上だが、そんなものには最早何の意味もない。
立ち止まったままの私とは違って、聖花ちゃんは琴占さんの背中を追い続けている。
それが辿り着けるかどうかなど関係ないのだろう。
その覚悟の違い。
実力どころか精神的な成長にも差がありそうだ。
私は自嘲気味に笑った。
世の中では年末だというのに『協会』の中はいつもと変わらない人出だ。
悪人に休みなどなく、悪人に休みが無い以上それを戒める側にも休みは無いわけだ。
それでも以前に比べれば静かなのは気のせいではないはずだ。
世界が救われ、世界中のFPが安定したからだろう。
私たちではなし得なかった事。
忙しなく廊下を走る職員を尻目に私はのんびりと歩いていた。
足取りが重いのは気が重いからかもしれない。
廊下の途中で気を入れ直すように息を吐いた。
その時だった。
「あ……」
目が合ってしまった。
心臓が跳ね上がるのがわかった。
私は彼女が向こうから歩いてくるのをまったく気付かなかった。
彼女の方はおそらく私の存在に気付いていたのだろう。
彼女ーー琴占言海は何も言わないままこちらに丁寧なお辞儀をした。
私は固まったように動けずにいた。
考えてみれば、事件を解決したのは琴占さんなのだからこうして『協会』で顔を合わせる可能性は考えられただろう。
それなのに、それが頭から完全に抜けていたのは果たして考えていなかったからなのか、考えていたからなのか。
固まったまま動けなくなった私を見て、琴占さんは困ったように苦笑を浮かべた。
私たちからして彼女との関係が気不味いのと同じように、琴占さんにしたって私たちとどう接するべきなのかわからないのだろう。
私たちの間にはけして埋まらない溝が出来てしまっているのだから。
いや、或いは最初からーー。
いったい何秒間そうしてしたのかわからなかったが、再び動いたのはやはり琴占さんの方だった。
もう一度、丁寧に頭を下げた。
それから困った表情を浮かべたまま私の横を通り過ぎて行った。
彼女がどんな時にその表情を浮かべるのか、私は知っていた。
彼女がクラスから省かれていた時、彼女は決まってその表情を浮かべていた。
きっと彼女は誰も傷付けたく無いのだろう。
あれだけの力を持っているのに、それでも誰も哀しませたく無いのだろう。
彼女は優しい人だった。
だから、琴占言海は困ったように笑う。
「っ! 琴占さんっ!」
遠ざかる背中に思わず、声が出ていた。
その声に自分で驚く暇もなく琴占さんが振り返る。
琴占さんもまさか声を掛けられるとは思っていなかったのか驚いているようだった。
声を掛けたのだから何かを喋らなければ。
頭と喉を動かそうとするが、どちらも鈍く重い感覚があった。
身体が彼女との対峙を拒んでいるのだろう。
でも、ここで何かを言わなければ、またあの困ったような苦笑をさせてしまう。
かつて自分を重ねていた彼女に。
身体が動かないのならば、心を動かせ。
息を吸う。
動かないものを動かす為に。
「あの……っ! ……宇野君を助けてくれてありがとう」
やっとの思いで吐き出した言葉は自分でも笑ってしまう程度にはうわずっていた。
でも、琴占さんは私の言葉にまた驚いたあと、優しい微笑みを浮かべた。
困った顔とは違う、それがきっと本来の彼女の表情なのだろう。
私はその時初めて本来の彼女と対峙出来たのだろう。
私はまた動けなくなっていた。
でもそれは先程までのものとはきっと意味が違う。
ずっと立ち止まっていた一歩。
その一歩をやっとの思いで踏み出した衝撃。
心地よい疲労感。
遠ざかっていく背中を私は確かに、しっかりと見つめていた。
私にはあまりにも大きく、あまりにも遠く、あまりにも輝いて見えるその背中。
何億光年も彼方の天体の輝きに似たその背中を、私は確かに見つめていた。
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