『クローン人間』
夕日が沈み始めているのが廊下の窓から見えた。
「……ほぅ」
その綺麗さに思わず感嘆のため息が漏れた。
放課後の学校が結構好きだ。
部活動の声が響きながらも静寂を保つような、奇妙と評しても遜色のない、ある種危ういバランスの上に保たれている空気感。
そして、そんな雰囲気に反発することなく、その空間に存在する自分にまるで物語の主人公になったかのような錯覚を覚えられるからだ。
日常の延長上に浮かび上がる非日常の雰囲気。
常に日常と非日常を行き来し続ける私には、その曖昧な瞬間が何か心に引っかかるのだろう。
「…………」
歩みを止め、もう一度廊下の窓の向こうに映る夕日と朱に染まる街を見下ろした。
自分の守るべき日常を再確認するように――――
「――――……なんてな」
高校指定の制服に身を包んだ少女――琴占言海は独り呟いて笑った。
言海がこの日、遅くまで学校に残っていたのには理由があった。
単純な話。
学級代表を務める言海は担任教師に仕事を頼まれたのだ。
仕事、と言っても非日常の仕事ではもちろんなく、なんてことはないプリントの整理であった。
ただ思っていた以上にプリントの数が多く、予想以上に時間がかかった。
終わってから教室に荷物を取りに帰り、現在に至った。
教室には生徒の姿はなく、言海の幼馴染である風島清景の姿も既になかった。
清景が既に帰宅したのであれば、言海が帰路を急ぐ理由も特になく、ふと窓から見えた夕日が綺麗だったので立ち止まって、自分の世界に浸るように眺めていたのだった。
「……おっと」
夕日に気を取られていたが、時計を見ると思っていたよりも時間が進んでいた。
これ以上遅くなっては両親に心配をかけてしまう。
言海が窓から視線を外し帰路に着こうと再び歩き出そうとしたところで、誰かとすれ違った。
「最近キナ臭いことが多いわよ、用心しなさい」
すれ違いざまに言葉が投げられた。
言海が再び立ち止まった。
辺りは一層、静けさを増したようだった。
おそらくは実際に『人払い』でもしたのであろう。
言海は特段、怖気づいた様子もなく普段と変わらぬ動作で振り返った。
「なにかあったんですか、『先輩』」
振り返るとそこには言海と同じ制服を身に纏った女性が居た。
言海の見知った、言海よりも学年が一つ上の女性。
『先輩』と呼ばれたその女性は言海の問いかけにクスリと笑った。
「私はいつも通りだけれど、貴方の周りが随分面倒なことが多いみたいよ?」
「私の周り?」
先輩が人差し指をピンと立てた。
「えぇ。一つ目は貴女の友人、宇野耕輔……だったかしら? 彼、貴女の側に随分巻き込まれているみたいね」
「あぁ、あいつは主人公体質ですから。気に掛けていたつもりだったが、ついにこっちに巻き込まれてしまったか……」
例え止めたところで、宇野耕輔はいつかこちら側に来ることが言海にはわかっていた。
それは宇野耕輔が宇野耕輔である限り避けられないことなのだと思う。
それでも実際にその話を聞いて、自分なら止められたかもしれないと考えてしまうのは宇野耕輔もまた、言海にとって大切な幼馴染だからに違いない。
「二つ目だけれど」
先輩が立てている指を二本に増やした。
「その宇野君を狙っているところも多いみたいね。彼、とんでもない特異体質なのね」
それも予想の範囲内であった。
言海が耕輔を『主人公』と称するのは、なにも性格だけの話ではなく、その特異な体質も相まっているからに他ならない。
もし、こちら側の人間が耕輔の体質に目を点けたのなら一波乱も二波乱も起こるだろう。
それこそ、言海の出番も近づいてきているのかもしれない。
「ありがとう、先輩。耕輔の周囲を警戒しておくよ。まぁ、耕輔がこちらに引っ張り出されてきた以上はおそらく大きな波が来るのだろうが、な」
「……まぁ、貴女の出来る範囲で頑張りなさい。私は『観測者』である以上、手出しはしないわ」
日がすっかり沈み、空を覆う黒色がどんどんその支配を大きく伸ばしていく。
廊下も暗さをさらに増した。
先輩が立てている指をさらに増やした。
「それから、最後に三つ目だけれど、どうやら貴女のクローンを作ろうとしている連中がいるみたいよ?」
「私のクローン? 何のために?」
「もちろん、貴女が最強の能力者だからじゃないかしら。あなたの能力を持った言う事の利く人間を作り出されば世界なんて簡単に支配できるもの」
「まぁ、クローンの私が私と同じだけのFPを所有するようなことがあれば……でしょう?」
「それが出来るか出来ないかを理解している人間は世界にそう多くはないから仕方ないでしょう?」
琴占言海のクローンを作り出したところで、そのクローンが言海のような能力得ることは万が一にもあり得ないことだろう。
FP能力とは、その存在に紐づけされているからだ。
琴占言海のクローンが存在しても、琴占言海のクローンは琴占言海ではない。
尤も、その危険性がないとしても、自分と同じ人間が別の人間に所有されているという状況をよしとする人間はそう居ないだろう。
「まだ、準備段階みたいだし、早めに手を打っておいて損はないと思うわ」
「そうしておきます」
言海が肩を竦めながら先輩の言葉に同意すると、先輩はそれ以上の話はないと踵を返して廊下の奥へ歩いて行った。
残された言海も再び帰路を歩き出した。
完
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