時に雨は降る 5

 「あら? 時雨君?」
 不意に声を掛けられたのは丁度生鮮食品売り場を見ていた時だった。
女性の声。
 振り返った。
 「あぁ、八重咲先輩。こんばんは」
 「こんばんは、時雨君」
 そこに居たのは八重咲桜(やえざき さくら)だった。
 錬樹にとっては一年の上の先輩で、恭弥の同級生だ。
 彼女は前年度の生徒会メンバーの一人で、引継ぎの際にいくらかお世話になった。
 「こんなところで奇遇ですねぇ」
 「奇遇ね。時雨君はどうして此処に?」
 前年度の生徒会長は恭弥で、その下で活動していた彼女は当然錬樹の家の位置も知っている。
 こんな雨の日に家から遠いスーパーに訪れている錬樹が不思議だったのだろう。
 「今、家に独りなんですけど冷蔵庫の中に何もなくて、買い出しです」
 錬樹がいくらか食品の入ったカゴを見せると桜は納得したように頷いた。
 「大変ね」
 「いえいえ、慣れてはいますから。八重咲先輩こそ、どうして此処に?」
 錬樹がチラリと桜のカゴの中を覗くと自分と同じように食品を入れていた。
 錬樹の視線に気付いたのか、桜はカゴを軽く持ち上げて、それからわざとらしく「はぁ」とため息を吐いた。
 「……今日から鬼丸の奴が家に独りなの」
 鬼丸と言うのは木元鬼丸(きがん おにまる)のことだ。
 八重咲桜という少女のパーソナリティで最も大きなものは、桜自身が望む望まないに関わらず『木元鬼丸の許嫁』ということであろう。
 『木元』という家は、少なくとも裏の世界ではそれほどまでに大きな力を持つ家だ。
 そんな家系の跡取り息子である鬼丸だが、彼が極度の面倒臭がりで生活力など無いということは錬樹も知っている程度には周囲では有名な事だった。
 要するに、桜は甲斐甲斐しく鬼丸の世話を焼きに行くのだろう。
 「……大変ですね」
 「まったくよ」
 吐き捨てるように言いながらも、なんだかんだ世話を焼くのだから桜は面倒見がいい。
 二人の間の深く気心の知れた関係が垣間見える気がして流石の錬樹も苦笑を返すことしか出来なかった。
 恐らくは溜まりに溜まっているであろう木元鬼丸に対する愚痴にこのまま付き合うのは遠慮しておきたいので話題をそれとなく逸らす。
 「木元先輩が家に独りってことは、ご家族はみんな出払ってるってことですか?」
 「そうじゃないかしら。妖心さんに何か用事でもあった?」
 木元妖心は鬼丸の実父で、現木元家当主で、さらに『能犯』の創設者兼会長を務めている人物だ。
 当然ながら、こちら側に所属していて暁高校生徒会の役割を知っている桜は、だからその名前を出したのだった。
 桜の問いかけに錬樹は特に逡巡することなく首を横に振った。
 「いえ、特に用事はないです。ただちょっと確認したかっただけです」
 「……そう」
 あまりにもあっさりと答えた錬樹。
 桜は錬樹の真意を一瞬考えたが直ぐに諦めた。
 このタイプの人の思惑や行動について考えても無駄だということをよく知っている。
 「あまり無理しちゃ駄目よ。恭弥も美亜も錬香さんも心配するんだから」
 「もちろんわかってますよ」
 頷く錬樹。
 「今さら無理なんてしないですよ。僕、無理するの嫌いなので」
 笑顔でそう答える錬樹に、桜は苦笑を返すことしか出来なかった。

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