『時間旅行』

 波の音が聞こえる。
 寄せては返す波の音。
 真っ白な海岸を入道雲の浮かぶ青空に佇む夕日が照らしていた。
 目の前にいる黒髪の少女が口を開こうとし、言いよどみ、口を閉じ、俯いた。
 
 ――――――これは記憶だ。

 俺は何もできないまま、ただただその少女を見つめていることしかできなかった。
 俺たち二人の間を風が吹き抜けていく。ただ時間だけが過ぎていく。
 二人の沈黙を癒すように、優しい波の音だけが響き続ける。
 波の音だけ……――――

 
1/
 ――――きなさい!! 早く起きなさーい!!」
 突然、体が宙に浮く感覚。
 直後、背中全体に鈍く、そして重い痛みが走った。
 
 「ってぇ!!」
 
 自身の大音量の叫び声と痛みによって無理やり覚醒させられた。
 状況が把握できないまま、上半身を起こし辺りを見回すとそこにはよく見知った顔があった。

 「随分と気持ちよさそうに眠ってたわね? いい夢でも見てたのかしら?」

 目の前の金髪の少女は嫌味満点にそんなことを訊いてきた。

 「……お前なぁ……起こすときは優しく起こせよ……昔から言ってるだろ」

 少女の質問を無視して苦言を呈しつつ立ち上がり部屋の惨状を見てみると、どうやら俺はベッドから豪快に落とされて起こされたようだった。
 証拠に掛けていた毛布が散らかっていた。

 「優しく起こして起きたためしのないあんたが言うと説得力があるわねぇ」

 うんうん、と首を振りながら俺の苦言に対しまたしても嫌味で返してきた。
 思うところはもちろんあったが、これ以上は無駄であることを良く知っているので何とか飲み込むことにした。

 「……何よ? 寝坊しそうなあんたを毎回起こしてあげてる『優しい幼馴染』に対して何か文句でもあるのかしら?」

 飲み込んだが、顔には出ていたようだった。
 これ以上は本当に怖いことになってしまうので、「はぁ……」とため息を一つついてから話題を変えることにした。

 「で、今日は何の用事だ? 冒険か? 探検か? それとも、また怪しい魔法の訓練でも始めるのか?」

 俺がめんどくさそうに肩を落としながら目の前の幼馴染に目的を尋ねると、幼馴染はかわいそうなものを見る目つきで俺を見た後、ため息を吐いた。

 「……あのね、今日はあんたが村の警備の日だから起こしに来たんだけど。 今が何時かわかるかしら?」

 言葉の直後、村の中央にそびえる時計塔が鐘を鳴らし始めた。
 ゴーン…… ゴーン…… ゴーン……と。
 響いた鐘の回数は九回。つまり、現在の時刻は九時である。
 ちなみにだが、村の警備の際は九時までに村の警備団の団長のところに集合ということになっている。
 つまり……――――

 「遅刻じゃねぇか!!」

 幼馴染と遊んでる暇などなかったのである。
 俺は(倒れた)ベッドの横に立てかけていた剣をひっつかんで玄関に走り出した。
 頼む、間に合ってくれ!!

「お昼にお弁当持ってってあげるから、今日も一日頑張んなさい」

 慌てながら走る俺に対して幼馴染はそう告げてくれた。
 俺は後ろ手に手を振って返事をしながら玄関を出た。

 晴天が俺を迎えてくれた。

2/
 遠くから時計台の鐘の音が聞こえた。
 回数は十三回。つまり、13時。どうやら午後に差し掛かったらしい。

 「ふぅ……」

 近場にあった岩に腰かけて一息つくことにした。
 団長のもとに遅れていった俺は、団長に「またか……」と呆れられながらも、村の近くの草原のモンスターの間引きを任され、一人黙々と仕事をこなしていた。
 一段落着いたところでちょうど13時の鐘が村の方から聞こえて来たので休憩することにしたのだ。

 「あー……」

 体を伸ばしながら岩の上に仰向けに倒れるように寝っ転がると、目の前には真っ青な空と遠くのほうに真っ白な入道雲が流れているのが見えた。
 ぼーっと青空と流れる雲を眺めていると心地の良い疲労感が体全体を包み始めた。
 このままひと眠りしようかと目を閉じたところで、

 「お疲れ様」

 真上から声がかかった。
 目を開ければ、そこには今朝も見たよく見知った少女の顔があった。
どうやら覗き込まれているようだ。

 「……おう」

 適当な返事をしながら上体を起こし、幼馴染の方を向くと、幼馴染は持っていた包みの片方をこちらに差し出してきた。

 「はい、お弁当。あんた、朝も食べられなかったからお腹すいたでしょう?」

 そういえばそうだった。忘れているときは気にならなくても、意識しだすと急にお腹が減ってくるもので、グー、とお腹が鳴ってしまった。
 今更その程度で恥ずかしがる関係でもないので、差し出されたお弁当をクスクス笑っている幼馴染から受け取った。

 「顔赤くなってるわよ?」
 「……うるせぇ」

 弱く反論して見せるが、どうやってもこの幼馴染には勝てない……。
 それ以上言うのやめて包みを開けることにした。
 幼馴染はいまだクスクスと笑いながら、俺の隣に腰かけてもう一個持ってきていた包みを開け始めた。おそらく自分用のお弁当だろう。

 「「いただきます」」

 包みの中はサンドウィッチであった。
 俺たち二人は草原の真ん中で手を合わせて、同時に食べ始めた。

 悔しいことに隣にいる幼馴染は料理上手であり、持ってきたサンドウィッチは絶品と評しても過言ではない出来栄えであった。
 そもそも、彼女はスペックが高い人間なのだ。料理上手である他にも、村では数人しか使えない魔法も使えており、戦闘に関しても村で一番強いはずの俺とやりあえる程度には強いのだ。
 さすがは村長の孫娘である。

 「? なにか用事?」
 「いや、別に」

 幼馴染のことを考えていたせいか、自然と彼女の方に顔を向けていた。
 適当に誤魔化して、食事を続ける。

 「……そういえば、今日は随分ぐっすり寝てたわね。いい夢でも見てたの?」

 思い出したように彼女が訊ねてきた。
 特に朝の寝坊を責めるためでも無いようであった。

 「……夢。 んー、なんか見てた気がするなぁ」
 「ふーん、どんな内容?」
 「うーん、覚えてねぇなぁ」

 食事を進める手を止め、頭を捻って今朝の記憶をたどるがあまり思い出せない。

 「……まぁ、夢の内容なんてそんなものよね」

 頭を捻る俺の横で彼女はそう呟いた。

 「……あー、でも――」

 なんとか思い出した記憶の尻尾を掴む。
 靄を掴むような、実態のない曖昧な感覚、決して確実な何かを掴めたわけではない。それでも俺はそれを必死に掴んだ。

 「――懐かしい夢だった気がするんだ」

 何故、俺はたかだか夢のことをこんなに必死に思い出そうとしているのだろう。

 もしかしたら、それはいつかの俺たちにとって大切な『なにか』だったのかもしれない。

 まだ傾き始めたばかりの太陽に照らされながら、俺たち二人は食事を続けた。

3/
 遠くで時計台が鳴っているのが聞こえて来た。回数は十六回。
 疲れを感じて、ぼーっと、草原の向こうにある傾き始めた日を眺めていた。

 「今日は終わり?」

 背後から声がかかった。
 あの後、幼馴染は帰らずに居座ったのである。
 最も、仕事の邪魔になるわけではないし、昔からよく仕事中に居座ることがあるので今更気に留めることでもない。

 「……あとはいいかな。なんかヤケに疲れた気分だし」

 太陽の方を向いたまま、彼女に返事をした。
 実際のところ、あと一時間ほど仕事時間は残っているのだが、誰に見られているわけでもないので切り上げてしまうことにした。
 特別、草原のモンスターに何か異常があったわけでもないので問題はないだろう。
 しかし、仕事時間は残ってはいるので適当に一時間ほど時間をつぶしてから団長のもとへ行かなければならない。
 さてどうしようかと、のそのそと帰り支度を始めると、彼女が肩を叩いてきた。
 
 「たまには私に付き合いなさい」
 「……いいけど、何すんだよ」

 たまには、ではなくいつも付き合わされているんだが、という苦言を飲み込んで何をするのかと問うと彼女は「んー」と逡巡したそぶりを見せた後、草原の奥に見える森の方を指さした。
 
 「今日は天気もいいし、森を抜けて海岸にでも出ましょうか」

4/
 草原から森を抜けて海岸に出るルートはそれなりに時間がかかるのだが、幼いころから冒険と称して村を抜け出してはこのルートを通っていた俺たちにとっては手慣れたものだった。
 結局一時間もしないうちに海岸に到着した。
 村からここの海岸に出るには普通の村人なら相当な時間と道中のモンスターによって相当な労力が必要になるため、普段から俺たち二人ぐらいしかここには来ない。
 そのため案の定、今日も貸し切りであった。

 「なんだか、久しぶりに来た気がするわ」

 幼馴染はそう呟くと靴を脱いで、さっそく波打ち際まで駆けて行った。

 「確かに。しばらく来てなかったかもなぁ」

 最後に来たのはいつだったか、と思考を巡らせるが、靄がかかったように曖昧であった。

 「? どうしたのよ?」

 パシャパシャと水に足をつけて涼んでいた彼女が、動かないまま考え込んでいた俺に気づいたようだった。

 「……いや、最後に来たのがいつだったかな、と思って…………」
 「最後? んー……」

 未だ思い出せない俺を見かねたのか彼女も考え始める、が

 「……あれ?」

 彼女も不思議そうな顔を浮かべ始めてしまった。
 おかしい、昔からよく来ている海岸なのだ、記憶がないはずがない。

 「……小さい頃はよく来てたわよね?」

 不安そうな顔の彼女がこちらに訊ねてきた。
 その記憶はある。俺は彼女の質問に対し首肯した。

 「よく来てたな、お前が『冒険』なんていって何度も連れ出された」
 「そう、よね……。よく来てたわ……」

 俺も彼女も思い出そうと、ゆっくり海の方へ顔を向けた。
 オレンジに染まり始めた太陽が海に沈みだすように、傾いているのが見えた。
 まだ橙に染まる前の青空にゆっくり移動する入道雲が見えた。
 寄せては返す、を繰り返す波の音が聞こえた。

 「小さい頃はよく来てた……」

 幼馴染がぽつりと呟いた。

 「わたしと――――」
 お前と――――

 「あんたと――――」
 俺と――――

 そこで俺たち二人の思考が止まった。
 表情も固まったまま時間が進んでいく。
 波の音が響く。

 何か、何かあった気がするのだ。
 それが何なのかがわからない。
 次の瞬間には、この違和感すら忘れてしまいそうな、でも何か忘れられないほど大切な――――

 ――涙がこぼれているのに気付いた。
 俺だけじゃない、幼馴染も同じように涙を流していた。
 目の奥からとめどなく涙が流れ出してくる。

 何か、何かがあったのだ。
 今はもう思い出せない。
 それが何なのか、俺たちは何を思い出そうとしているのか。
 思い出せない。
 
 何か……
 ――――いったい何を?

 気が付けば涙は止まっていた。
 俺も、幼馴染も。
 もう涙は出ない。

 動けないままの俺たちの耳に波の音だけが響く。
 波の音だけ――――

                             完

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