『おつかい』2
2/
現在、キルとドレが暮らしている家から病院やギルドに向かうまでには大きく分けて二つのルートがある。
一つは大通りに出るルートである。
この街の中でも主要な交通網を通るルートであるが、診療所やギルドに向かうには遠回りになるため少々時間が掛かってしまうルートになっている。
ただし大通りという事もあって乗合馬車なども運航しているため、不便という程ではない。
それと大通りという事もあり人の通行量が多く、日陰を生きてきたドレはあまり好んで使わない。
もう一つはいくつかの裏通りを経由していくルートである。
遠回りになる大通りを行くルートに対して、こちらのルートはほぼ一直線で診療所やギルドに向かうことが出来る。
欠点は治安が良くない場所がいくつかあることで、表の大通りと違って道も狭く、馬車に乗って移動することもできない。
尤もキルを連れているドレにとっては治安の悪さなど気にする必要もない些細な事であり、こちらの裏通りルートが専らキルとの散歩道にもなっていた。
というわけで、キルがどちらのルートで診療所までおつかいに行くかと言えば、当然裏通りルートであった。
裏通りルートで行けば、診療所まではキルの足でも30分程度で着く。
家を出て、まずは露店市場を横切っていく。
この地方ではそれなりの規模の街という事もあり、露店市場には生鮮食品や飲食物、雑貨や嗜好品など実に様々なものを扱う屋台が軒を連ねており、普段から多くの人で賑わっている。
今日は朝一というわけでもなく、昼時というわけでもない微妙な時間のため市場は一段落した雰囲気で、キルが歩くのに邪魔になるほどの人ごみではなかった。
「あら、キルちゃん。こんにちは」
「こんにちは~」
キルがそんな落ち着いた市場をスイスイ歩いていると声が掛かった。
よく利用している八百屋のおばちゃんだった。
キルが挨拶を返すと、おばちゃんはにっこりと笑った。
「あれ? ドレ君はいないのかい?」
おばちゃんがキルの後ろに保護者がいないことに気付いて、不思議そうに首を傾げた。
市場に来るときはキルとドレが一緒に来ることが圧倒的に多いからだ。
基本的に一緒に行動しているのは、ドレがキルの保護者であるからという事もあるし、キルがドレを護衛しているからという事もある。
前者に関してはドレが『そういう事情』という事にして周知しているが、後者に関しては当事者の二人以外にその事実を知っているものは居ない。
その問題に関しては、『キルがどういう存在なのか』という問題に直結しているためドレが他人に漏らすワケがない。
キルにしてもドレと行動をともにしている今の状況を理解しているのか、理解していないのか、仮に理解していたとしたら何を考えているのか、がドレにすらよくわからない上、そもそもお喋りなタイプというよりは物静かなタイプなので、今を以ってキルとドレの本当の関係を知っているものは居なかった。
おばちゃんの純粋な疑問にキルも少し考えてから口を開く。
「ん……と、ドレ風邪ひいちゃったから」
「あら、ドレ君が?」
うん、と首を縦に振る。
「あぁ、じゃあキルちゃんはそれで1人で遊びに来たの?」
今度は首を横に振った。
「あら違うの?」
「おつかい……!!」
「おつかい?」
うん、と自信満々に首肯した。
おばちゃんは少し考える様に上を向いて、またキルに目線を合わせる。
「じゃあドレ君が風邪ひいたから、キルちゃんはそれでおつかいを頼まれたのね」
「そう、おつかい……!!」
おばちゃんは納得したようにウンウンと首を振った。
基本的にともに行動している、と言ってもキルが1人で遊びに出かけることも特別珍しいことではない。
キルがおつかいをしているのを見たことは無かったが、キルという少女が見た目よりもずっとしっかりしていることも知っているので、おばちゃんは直ぐに納得したのだった。
「そっか、キルちゃんは何を頼まれたの?」
「診療所で薬貰ってきて欲しいって……」
「あぁ。じゃあ、キルちゃんは診療所の方まで行くんだね」
「うん」
「気を付けるんだよ。最近は何かと物騒だからねぇ」
おばちゃんがしみじみと言った。
おばちゃんが思い浮かべたのは件のアウトロー気取りのはみ出し者集団のことであった。
その件は目の前の小さな少女がいともたやすく解決しているわけだが、当然そんなことには思い至らないわけである。
キルはよくわかっていないのか、いつもの感情の薄い目でウンウン頷いているおばちゃんを見てから、コクリと頷いた。
隣にドレがいれば今のが適当な頷きであることに気付いたかもしれないが、残念ながらドレ以外にはキルの心理を読み解くことは容易ではない。
「……しかし、ドレ君も大変だねぇ」
キルが頷いたことに安心したのか、おばちゃんが話を変えた。
「ドレ……苦しそうにしてた……」
「うーん……、じゃあ差し入れでもしてあげたらいいかしらね」
「差し入れ……?」
「果物とかがいいかねぇ」
おばちゃんは売り物の真っ赤なリンゴを手に取った。
秋の深まったこの季節は丁度リンゴの時期で、おばちゃんの手に持ったリンゴもきっと甘いだろう。
キルは無意識のうちに、その味を想像していた。
キルは甘いものが好きだった。
おばちゃんがキルの視線に気付き、微笑んだ。
「キルちゃんはリンゴ好きかい?」
「……好き!!」
キルの力強い肯定におばちゃんは更に笑う。
「キルちゃんもドレ君もウチの常連だからねぇ。サービスしてあげようか」
おばちゃんはリンゴを戻して、腰に手を当ててキルと視線を合わせる。
「じゃあ、うんと甘い奴を選んどいてあげるから、キルちゃん帰りにまた寄って行ってよ」
「わかった……!!」
嬉しそうに頷いたキルにまた笑う。
「じゃあキルちゃん、おつかい気を付けるんだよ」
「うん」
おばちゃんに手を振って、キルは市場をまた歩き出した。
新しい約束もできて、キルはウキウキで歩いているが、それが周りに伝わることは無かった。
3/
ドアを開けると、診療所独特のにおいがした。
多くの子供はその匂いが苦手であろう。
子供にとって診療所とは痛みや苦しさと直結しているからだ。
当のキルはと言えば、特に何を思う事もなくドアから入ってすぐの待合室のベンチに腰を掛けた。
キルには病気も怪我もない。
人間ではない少女にとっては、診療所に対する恐怖も何もない。
ちなみにドレは診療所に来るたびに嫌そうな顔をしているのだが、キルにとっては不思議で仕方がなかった。
街の外れにある、決して立派とは言えない建物がキルの目指した診療所であった。
その診療所は街の中心にある病院と比べればあまりに小さな診療所である。
しかし、ドレは必ずこちらの小さな診療所を利用していた。
人がいないのか、診療所の中は静かだった。
キルも静かにベンチに座ったまま待っていると、奥の診療室と待合室を分ける暖簾をくぐって背の高い女性が出てきた。
白衣を纏った、艶やかな長い黒髪に鋭い目つきの女性。
女性は無言のまま、キルの横にドカリと腰かけた。
女性ははぁ、とため息を吐いてから白衣の内ポケットから煙草を一本取り出して口に咥えて、指パッチンを一つ。
女性の咥えた煙草の先に赤色の小さな魔法陣が光り、小さな火を煙草に灯してすぐに消えた。
ゆっくりと紫煙をくゆらせる。
「……武器屋のバカ息子がまた骨折りやがったんだよ、今朝」
突然、女性が口を開いたがキルは驚かない。
この女性はこういう性格だから。
「……なんで?」
女性の方を見ながらキルは首を傾げた。
女性――この小さな診療所の主にして女医のヴェルニア・セラリタはゆっくりと紫煙を吐き出してからキルの方を向き、乱暴にキルの頭を撫でて、苦笑いしながら答えた。
「ベッドから落ちたんだと」
ヴェルニアの手は乱暴ではあるが、嫌ではなかった。
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