時に雨は降る 1
時雨
しぐれ【時-雨】
秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「ま、待ってくれ……!」
夜の闇の中にあっても一層暗い、どこの街にもある様な路地裏の暗がり。
男の手には銃が握られており、周囲には複数の薬莢。
この国においては異様ともいえる光景であったが、その男から発せられたのはなんとも情けの無い声だった。
男は必死だった。
正しく命の危機を感じていた。
男は握りしめた銃身と視線を路地裏の出口の方へ向ける。
「『待ってくれ』と言われたってねぇ……。君がそうなのと一緒で僕も仕事なのだけれども」
路地にある電灯のせいか、男には逆光で声の主の表情はよく見えなかったが決して高くない身長と声の質からおおよその年齢の見当は出来た。
少年。
おそらく高校生ぐらいの少年だった。
「あ、アンタが相手だなんて知らなかったんだ……!」
男から見れば二回り近く年下であろう少年に向かって必死に叫ぶ。
それは正しく命乞いであった。
男の命乞いに少年は少しだけ口角を上げてわざとらしく顎に手を当てた。
「……ふむ。僕が相手だとは思わなかった、ね」
「そ、そうなんだ! アンタと敵対する気なんか最初からなかったんだ!」
「つまり、少なくとも僕が何者なのかは知っている、と」
「あ……!」
男は仕舞ったという表情を浮かべてしまう。
相対する少年にはその間抜けさが滑稽で仕方がない。
「僕は今日たまたま『能犯』から依頼を受けて『一般人』らしい君を追っていたわけだけれども。そうか君は僕を知っているわけだ」
「いや……、あの……」
ドッと冷や汗が背中に滲むのを男は感じていた。
相変わらずの逆光で少年の表情は見えなかったが、彼が笑っていることだけはなぜか伝わった。
「依頼人は?」
急激に温度の下がったような声が少年の口から出てきた。
当然来るであろう問いであったが、男はそれに答えることは出来ない。
「……」
「……」
数秒の沈黙も生死の懸かっている男にとっては永い時間に思えてしまう。
ツゥと男の頬を汗が伝い、地面に落ちた。
「ま、いっか」
パァンと少年が当然手を叩いた。
男はビクリと背中を揺らす。
いい、とはどういうことだ? ここで殺してしまうということか?
男の脳内を最悪の想像が駆け巡る。
男は知っている。
目の前の少年はやるときはやる。
その必要があるときに容赦をする様な人物ではない。
おそるおそる少年の方を見た。
少年は玩具に飽きたかのように、呆気なく男に背中を向けていた。
意味が分からない。
敵対していた相手に背中を向けている。
何かの作戦か、はたまた何かの意図があるのか。
混乱する男をよそに少年は路地の方へ歩き出す。
「あ……」
男が何かを言う前に少年は路地の方へと消えていった。
残った男はどうすることも出来なくて、がくりと膝から崩れ落ちた。
街の喧騒の中を少年――時雨錬樹(しぐれ れんき)は紛れる様に歩いていた。
先程まで命のやり取りをしていたなどおくびにも思えないような軽やかな足取りだった。
顔にはうっすらと笑みを浮かべている。
必要な情報は大体手に入った。
男を逃がしたことで『能犯』の方々には文句を言われるだろうが、それ以上のことは無い。
『能犯』とは協力関係であるが、錬樹は『能犯』の所属ではない。
つまり、どうあっても自由に動ける。
それならば――
「盤面の駒は多い方が面白いからね」
周囲の喧騒に溶かすように次代の魔王は呟き、笑った。
1/
赤月市は少々特殊な地理と歴史を持った街だ。
人間界にあって魔界、天界それぞれへとつながるゲートが同時に存在する土地というのは世界的に見ても十数か所という特別な土地であり、そのうちの一つが赤月市である。
そのような地理的特性から赤月市は古くから異界に開けており、更にはその関係から裏の世界、非日常の世界とも密接に関わってきた歴史を持っている。
こうした経緯から赤月市には様々な世界の要人が集まる。
時雨錬樹も正しくそうした要人の一人であった。
時雨錬樹は暁高校に通う二年生にして現生徒会長、そして何より重要な彼の肩書が第二魔界次期魔王。
並みいる魔王候補を打倒した錬樹は今や正式に次の王座に就くことが決まっている。
暁高校には生徒会室の奥に生徒会長室が設けられている。
決して大きくはないその部屋の中央に設置された事務机と椅子。
机の上には大量の資料や書類の山。
時雨錬樹はその間でつまらない事務作業を行っていた。
「……はぁ」
いくら錬樹と言えど、つまらない単調な作業を続ければため息の一つも出る。
ため息を吐いて、それから窓の外を見上げた。
先程まで秋晴れだった空を雲が覆い始めていた。
数秒そうしてぼうっとしていた時だった。
コンコンと扉を叩く音が錬樹の耳に届いた。
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