ライフインホワイト 13

 「おいてめぇ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」
 男は火が点いたように激昂しながらこちらににじるように近づいた。
 俺は、冷静に相手の一挙手一投足に注意を払う。
 読み間違えれば勝利はない。
 背後の綾瀬さんが震えているのがわかる。
 彼女も護らなければならない。
 思考が積み重なっていく。
 やがて男は俺の前に立ちはだかった。
 決して低くはない俺よりも身長はあるようだ。
 男は俺を見下ろすようにして睨みつけてきた。
 対する俺も退かない。
 男の睨みを気にしていないかのようにわざと口角を上げてやる。
 それだけで男は予想通り青筋を立てた。
 「何笑ってやがんだ!!」
 男が俺の胸倉をつかみ上げる。
 身長差のせいもあって踵が浮き上がり、首が軽く締まる。
 呼吸が苦るしくなるが、それでも口元は動かさない。
 余裕だ、という笑みを浮かべ続ける。
 実際、思った以上に思考は冷静さを保っていた。
 男はFP能力者ではない。
 FP能力者と敵対し対面したときに感じるジリジリとした嫌な威圧感を感じなかったからだ。
 それから、男がおそらく素人に毛が生えた程度の人間だろう事もわかった。
 身のこなしが裏の世界で生きている人間の洗練されたそれとは似ても似つかないものだからだ。
 今の俺にはかつての俺のような能力は無いし、ブランクもある。
 しかし幾度となく死線をくぐってきた記憶は本物で、そう簡単に薄れるようなものでもない。
 だから確信があった。
 目の前の男に殺さるようなことは無い。
 だから、笑みを浮かべて挑発を口にしてやる。 
 相手の隙を作り出すため。
 「あんた大したこと無さそうだな」
 俺の言葉が終わるのとほぼ同時、俺の顔面を衝撃が襲い、体を地面に弾き飛ばされた。
 予想通り殴られた。
 思ったよりも男の膂力は強かった。
 明確にダメージを感じるが、男の拘束から逃れられた。
 すぐに体勢を立て直し、男が次の行動に移る、その一瞬の隙を突く。
 「ガァ……!?」
 ――心は動いたが、体はそうではなかった。
 身体に力が入らなかった。
 おかしい、そう思った瞬間後頭部がまた激しく痛み出した。
 どうやら敵を前にした興奮で俺は自分が手負いであることをどこかにやってしまっていたらしい。
 地面に倒れたまま目の前が歪みだす。
 マズい!!
 男の姿が歪んだ視界の中に映る。
 勝ち誇ったような、にやついた下卑た笑みを浮かべていた。
 追撃を予想したが男はこちらに近寄らず、腕を自らの後ろにまわした。
 何をするのかと思えば、男は自分の腰から鈍く光る凶器を取り出した。
 「おい、小僧コイツが何かわかるか?」
 「……っ!!」
 それは銃だった。
 この国では一般的に持ち歩くことも、入手することも許されていない武器。
 それは男の殺意の塊と言っても過言ではないだろう。
 「昨日は殺し損ねたからな。今日こそ殺してやるよ」
 男の笑顔が狂気と殺意に歪んでいく。
 銃を向けられたことは幾たびもあるが、ここまでのピンチは思い浮かばなかった。
 歪む視界と後頭部の痛みを無視するように、もう一度いちから体に力を入れなおすが、そうすぐには動けない。
 男の指先がトリガーに触れた。
 ――間に合わない。
 体の力は戻っていない。
 瞬時に跳ね起きて、銃弾を避けるような芸当は出来ない。
 男の銃口は確実にこちらの体を照準していた。
 男の動作から銃に関しても素人丸出しではあったがこの距離なら外すことは無いだろう。
 なにより、男の狂気に染まった目が銃弾を外さないことを予感させていた。
 そして、それらを予測し確信できる程度にはどうやらこういった状況は未だ俺の体と精神を染めているようだ。
 思考を諦観が支配しだす。
 男がその顔を笑みで一層顔を歪めた。
 「やめてください……!!」
 死を覚悟した、その瞬間だった。
 横合いから綾瀬さんが飛び出し、男の腕を半ば跳びつくような形で抱え込んだ。
 予想していなかった、先ほどまで俺の後ろで震えていた彼女が飛び出すとは。
 綾瀬さんが体を張ってまで作ってくれたその隙に、大きく息を吐いて、大きく息を吸った。
 「テメェ……!!」
 先程まで余裕の笑みを浮かべていた男の顔に怒りが戻る。
 綾瀬さんを振り払うように掴まれている腕を大きく振る。
 綾瀬さんは恐怖に耐える様に目を瞑り必死に男に抵抗する。
 が、男女の膂力差。
 それも曲がりなりにも暴力の世界に身を浸す男となんの変哲もない内気な女性では相手にならず、簡単に振りほどかれてしまう。
 「邪魔してんじゃねぇぞ!!」
 男は怒号と共に振りほどいた綾瀬さんの側頭部を銃床で思い切り殴りつけた。
 綾瀬さんの軽い身体はそれだけでいとも容易く吹き飛ばされ、糸が切れたように地面に倒れてしまう。
 行ける。
 助けられる!!
 「テメェから殺してやろうかァ!!」
 男は怒りに任せ、銃身を意識を失った綾瀬さんに向けた。
 その大きな隙に、俺は体を跳ね起こし、一息に男の背後に迫った。
 「やらせるか!!」
 男が振り向くよりも早く、地面を蹴り跳び上がる。
 声と音で男が俺の行動に気付き振り向こうとするが、遅い。
 思いきり勢いを付けた俺の飛び蹴りが男の背中を完璧に捉えた。
 「がァ……!?」
 目まぐるしく動いた状況に男は何が起こっているのかも理解できていないだろう。
 想定外の攻撃に男は完璧にバランスを崩し、地面に倒れ込んでいく。
 対して俺は着地を綺麗に決め、すぐに体勢を立て直す。
 お互いに意識がまだある。
 勝負はついていない。
 ならば、バランスを崩している者と体勢を立て直している者のどちらが素早く攻勢に出られるか、それは明白だった。
 俺は再び短い距離を駆け、姿勢を崩したままの男の背中に飛び乗る。
 体の正面側から倒され、背中に乗られている男はもう抵抗も出来ないはずだ。
 俺は拳を握りしめ、握力を込める。
 「昨日、やってくれたのもお前だったんだな」
 「待ッ……!!」
 「今度はお前がッ、眠っとけ!!」
 男の後頭部に向けて斜めに入るように渾身の一撃を放った。
 俺の拳がまともに当たったこととその勢いで男の顔が地面に叩きつけられたことでゴッという鈍い音が部屋に響いた。
 一瞬の硬直を挟んで男の体から力が抜けていく。
 意識が消えたのだろう。
勝負が着いた瞬間だった。
 静寂が戻った部屋の中で俺は大きく息を吐いた。
 勝てた。
 その安心感に気を抜いてしまいそうになるが、まだ早い。
 良くない状況はまだまだ続いている。
 先程のような失態を回避するため呼吸に意識を回しながら立ち上がる。
 これだけでも気持ち的には怪我が気にならなくなった。
 地面に倒れたままの綾瀬さんの方へ歩み寄る。
 「綾瀬さん……、綾瀬さん……?」
 反応は無かった。
 慌てて呼吸や心拍を確認するがそちらには問題は無くどうやら意識を失っただけのようだった。
 ひとまずは安心した。
 綾瀬さんの側頭部から流れている血を拭い、また息を吐いた。
 護るつもりが助けられてしまった。
 長く監禁され衰弱した状態で戦ってくれたのだ、おそらくしばらく意識は戻らないだろう。
 少し考えてから気合を入れて綾瀬さんを背負い、立ち上がった。
 「痛ッ……!!」
 後頭部の痛みと視界の歪みが戻り出すが呼吸を整えて何とか鎮める。
 時間は恐らくないはずだ。
 地面に倒れたままのチンピラ崩れの男の単独犯なわけがない。
 つまり、先ほどの戦闘音が敵にバレている可能性が高い。
 無理を押してでも一刻も早くこの施設から出るのが得策だろう。
 背負った綾瀬さんに気を付けながら開いたままの扉から廊下に出る。
 倒れている男の側に落ちていた銃が目に入った。
 逡巡したが手には取らなかった。
 命を奪う武器はどうにも合わない。

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