『生き別れの妹』
突然だが、私には生き別れの兄がいる。
まだ私の物心がつき始めたぐらいの時期に私の両親は兄と私の二人を残して死んでしまった。
のちに聞いた話では、何でも当時の流行り病だったようである。
私の住んでいた村にはきちんとした魔法医(回復魔法を使える医者)がいなかったらしく、処置できずに死んでしまったらしい。
先に述べたように病気は流行り病だったので、私たちの両親以外にも村の大人子供問わず、多くの人間が亡くなってしまった。
それほど規模の大きくない村だったので、村長たち村の責任者が考えた結果、親を失った子供たちを街の孤児院に預ける決断をしたそうだ。
こうして私と兄をはじめとした村の子供数人が様々な街の様々な孤児院に飛ばされることになった。
ここで私と兄が生き別れたのかというとそうではなく、私たち二人は村から随分離れた大きな街の孤児院に二人一緒に預けられることになった。
私の覚えている小さい頃の記憶のほとんどがこの孤児院での記憶だ。
風の噂によれば孤児院の中には、相当劣悪な環境で運営されているものもあるようだが、私の育った孤児院は『七大ギルド評議会所属【第一ギルド】』によって運営されている孤児院だった為、問題のない健全な運営がなされており、私もその中ですくすくと健康に育ってきた。
当時の私は非常に活発な子供で、記憶がはっきり思い出せるような頃にはもう孤児院の周りの同年代の子供を束ねるガキ大将のような立ち位置で、朝から晩まで街中を駆け回っては孤児院の先生たちや兄を困らせたりしていた。
私自身は物心がつくかどうかという時期に預けられたこともあり、そのようにすぐに孤児院での暮らしに慣れたが、私より五つも上だった兄にとってはとてつもなく大変だったことだろうと、今になって思う。
それでも兄は私に対して優しく接してくれた。
この頃の兄はよく困り顔で笑っていた。
それからしばらく私はすくすく育っていったのだが、『魔法』を本格的に勉強し始める少し前ぐらいから私が特別な存在であることが少しずつ顕わになっていった。
私は身体能力が周囲からずば抜けていて、当時すでに周りの大人に引けを取らない身体能力を持っていた。
実際、勉強の一環としてあった体術や武具術の授業では周囲の子供たちが子供同士で練習している中、私はずっと先生や講師の人と一緒に打ち合っていた。
逆に魔法に関しては、周囲の子供たちが少しずつ自分の属性に合ったごく初歩的な魔法を本や大人に習って使えるようになり始める時期であったが、私は全く何も魔法を使うことが出来なかった。
そうこうして、本格的に魔法の勉強が始まりだし、私が特別な存在――即ち『勇者』であることが正式に分かった。
『勇者』であることがわかっても、幸いなことに周りの環境が急激に変わることはなく、周りにいてくれた多くの大人は「あ、やっぱり」程度の反応であったし、周囲の友達も単純に羨ましがったりしてくれた。
そして何より兄が喜んでくれたことがとてもうれしかったことを今でも覚えている。
孤児院がギルドの運営であったこともあり、それからギルド所属の冒険者をはじめとした多くの人物と会うことが出来た。
それらは私の『勇者』としての素質を伸ばすためであり、そういった人物に会うたびに私は大きな刺激を受け、楽しんでいた。
そのうえで孤児院の先生たちは口を酸っぱくして私に「『勇者』であることに縛られる必要はない、あなたの思うように、自由に行きなさい」と言ってくれた。
本当に素晴らしい環境で育ったと思うし、孤児院の先生方には感謝しかない。
あの孤児院で育ったことは私にとって大きな誇りだ。
それから季節が数回繰り返し、兄が孤児院を出ていく日になった。
孤児院は規定により18歳までしかいられないのである。
とはいえ兄は優秀だったため、すんなりと孤児院と繋がりのある第一ギルド職員の仕事を勝ち取り、問題もなく孤児院を出ていくことになった。
しかし、兄が勤めることになった第一ギルドの本部は孤児院のある街ではなく、かなり遠くの街にあるため、兄と孤児院の先生たちは私をどうするか非常に悩んだそうだ。
結果的に私は孤児院に残り、兄は一人で本部へ向かうことになった。
本部でも『勇者』としての私は育つだろうが、それでは私が『勇者』に縛られてしまうということを懸念したことらしい。
私はそうして寂しい思いをすることになったが、兄は律儀に毎週のように手紙を送ってくれた。
私は兄の手紙で寂しさを紛らわせ、前向きに日々を過ごした。
だが、事件は起こってしまった。
突然兄からの手紙が止まってしまった。
以前も時々兄からの手紙が来ないことはあった。
仕事の関係で冒険者パーティに付き添って様々な調査を行うことがあり、手紙を送れないような場所や手紙を送ってもこちらに届くまでにかなり時間がかかるような場所に行くことがあった。
とはいえ、それでも少なくとも三か月以内にはまた手紙が送られてくるようになっていたのだが、パタリと手紙は来なくなってしまった。
代わりに、孤児院に第一ギルドの職員が訪れ、兄をはじめとした第一ギルドの職員数名と複数の冒険者パーティによってできた調査団が仕事の最中に忽然と消息を絶った、という事実を私に告げた。
突然、目の前が真っ暗になった気分だった。
一か月は何もできなかった。
兄を失った悲しみが私の全身を支配し、ベッドから起き上がるのも億劫でずっと部屋に籠っていた。
孤児院の先生方や仲間たちにたくさん迷惑をかけてしまった。
一か月悩んだ末、兄が消息不明であり、その死が完全に証明されたわけではないことに気づいたのだ。
ならばあとは簡単だ、私が兄の生存を確認し、連れて帰ってくればいいだけだ。
それだけの力が私にはあるはずなのだ。
私はすぐに孤児院の先生方に話をつけ、孤児院を出て第一ギルド本部で暮らすことにした。
先生方の中には反対してくれる方も多かったが、最終的には私の意志を尊重してくれた。
それから一年弱、私はギルド本部で冒険者として必要な技術や『勇者』としての力を磨き続けてきた。
そして今日ついにその第一歩を踏み出すのだ。
見慣れたギルドの門を潜り、たくさんの冒険者で賑わうロビーを通り抜け、足早に受付へ向かう。
「こんにちは」
「あら、こんにちは。今日は何の用事かしら?」
受付の見知ったお姉さんがにこやかに挨拶をしてくれた。
私はバッグから紙を一枚取り出しお姉さんに渡した。
「……そう、ついに。今日からなのね」
「はい、今日からです」
私が答えるとお姉さんは神妙な顔で紙の内容にゆっくりと一通り目を通した後、紙の一番下、私のサイン欄の横にハンコを押した。
「受理しました。これであなたも正式に冒険者ね」
「ありがとうございます!!」
「細かい注意事項なんかの説明をしなきゃならないんだけど……、あなたなら不要ね」
お姉さんがクスリと笑った。
「正式に冒険者とは言っても、ギルド証と冒険者手帳の発行が必要だから、あと2、3日はのんびりしててね」
「はーい」
私の返事を聞いてからお姉さんは一度手元の紙に目を落として、確認をした後、顔を上げた。
「それから一応パーティ名の登録ができるけれど、どうする?」
「お願いします」
一度、言葉を切り、息を吸い、呼吸を整える。
「『盾の勇者』パーティでお願いします」
「登録しておきます。……お兄さん、早く見つけられるといいわね」
「……必ず見つけます!!」
私には生き別れの兄がいる。
私たちは生き別れなのだ、決して死に別れじゃない。
それを証明するため、私――盾の勇者は冒険者としての第一歩を踏み出したのだ。
完
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