動かない鳥
私には今、気になっている人物がいる。
いや、別に異性として気になっているというわけではない。
確かに私の性別は女で気になる相手は男性であるが、この気になるというのにはおおよそ恋心というものには関係が無い。
そもそもこの妙に気になっているのに恋心的なものがうんともすんとも言わないというのもなかなか気になる点の一つでもある。
彼に恋人が既にいる、という情報は既に得ているのでそのせいだと思ってしまうが、それでも気になっている相手には少しくらいは揺れ動くのが乙女心というものだろう。
そうではないのか?
しかし、どうにも彼にはそういう気持ちが動かない。
顔が悪いわけでも、素行が悪いわけでもないのに。
不思議だ。
話を戻そう。
そう、気になっている彼の話だ。
彼の名前は『風島清景』。
私と同じ大学の、同じ学年の、同じ学部に通う学生だ。
友達や友人という立ち位置ではないが、まぁ講義でよく顔を合わせたり、時には講義のグループで一緒になったりする顔見知りと言うのがいいだろう。
なので、私が彼と個人的に話したことは無い。
精々世間話程度に会話をするぐらいだ。
彼も(たぶん)大人しいタイプで、おそらくは今までの学校生活の中でも教室の端で本を読んで過ごしてきたタイプの人間だろう。
しかし、周囲から耳にする彼の噂はどうにもそう言った私の受ける心象とは違うものあって、そうなるとやはり彼という人物がどうにも気になるのだった。
ちなみにだが、私が彼を動物に例えるならハシビロコウとかだと思う。
1/
「――それでここの部分、長谷さんはどう思います?」
「――え? あ、何……って、あ、資料、資料の話ね!! え、えーと……」
どうにもぼうっとしていた。
私は手元の資料に慌てて目を落とす。
並んでいるのは数字とグラフ。
私は必死に返すべき言葉を探していたが、質問者である風島清景は不思議そうにこちらを見ていた。
来週の講義でグループ発表が必要になった。
今はその発表のための資料作りの最中であった。
メンバーは私と私の横で机に突っ伏すように資料を眺めている男『田中』と「忙しいから」とだけ言い残してここに来なかった女『小浜』さんと、そして私に質問してきた例の男『風島清景』の四人だ。
このメンバーは別に誰かの意思で決まったものではない。
講義の担当教授が教室の端の方から適当に四人ずつ決めて行ったので、こうなった。
グループが決まり、講義は終了。
あとはそれぞれ来週の発表までに資料を読んで発表内容を考えてくるように、というどうにも投げやりな言葉を残して教授は教室を出て行った。
教室に残された学生は直後すぐにザワザワと騒ぎ出した。
なんせ適当に四人を決められてしまったので都合が良くない事も多い。
それに期限も来週までとそれほど時間がない。
さて困ったものだ。
にわかに活気づく教室内で私は項垂れた。
指定された四人の内、小浜と田中は真面目な学生ではない。
普段は後ろの方の席で何人かの友人と延々としゃべっているタイプだ。
今日はたまたま後ろの席が埋まっていたのか私の近くの席に座ってしまったようだが、そうなれば彼ら彼女らからすれば一層面白くないだろう。
残された私と風島君は比較的真面目な学生だとは思うが、いかんせんどちらも教室の端で本を読んで過ごすようなタイプの人間で、誰かとコミュニケーションをとることは得意ではない。
そんな私たちには田中と小浜をコントロールすることは不可能だろう。
困った。
もういっそ二人を無視して風島君と二人で作業しようか、人が減り始める教室の中でそんなことを考えた時だった。
「田中、この後時間あるか?」
口を開いたのは意外なことに風島君だった。
そして、失礼ながらこれまた意外なことにその言葉はなんとも軽快だった。
「んー……。今日は大丈夫、かな」
田中も特にそれに何を思うでもなく言葉を返していた。
なんだ、私が知らないだけで二人は知り合いなのか?
でも、それにしては二人が会話をしているのを見たのは初めてな気がする。
いや、そもそも考えてみれば顔と名前ぐらいはお互いに知っているのだからこのぐらいの対応は普通なのかもしれない。
私には出来ないが。
風島清景、意外とコミュニケーションが得意なタイプなのか?
いや、それにしては私が見る時はいつも一人で本を読んでいるんだが?
などと私が内心で考えていると小浜が立ち上がった。
「私忙しいから、みんなで考えといて」
スマホ片手に彼女は颯爽と去って行った。
取り付く島もない感じだった。
ここまで華麗に押し付けられるといっそのこと清々しい。
そして、どうやら付き合ってくれるらしい田中がまともな奴に見えてきた。
偉いぞ、田中。
「……あー、長谷さんはどうですか?」
「え!? あ、っと……その……こ、この後は、大丈夫……です」
田中に生暖かい視線を送っていると急にこちらに話を振られたので焦った。
なんとか返事をして、ついでに私の不器用な微笑みを付けておいた。
その昔、私に突っかかってきた同級生女子に「なんか不穏」と言われた笑顔だ。
どうだ、参ったか。
「じゃあ、あとにまわしても面倒だし、今日のうちに発表の内容を考えましょうか」
だがしかし、そんな私に何の反応も示すことなく風島君はこの場をまとめた。
なんだか負けた気分だ。
それから、風島君は手際よくこの空き教室を手配し、私たちはこうして資料を読んでいるわけだ。
真面目なタイプだろうとは思っていたが、こんなに手際よく物事を進めるだけの行動力があるタイプだとは思わなかった。
ちらと風島君の方を見る。
風島君もこちらを見ていた。
おもわず視線を資料に落とした。
そうだった、こんなどうでもいいことを考えている場合ではない。
返事をしなければならなかった。
「あ、あー……え、と、ここの数字なんだけれど――」
私は何とかなんでもない風を装って資料を指差した。
風島君も田中も私が指した部分を確認してから自分の手元の資料の方を見た。
なんとか誤魔化せただろうか。
誰にも聞こえないようにほっと息を吐いて言葉を続ける。
「他の時の数値と比べてちょっと違う値になってると思うのだけど――」
2/
「こんなもんかな」
流石に教授も期限が一週間では短いと思っていたのか、話し合いは三十分程度で終わってしまった。
私は机の上に出していた資料を鞄に片づける。
「あ、俺、小浜さんの連絡先知らないんだけど、田中知ってるか?」
「あー……たぶんわかる、かな?」
「じゃあ、一応発表の内容伝えてもらってもいいか?」
「ん、わかった」
片づけはすぐに終わって、机の上が綺麗になった。
二人はまだ帰る気が無いのか机の上に資料を出したままだった。
おそらくは帰っていいのだろうが、なんとなく帰りにくい。
私はそのまま黙って二人の会話を聞く。
「そういえば風島さぁ」
「ん?」
「椎名のやつ元気か?」
知らない名前だ。
「秋平か? 元気だけど……。そういえば田中は高校一緒なんだっけ?」
「おう。まぁ、仲が良かったわけでは無いけどな」
「なんだ。そうなのか」
「当時から結構悪目立ちする奴だったからな。俺も含めてあんまり近寄る奴いなかったんだよ」
「あー、確か部活の顧問と喧嘩して部活辞めたって言ってたな」
「そうなんだよ。俺でも噂に聞くぐらいめちゃめちゃベース上手いらしいんだけどな」
「実際、上手いぞ」
「上手いのか」
「上手い。上手いし今は楽しそうにベースを弾いてくれるよ」
風島君は自慢でもするように断言した。
風島君はバンドをやっているらしい、というのは以前に聞いたことがあった。
おそらく話に出てきた人物は風島君のバンド仲間なのだろう。
しかし、話を聞いている感じだと随分と危なそうな人間の話に聞こえたのだが、風島君はそんな人間とも仲良くしているのか。
相変わらず予想外だ。
二人の話を聞きながら私はなんとなく腕時計を見た。
予定はないが帰ってもいいのだろうか。
そんなことを考えながら二人の会話を聞いていた。
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