ライフインホワイト 12

 項垂れていた彼女が顔を上げた。
 きっと泣きたいのは今も同じだろう。
 それでも綾瀬さんは苦笑を浮かべてくれた。
 「ふふふ……」
 別に冗談だと捉えてくれていい、実際俺にとっても半分以上は質の悪い冗談なのだから。
 今、この場で綾瀬さんが前を向くために力になってくれるなら、それでいい。
 「だから、大丈夫です」
 綾瀬さんの肩から手を離すと、彼女は立ち上がってくれた。
 「宇野さんって頼もしいんですね」
 そう言った彼女の肩はまだ小さく震えていた。
 並んで立つとよくわかる。
 俺よりも彼女の身長が低いことが。
 そんな彼女が立ち上がってくれたのだから、絶対に助け出してみせる。
 心の中でそう覚悟を決めて、拳を握った。
 さて、とは言っても問題はどうやってここから逃げるか、ということだった。
 相手がどんなやつなのか、ここにいる敵の人数が何人なのかということすら全く分かっていないのが現状だった。
 綾瀬さんの方を見た。
 きっと綾瀬さんは現状について何も理解できていないだろう。
 どういう経緯を辿って、こんなところに監禁されることになったのか知らないが、おそらくすべてが突然のことだっただろう。
 しばらく綾瀬さんを眺めていると彼女は不思議そうに首を傾げた。
 どうやら見過ぎてしまっていたかもしれない、慌てて顔を逸らしてしまった。
 顔を逸らすと扉が目に映った。
 この部屋に一つしかない扉だ。
 こういう時は先入観を持ってはいけない。
 近寄り、試しに一応ドアノブを回してみるが当然開くことは無かった。
 改めて扉を観察してみる。
 決して厚い扉、というわけではないだろう。
 取り付けられた金具を見てみても頑丈な物というわけではなさそうだ。
 思い切り体当たりなり、蹴り飛ばすなりを繰り返せば壊せるかもしれない。
 が、それをしてしまうと確実に大きな音が鳴ってしまうわけで、そうなれば敵に脱出を試みているということが簡単に知られてしまう。
 脱出するには悪手だろう。
 扉の事は頭の片隅に置きつつ一度諦めて、今度は窓の方を調べてみよう。
 窓は薄いガラスの張られたもので、こちらも破壊するのは容易だろう。
 こちらも音が出てしまうので安易に破壊するわけにもいかない。
 一応窓を左右に引っ張ってみたり、上下に動かしてみたがびくともしない。
 羽目殺しの窓のようだった。
 諦めて窓の外を見る。
 やはりこの施設は山の中に建てられた建物のようで、窓から見える範囲は森に囲まれていた。
 それから。
 「……なるほど」
 眼下にはこの窓と並行するように深い崖が走っていた。
 監禁するには持ってこいの施設だろう。
 いくら窓があっても眼下がこの景色であれば脱出しようなどとはそう簡単に思うまい。
 左右も確認するが、この施設は思っているよりも大きなもののようで壁が見える程度だった。
 これ以上、大した発見は無さそうだったがそれでも何とか情報が無いかもう一度注視しようとしたところで肩を叩かれた。
 横を向けば綾瀬さんが隣に来ていた。
 「宇野さん、アレを見て下さい」
 綾瀬さんが窓の外の一点を指差した。
 素直に彼女に従い、彼女の指した森の中の一点を見た。
 風に揺れる木々のほんの僅かな隙間に灰色が見え隠れする。
 「ん……。あれ……道路か」
 更に凝視すると、やがてそれが道路であることが分かった。
 「その、ここに監禁されてから他にやることがなかったので、外を見るしかなかったんです。それでも、見つけられたのはあの道路ぐらいで……」
 綾瀬さんが申し訳なさそうに言葉を切った。
 「ああ、いや、ありがたいよ。俺一人だったら見逃してたかもしれない」
 ほんの小さな発見かもしれないが、この状況ではどんな情報でも無いよりあった方がいい。
 綾瀬さんに感謝を告げて少しだけ考える。
 道路があるということはやはりというべきか、当然というべきかここまでは車で連れてこられたわけだ。
 これはなかなかありがたい情報だった。
 つまり、この施設から出れば道路があって、どこかの街に繋がっているわけだからだ。
 相手は『協会』が積極的に介入してくるようなFP能力者を抱えているらしい。
 もしそのFP能力者が移動系や空間系の能力者であれば、世間からあらゆる意味で隔絶された場所に連れてこられていたという最悪の状況もありえたわけだ。
 目に映った僅かな灰色が、そうではないということを伝えてくれている。
安堵のため息すらこぼれた。
 ここから出てしまえば生存率は高いだろう。
 チラリと綾瀬さんを見る。
 窓の外をぼうっと眺めていた。
 彼女の体力と俺のダメージの問題は大いにあるわけだ。
 しかし、ここに関しても『協会』が積極的に動いているという事が大きな追い風だった。
 俺たちが動けば、当然敵側も動くだろう。
 そうなれば『協会』も場所の特定をしやすくなるはずだ。
 『協会』は巨大な組織で探索系の能力者も多く抱えている。
 その過程で『巻き込まれてしまった一般人』である綾瀬さんと俺も難なく保護してくれるはずだ。
 敵から逃げたとしても二日も三日も山の中を歩くような羽目にはならないだろう。
 随分と楽観的な判断だ、と自分でも苦笑してしまいたくなるような考えではあるが今はその希望にすがるしかない。
 展望は考えたもののやはり問題はこの部屋からどうやって脱出するか、ということになりそうだった。
 敵に見つからない事が最善ではあるが、まったく気付かれなければ『協会』の救援も望めない。
 救援がなくとも、どこか街なり民家なりまでたどり着ければなんとかは出来る。
 しかし、その街や民家までの距離は全く分からない。
 数キロも歩けばあるかもしれないし、数十キロ歩いてもないかもしれない。
 今の状態では流石に成人女性である綾瀬さんを連れた状態で数十キロも歩けないだろう。
 そうなればやはり程よく敵にも動いて欲しいところだ。
 夜闇に紛れての脱出は基本ではあるが夜の森は普通にしていても危険度が増す。
 ならば、今すぐ昼のうちに逃げるべきなのかと問われれば答えを容易には返せないだろう。
 考えるべきことは相変わらず多かった。
 思考を回したせいかくらりと不意に力が抜け、後頭部の痛みが主張を始めた。
 綾瀬さんに悟られないように小さく息を吐いた。
 一休みしないと体がもたないかもしれないな、そう思った。
 身体の力を抜いて壁にもたれ掛かるように床に座ろうとした――その時だった。
 「!!」
 コツコツと扉の前の廊下を歩く音が聞こえてきた。
 綾瀬さんの方を見る。
 綾瀬さんは相変わらず外を見たままで音には気づいていないようだった。
 俺は力を入れなおして綾瀬さんを背中に隠すように立った。
 「ど、どうしました……?」
 突然の出来事に綾瀬さんは何が起こっているのかわからないようだったが、俺にはそれにこたえている余裕がなかった。
 足音は扉の前で立ち止まり、鍵をいじる音が聞こえ、そして扉が開かれた。
 姿を現したのは髪の毛を金に染めたいかにもガラの悪い男。
 男はじろじろと首を回すようにして部屋の中を見た後、窓際で綾瀬さんを背後に護っている俺を威圧するようにガンを飛ばしてきた。
 「おう、小僧。死ななかったようだなぁ」
 挑発する様な男の言葉。
 なんと言葉を返すべきか、刹那の時間で思考する。
 「おかげさまで」
 返したのは挑発を返すような言葉だった。
 「あぁ!?」
 そんな挑発的な返しをされるとは思ってなかったのか、男は低い声をあげ簡単に挑発に乗ってきた。
 思考したのは、男がFP能力者かどうかということと制圧できるのか、ということだった。
 扉は開いたままになっている、男の仲間の足音は聴こえない。
 恐らく敵は一人。
 脱出を図るにはこれ以上ない好都合な機会であった。

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