時に雨は降る 12

 直後、突如として訪れた静寂は、まるで空間ごと時間が止まってしまったかのようだった。
 先程までの激しい攻防が嘘だったかのように、全てが停止しているようだった。
 轟音を響かせていたはずの機体の動きは不自然に停止している。
 辺りに響くのはしとしとと降り注ぐ秋夜の雨の音と、そして直前までの動きとはうって変わってゆっくりと歩く錬樹の足音だけ。
 俄然有利であったはずの女は機体の中で動けずにいた。
 物理的にも、精神的にも。
 スポーツ公園の中にあるはずのだだ広い駐車場の空間は、正しく時雨錬樹が飲み込み、支配していた。
 「さて、と」
 この場の支配者は、死地であるはずの間合いを悠然と歩き切り、機体に触れられる位置までたどり着くと呑気に口を開いた。
 「王手、ってとこかな」
 『……』
 これ以上の抵抗が出来ないと確信してしまう程に、そこは時雨錬樹の間合いだった。

 『明鏡止水』は有り体な言葉で言えば奥義だ。
 両の掌の上で極度に圧縮させた王力場を作り、それらを衝突させることで爆発的かつ強大な王力振動を作る。
 作り出した王力振動はその空間に漂う全ての王力を吹き飛ばし、支配する。
 結果、発動者自身の王力を除きその場の王力は全ての機能を失う。
 この術は『雨天の一撃』と同じように時雨家の父が創り出し、残した術の1つ。
 尤も、他の術と違い開発した当の本人が発動まで漕ぎ着けたのは最期のその瞬間であった。
 本来は、そんな理論上での奥義だった。
 その奥義を、時雨錬樹はカウンターとして発動させる。
 顔に軽薄な笑みすら浮かべながら。
 いつだって、どのタイミングであったって発動出来た。
 最初の邂逅でも、ドローンの弾幕でも、機体との衝突でも、一回目の砲撃でも。
 肉体強化と自身の剣で戦ったのも、『雨天の一撃』で拳を拮抗させたのも、龍の召喚と操作も、つまるところは暇潰しだった。
 時雨錬樹はいつだって、自分が面白ければそれでいいのだ。

 思い知ってしまった絶望的な実力の差は、強烈な脱力感を持って未だ機体の中にいる女を支配していた。
 目の前の画面に映る時雨錬樹は苦笑すら浮かべていた。
 「抵抗しても意味が無いけれど、出来るなら最後まで抵抗した方がいいかもよ?」
 もちろん、そっちの方が面白いから。
 錬樹の提案に、しかし女は。
 『……』
 唇を動かすことすら叶わなかった。
 数秒、機体が一切反応を返さないことを待ってから錬樹は溜め息を吐いた。
 それから、いつの間にか自身の剣を握っていた右手を掲げるように挙げた。
 女は確かに動けなかったが、思考はほんの少し働いていた。
 だからこそ、機体を動かさなかった。
 王力の操作を奪われ、置物と化した機体だがその装甲は最新鋭のプレートを幾重にも重ねた特別製だ。
 女がハッチを開かなければ開く訳がない。
 そう、思いたかった。
 「『雨天の斬撃』」
 錬樹は掲げた剣を術を纏わせて振り下ろした。
 強く強化された斬撃は激しい音立てながら女を守っていた装甲を切り裂いた。
 ハッチが不自然に開き、搭乗していた女は雨に濡れるアスファルトへ弾き出される。
 もう、為す術は無かった。
 来ている衣服に水の染み込む嫌な感覚を覚えながら女は地面に手をつき、顔を持ち上げた。
 そこには女を見下ろす錬樹の顔があった。
 相変わらず軽率な笑みを浮かべていたが、刃を握るその右手は無慈悲に掲げられていた。
 とっくに王力の支配は解けていた。
 幾ら錬樹といえど『明鏡止水』の効果はそこまで長く持続しない。
 それでも、女はそれ以上身体に力を入れることも、ましてや王力を操ることなど出来る訳がなかった。
 「結構楽しかったよ。久しぶりだったし。こんな手合いの相手は中々出来ないしね」
 女を見下ろしながら錬樹は口を開く。
 「それじゃあ」
 最後の言葉を掛けて、錬樹は掲げた刃を煌めかせた。
 「バイバイ」


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