チクタクチクタク。
 午前一時を過ぎたファミリーレストランは妙に静かで、近くの壁に掛けられた時計の音がやけに気になった。
 チクタクチクタク。
 時計の針の音に合わせて無意識に指でテーブルを叩いていたことに気付いて、やめた。
 天井を見上げて息を吐く。
 さて、どうしたものか。
 コップの中の氷が解けてカランと軽い音を立てた。
 視線を戻す。
 目の前の二人も視線を空に向けて未だに悩んでいる様子だった。
 議論は相変わらず平行線。
 三人よれば文殊の知恵というが実際にはそうでもないのかもしれない。
 なんだか思考もどうでもいい方向に走り出してしまった。
 「……俺、ドリンク取ってきますね」
 目の前の二人に「行ってらっしゃい」と見送られて、気分転換を兼ねて席を離れた。

 こんなにも頭を悩ませることになったのは深夜のファミレスに入る一時間ほど前、まだスタジオで練習していた時のふとした話題が原因だった。
 ライブに向けた通し練習をしていた。
 通し練習とはいってもまだきちんと活動し始めて間もないバンドでは演奏曲は五曲しかなく、それを数回繰り返していた。
 流石に続けて同じ曲を練習すれば飽きる。
 飽きれば集中力も途切れてしまう。
 ということで俺たちは休憩していた。
 それぞれ広くはないスタジオの中で椅子に座り、スマートフォンをいじったり消音したギターを弾いたり水分補給をしたりしていた。
 そんな時だった。
 「そういえばさ」
 ドラムに座ったまま休憩していた久我先輩が口を開いた。
 それはきっと暇つぶしの話題提供だったのだろう。
 「申し込むのにバンド名いるんだけど、今回はどうする?」
 「あー……どう、しましょうか」
 困ったように先輩の方を見ても先輩は首傾げるだけだった。
 俺のギターを弾いていたジェームズ・ハウアーの方に視線を移す。
 ギターを弾く手を止めたジェームズも首を傾げた。
 俺達はバンド名を決めていなかった。
 本格的に活動し始めたのは俺が大学生になった最近ではあるが、結成してからであれば一年近くの時間が経っていた。
 俺の受験もあり、活動が出来ていなかった。
 とはいえ、その間に全くライブを行っていなかったわけでもなく数回程度は行って来た。
 その間もバンド名は無かった。
 なんとなくしっくりとくる「これだ」というものが俺もジェームズも先輩も思い付かなったので保留ということにして適当なバンド名、例えば俺の名前「風島清景」で活動したりしてきた。
 今までは、活発に活動していなかったのでそれでもよかったのだが……。
 「流石に、本格的に活動するつもりなら付けた方がいいすよね」
 「それはそうだろうなぁ」
 先輩は困ったように同意した。
 先輩もアイデアは無いのだろう。
 これから活動を活発にするなら観客に我々を覚えてもらう必要もあるだろう。
 そうなるとバンド名が無い、適当につけて頻繁に変えるというわけにはいかない。
 それに、だ。
 「メンバー誘うのにもバンド名あった方がいいだろうしな」
 ジェームズが先程まで弾いていた俺のギターをスタンドに戻し、今度は自身のベースをスタンドから持ち上げた。
 ジェームズは本来ギタリストなのだが、俺がギターボーカル、久我先輩がドラムをやっている構成上現在はベースを担当してもらっている。
 そのためベース担当のメンバーをもう一人増やす予定だった。
  「ちなみにベーシストの候補は見つかったか?」
 ジェームズの言葉に俺は無言で首を横に振った。
 大学がスタートしてまだ一週間程度。
 俺は最初から久我先輩の所属している軽音サークルに参加している。
 その中にベーシストの候補が居ないか探しているのだが、まだ俺と同じ一年生の学生はまだサークルに参加していない事が殆どなためもあって中々うまくいかない。
 当然、上の学年の先輩方も見てはいるのだが、失礼なことだが自分のバンドに入って欲しいと思うような人物は居なかった。
 「ジェームズも先輩も候補居ないんですか?」
 「全く居ないというわけではないが……」
 ジェームズは候補を思い浮かべるように空を見た。
 先輩も同じようにそうしていた。
 数瞬経って、2人の視線が再び俺に集まった。
 「でも、メンバーを決めるのはお前だ、清景。清景が決めなくちゃ意味がない」
 ジェームズに同意するように先輩も首を縦に振った。
 久我先輩もジェームズも俺の数倍、数十倍楽器が上手いし、人を見る目もあるはずなのだがバンドを左右するような事柄に関しては俺の決定を促してくる。
 期待されているのがわかるので当然嬉しさはあるが、責任が重い。
 俺は困って苦笑いを浮かべる程度しか出来なかった。
 「……責任が重すぎて時間かかるかもしれないんだが……」
 「別に構わないよ」
 「そうそう、決まらないならその間3人で活動すればいいさ」
 先輩もジェームズもカラカラと笑う。
 どこまでいっても凡人に過ぎない俺は2人の器の大きさに助けられている。
 俺もつられて笑った。

 「それで、バンド名の話なんだけれど」
 「あ、そうでしたね」
 話が逸れてしまった。
 軌道修正するように先輩が話を戻した。
 バンド名を決めかねているという話だ。
 「『清景バンド』でもいいけど、まあそろそろ一旦でもいいから決めたいところだな」
 「ライブの度にこういう話し合いするのも面倒だもんなぁ」
 「じゃあ、候補は?」
 俺が訊ねると2人はうーんと唸った。
 数秒間スタジオに沈黙が流れる。
 「……それも清景が――」
 「流石にそれまで俺が全部考えるのは嫌だが?」
 「ジョークだよ、ジョーク。候補ぐらい俺らも考えるさ。なあ、センパイ」
 「考えてはいるんだけど……。うーん……」
 今度は三人して空を見て再び唸った。
 どうやら誰も良い候補は思い付いていないらしい。
 時計を見る。
 休憩を始めてからそれなりの時間が経っていた。
 俺は椅子から立ち上がり、ギターを持ち上げた。
 「このまま悩んでても解決することじゃないし、とりあえず練習しよう」
 「お、やる気だな。やろう」
 「そうだね。あとでご飯でも食べながら考えようか」
 特に反論されることもなくすぐにそれぞれ楽器を構えた。
 再び練習が始まった。
 

 練習を終えたのは二三時過ぎ。
 当然、俺達三人がファミレスに飛び込んだ時間も同じくらい。
 つまり俺たちは二時間近くこうして頭を悩ませていた。
 結局、いい案は一つも出てこない。
 スタジオ帰りということも手伝っていい加減、眠くもなってきた。
 ドリンクバーに設置されたコーヒーマシンのボタンを押し、カップにコーヒーを注いだ。
 席に戻る。
 相変わらず二人は悩んでいる表情だった。
 席に着き、コーヒーに口を付けた。
 ブラックコーヒーの苦みが眠気を覚まし途端にアイデアが浮かぶ、なんていうことは特になくぼーっとしだした頭を左右に振った。
 「……そろそろ帰るか?」
 いい加減、これ以上考えても仕方ないと思ったのだろうジェームズがそう提案した。
 「そうだな」
 特に異論はない。
 なんせ眠い。
 先輩も特に異論は無いようで「帰るかあ」と背中を伸ばした。
 「あ、でもライブのエントリー明日の昼までなんだが……」
 「あー……」
 「あー……」
 俺もジェームズも残念なように唸り声をあげてしまった。
 先輩が苦笑いする。
 「とりあえず、また適当に決めておくか」
 ジェームズが言う。
 「また俺の名前か?」
 「嫌なのか?」
 「まぁ、それは……」
 「あー……、じゃセンパイ、よろしく」
 「うえっ……!? 俺?」
 驚いたように体の跳ねた先輩に俺とジェームス二人の視線が刺さる。
 その視線の中で苦しむように顔を歪めた後、唸って、俯き、顔を上げた。
 それはきっと先輩的に苦肉の策だったのだろう。
 「……ありかなしかわかんないけど、適当にエントリーして良いなら清景のあの最初の曲名でいいんじゃないか?」
 「じゃあ、今回はそれで決定で」
 「え、そんな適当でいいのか? 清景、いいのか?」
 「なんでいいっす」
 「えー、適当……。まぁ、じゃあとりあえず今回はこれでエントリーしよう」
 「今度また考えようぜバンド名」
 「そうしよう」

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