『獣人4』

 メルの刃がドラゴンの鱗を簡単に切り裂いたのは、刃の性能によるところが大きい。
 それは逆に言えばドラゴンの不意を突かなくとも、メルの攻撃がドラゴンに通じるという事である。
 尤も、メルの攻撃がドラゴンにダメージを与えられるかという問題の解決にはつながらず、ドラゴンの危険度が下がるわけではない。
 危機は依然変わらない。
 いや、むしろメルの攻撃によって怒りをあらわにした現状は危機は更に上がったのかもしれない。

 「グルルルル……」
 低い唸り声と荒い鼻息を周囲に響かせながら、ドラゴンはメルを睨みつける。
 背筋が強張るのを感じながら、それでもメルは必死に刃を構え、足に力を入れ続ける。
 (みんなは無事に逃げられているだろうか)
 (大人を呼びに行ってくれただろうか)
 (ドラゴンはこの一体だけなのだろうか)
 (助けはいつ来るのだろう)
 (……怖い!!)
 メルの頭を様々な思考が駆け巡るが、気を抜けば恐怖だけが残りそうだった。
 頭を振り、必死に恐怖を振り払う。
 
 頭を振るため、一瞬視線を外した隙だった。
 「ガァァァァアアッ!!」
 ドラゴンが大口を開け、メルに飛び掛かってきた。
 「ッ!!」
 寸前で半分転んだように横へ避ける。
 ガチリッ!! とメルの耳にドラゴンの牙同士のかち合う硬質な音が届き、背筋が凍る。
 攻撃を受ければひとたまりもない。
 中途半端な回避のせいで全身に痛みが走ったが、無視して即座に立ち上がり、走り出す。
 一か所に留まれば、格好の的となる。
 ドラゴンとの間合いを取りながら、メルは必死に思考を巡らせる。
 メルは知っているハズなのだ。
 師匠との旅や教え、師匠の元を訪れる一流の冒険者達から聞いた話。
 そこにドラゴンの対処法も必ずあるはず。
 
 「ガァァァァアアッ!!」
 攻撃を避けられ、一瞬メルを見失っていたドラゴンが再びメルを捕捉し、咆哮を上げた。
 咆哮を上げたドラゴンの口角から煙が見えた。
 ブレスの予備動作だ。
 ドラゴンには様々な種類が居て、その吐き出すブレスも様々である。
 単純に強力な炎や魔法に依って生み出される各属性のブレスを吐きだすモノもいれば、毒や麻痺、石化などの魔法効果をブレスとして吐き出すモノもいる。
 つまりは油断できない。
 先達の言葉が脳裏に浮かぶ。
 避けなくてはならない。
 瞬時に判断し、メルは獣人の身体能力をフルに使い、一跳びですぐ横の太い木の枝に跳びついた。
 が、ドラゴンは依然、メルを捕捉していた。
 「ッ!!」
 ドラゴンの口が開き、ブレスが放たれる!!

 『ドラゴンのブレスってのは危ないけど、基本的には予備動作や攻撃行動の時間が長い。人間でいえば、強力な魔法を撃つのに長い詠唱や複雑な魔法陣が必要なもんだ』

 それは師匠の元を訪れた、とある世界最高の魔法使いの言葉だった。

 『だから、油断は出来ないけど、大きい隙でもあるんだよ』

 それはとある世界最高の剣士の言葉だった。

 メルは掴まっていた木を蹴りつけ、強引に、急速に地面に着地。
 直後、ドラゴンのブレスがメルが先ほどまで掴まっていた木を焼き払った。
 その様子を見ることもなくメルは一心不乱に走る。
 「アァァァァ――ッ!!」

 『いいか、メル。どんなに硬いドラゴンでも、背中より腹のが柔い。狙うんならそこを狙いなさい』

 それは師匠の言葉だった。

 ドラゴンはブレスのために上空を向いていた。
 ブレスは吐き切った。
 だが、ドラゴンが首を戻すより早く、メルはドラゴンの懐に潜り込んだ。
 「アァァァァ――ッ!!」
 咆哮し、手にした刃を思い切り振り上げた。

 「――ガァァァァアアアアッ!!」
 柔らかなドラゴンの体表をメルの刃は容易く切り裂き、血飛沫が上がる。
 ドラゴンは悲痛な咆哮を上げた。
 「……やった」
 血飛沫を浴びながらも、ドラゴンの真下から抜け出す。
 「やった」
 ドラゴンの体がよろけるのを見る。
 「やった――――ッ!!」

 メルが勝利を覚えた瞬間だった。
 意識の外からの強い衝撃がメルを襲った。

 メルの体が軽々と宙に浮く。
 ゆらりとメルの視界の陰にドラゴンの長い尻尾が映った。

 直後にまたしても強い衝撃が、今度は背中に襲った。
 「ガッ――!!」
 メルの体が木に叩きつけられたせいだった。
 強烈な痛みがメルの小さな体の中で暴れる。
 全身の力が抜けていく。
 視界が揺らぎ、意識が朦朧とする。
 当たりの赤が自分の血なのか、ドラゴンの返り血なのかわからない。
 耳も上手く聴こえない。
 ドラゴンが咆哮しながら大口を開け、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
 ――動けない。


 ドラゴンの大口がいよいよ迫り、死が訪れる、その直前。

 「――メル!?」

 夢か幻か、メルの耳に自分の名を叫ぶ声がおぼろげに響き――。
 ――次の瞬間に直前に迫っていたドラゴンの頭が容易く切り落とされた。
 倒したドラゴンに見向きもせず、声の主がメルに駆け寄ってくる。
 手にはよく見知った剣。
 ――あれはお師匠様の作品だ。

 「――い!! メル!! だ――じょ――か!?」

 駆け寄った青年に優しく抱きかかえられる。
 僅かに残った視界が人間の青年の顔を捉えた。

 「あ……――。クウヤお兄さ……――」

 意識が途切れた。


~~~~

 「――ん……」
 目が覚めるとベットに寝かされていた。
 体を起こそうとしたが、全身がひどく痛み、体に力が入らない。
 そういえば、大森林の奥に入ったのだった。
 ボーっとしてうまく動かない頭で何とか記憶を掘り返す。
 
 部屋の中は暗かった。
 ドアの向こうの明かりが僅かな隙間から漏れている。
 窓の外ももうすでに薄暗がりで、半日以上眠っていたのだろう。
 
 きっとひどく怒られるだろう。
 メルの頭の上の大きな耳はぺたんと縮まる。
 禁止されている大森林の奥に入り、更にはドラゴン(正確にはその幼体)の相手を子供一人で挑んでしまった。
 命が無くなる寸前だった。
 師匠はきっとひどく怒ってくれるのだろう。

 ドアの開く音が聴こえた。
 落ち込むメルの耳がピクリと動いた。
 ドアの向こうからの光が部屋を照らした。
 人影が二つ。
 「あぁ、メル……。起きたのかい?」
 「お師匠様……」
 師匠は心底安心した声を出した。
 その声が余計にメルの罪悪感を深める。
 師匠と顔が合わせられなくて、視線を動かすと師匠の奥の人影と目があった。
 「よぉ、メル。間に合ってよかった」
 「クウヤお兄さん……」
 人影はメルを救った世界最高の剣士である『剣の勇者』であった。
 師匠の方を再び見る。
 自然と視線が合った。
 師匠が心配しているのがそれだけで分かった。
 「怒ら……ないん……ですか……?」
 師匠に心配をかけてしまった。
 それだけでメルは泣きそうになってしまう。
 「…………」
 師匠は何も言わなかった。
 メルは下唇を噛んでから、口を開く。
 「メル、悪いこと……しました……。ダメだって……言われてたのに……、大森林の奥に行きました。……そのせいでお師匠様に……心配を……かけてしまいました」
 言い終わって、ダムが決壊したように涙が止まらなくなった。
 込み上げる嗚咽を堪えられない。

 ひどく泣くメルの頭を師匠は優しく撫でた。
 「みんなを本気で止めなかったのは悪かった。でも、メルはみんなを救うために奥に行ったんだろう?」
 師匠の言葉にメルは小さく頷く。
 それだけでメルの小さな体には痛みが走るが、それでも頷いた。
 「それで、みんなを救うために戦ったんだろう?」
 頷く。
 「怖かっただろう? 痛かっただろう?」
 頷く。
 「……それなら私はメルに怒れないよ」
 師匠は微笑んでメルの頭を撫でた。
 「メルが無事でよかった」
 
 メルの泣き声は家中に響いた。

~~~~

 「メルは?」
 「アンタの持ってきてくれた回復薬を飲んだら、また寝てくれたよ」
 メルの部屋から鍛冶師が出てきた。
 鍛冶師は暖炉に薪を数本放り投げてから、先に居間に戻っていた『剣の勇者』――クウヤの対面に座った。
 大きなため息を吐いた。
 「バァさん、メルには随分優しいんだな」
 特に茶化す意図ではないのだろう、クウヤの視線は窓の外に向いていた。
 「……今回は肝が冷えたよ」
 鍛冶師も素直に答えた。
 鍛冶師にとってメルは弟子でありながら、いつの間にか娘や孫のような存在になっていた。
 大切な家族が傷つけば、こちらも気が気でならない。
 
 暖炉にくべた薪が燃える音だけが部屋に響く。
 
 「もし――」
 「ん?」
 「もし、アンタや私だったらきっと、メルみたいな行動はしなかっただろうね」
 少なくともメルのように、自分の命を投げ出すような戦い方はしなかっただろう。
 他人を救うために、メルは自然と体が動いたのだろう。
 それはきっと――――

 「クウヤ、お前しばらくここに滞在するんだろう?」
 「……まぁ、ジジイの剣のメンテナンスがあるし」

 『剣の勇者』は虚空から剣を召喚した。
 無骨なつくりの飾り気のない剣。
 現代で打たれた剣でありながら聖剣となった鍛冶師の最高傑作であり、元々は鍛冶師がクウヤの師匠のために打った一振りであった。
 「大森林にドラゴンが出るんなら、村のギルドから依頼も来るだろうからしばらくは動けないかもな」
 世界を救った、世界最高の剣士は口角を上げた。
 「じゃあ、……そうだなメンテナンス代をまけてやろう――」
 鍛冶師もまた口角を上げた。
 「――代わりにメルに戦い方でも教えてやってくれないか?」

                                 完

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