ライフインホワイト 16
「クソッ!!」
「な、なんだアイツ!!」
『先生』は余裕を崩し思わず叫んでいた。
社長は想像外の出来事にうろたえていた。
彼らは俺たちの行動の一部始終をしっかり見ていただろう。
身を投げる様に窓の外へ飛び出し、崖下の地面へと真っ逆さまに落ちていく姿。
地面に激突し命を落とすはずだった俺たちが空中で一人の女性に捕らえられる姿。
そして女性が成人男女二人を軽々と抱えたまま重力に逆らって空中を上昇し、崖の上にフワリと舞い降りる様に着地した姿を。
焦燥と困惑。
先程までの余裕はもうすでに二人には無かった。
女性は俺たちをゆっくりと地面に寝かせた。
「――……なんで気付いた?」
「昨晩、キヨに耕輔が何事かに首突っ込んでるから気にしてやってくれ、と連絡を受けた」
「……アイツ」
深くは追及してこない幼馴染は、しかしきちんと心配してくれていた。
「それで相談にでも乗ってやろうかとお前に連絡を入れてみてもちっとも返信が無い」
「あー……」
「なるほど、スマートフォンを操作できないような危険な状況だな、と察して今朝から探してここまで来たわけだ」
そして、目の前のもう一人の幼馴染も清景と同じように心配してくれたのだろう。
二人とも、相も変わらず俺の性格と行動パターンをよく把握してくれている。
「さて、耕輔。手負いのところ申し訳ないがもう少しだけ頑張ってくれ。そこの彼女を頼んだ」
気を失ったままの綾瀬さんの方を差して俺に託すようにそう言った。
実際にはそんなもの必要ないだろうに、目の前の彼女なりの気の利いた言葉なのだろう。
俺がしっかりと頷くと、幼馴染は立ち上がった。
「なに、すぐに終わる」
呟いて、笑って、それから俺たちを助けた幼馴染――琴占言海は敵の方へと振り返った。
たったそれだけで、この断崖際から崖を挟んだ向こうの施設までの空気が変わる。
「っ……!!」
それは『先生』が唾を呑むほどの緊張感があった。
何もかも失ったはずの俺が、それでも持っていた些細な、けれど大切で強靭な二つの絆の内のもう一つ。
俺の幼馴染、琴占言海は紛れもなく史上最強のFP能力者だ。
言海は無言のままスッと崖の向こうの『先生』を指差した。
「トゥーリア・グレイス、だな。『協会』の第三級指名手配『運び屋』トゥーリア・グレイス」
「……よく、知っているな。光栄だよ。『五天』に顔と名前を憶えられているなんて」
『先生』――トゥーリア・グレイスは苦々しく皮肉を漏らした。
対する言海はトゥーリアの名前を確認したあと、何やら思案して、それから再び口を開いた。
「ふむ、なるほど。何事か『協会』が騒いでいると思ったが、貴女が原因か」
「だとしたら何か?」
「いや別に。気になっていたというだけだよ」
言海は少し笑って、息を吐いた。
「どちらにせよ、戦闘は避けられないだろう? 貴女は仕事だし、私もここで見逃すわけにはいかない」
「……今更アナタが『協会』に恩を売るような必要は無いと思うが?」
「そうは言っても私も『協会』所属のFP能力者さ、見逃してしまえば世間体がよろしくなくてね」
冗談めかして言海が言う。
それから言海は改めてトゥーリアを見つめた。
強い意思を宿すその双眸で。
「それに、貴女たちは私の親友を傷つけた。黙って引き下がってやれるほど私はまだ大人じゃない」
決して棘のあるような言葉ではなく終始柔和な、世間話でもするような言葉であったが、その言葉には確かに強い意思が含まれていることがよくわかった。
トゥーリアは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた後、大きくため息を吐いた。
それから体を一度脱力させて、軽く構える。
対する言海は相変わらずの自然体。
まるでこれから戦闘をしようとする人間とは思えない程に超然としていた。
それ以上、両者に言葉は無かった。
戦闘が始まることをその場の誰もが理解していた。
不意に風が吹いた。
背後の森の木々が揺れ、カサカサと小さな音を立てる。
それを合図にして戦闘が起こった。
それは時間にすればほんの僅かな時間の戦闘であった。
そのほとんどを何の能力も持たなくなってしまった俺もあちらで先ほどからずっと呆けたままの社長も、そして名の知れたFP能力者であるこの戦闘を始めたトゥーリア自身も認識することはできなかっただろう。
正しく神速。
人の域を容易く踏み超える琴占言海のみがこの戦闘の一部始終を知覚したのだろう。
俺に見えたのは先にトゥーリア・グレイスが攻撃を行ったところ。
俺には正体もわからなかったあの能力だ。
ドアを吹き飛ばした時のような強力な突風と床に穴をあけた銃撃のような攻撃。
それらを同時に行ってきていたのだろう。
一瞬のうちに崖を挟んだこちら側に到達し脅威となるはずだったトゥーリアの(おそらく)全力だったはずのFPによる攻撃は、しかし阻まれた。
言海は何もしていなかった。
不動のまま、ただ自身の有り余る強大なFPによって障壁としただけ。
本来であれば何にも作用しようのないはずのそれがいとも容易くトゥーリアの攻撃を減退させ、言海の後ろのこちら側にはそよ風すらも届くことがなかった。
おそらくトゥーリアは自らの攻撃が全く届かなかったことすらも知覚しなかっただろう。
次の一瞬、先程まで不動であった言海の体が揺れたと思った時にはもうすでに崖を飛び越え、トゥーリアと社長のいる施設の中にまで到達。
さらに次の一瞬の内にはその二人の意識を刈り取っていた。
一秒にも満たないような攻防があった。
俺が意識できた時にはもうすでに事件は解決していた。
呆然としている俺に言海は呑気に施設から手を振っていた。
「しかし、間に合ってよかった」
敵を倒した言海は施設の中に消えていった。
10分程そうして姿を消して、そしてまた姿を現した。
他に潜伏している人間がいないか索敵でもしてきたのだろう。
姿を現した言海はもう一度俺に手を振った。
俺が手を軽く振り返してやると敵二人を抱え、一跳びでこちら側に戻ってきた。
それから意識の無い二人を地面に横たえるとそう口にした。
「ん? あぁ、助かったよ」
あまりの出来事を目の前にした直後だったので一瞬何のことかわからなかったが、俺と綾瀬さんを助けられてよかった、ということだろう。
改めてお礼を述べて、息を吐いて後頭部を掻いたところで激痛が走った。
「痛っ……!」
完全に後頭部を怪我していることを忘れていた。
というか、今までは何とか立ってきたがこの怪我本当に大丈夫なのだろうか?
冷静になればあまりにも怖い。
「あぁ、待て待て安静にしておけ。けがをしているんだから。ほれ、見せろ」
言海はそんな俺の様子に呆れてため息を吐きながら近寄ってきた。
後頭部を見せろ、と指示され大人しく首を曲げて後頭部を見せた。
「おぉ、綺麗に打撲痕になってる」
「なんだ? ヤバいのか? もしかして俺死ぬのか?」
「安心しろ。流石耕輔、直前で綺麗に衝撃を逃がしたな。骨折やえぐれているわけではないよ。血が出ているのと脳震盪が完全に回復してないだけだと思うぞ」
ほぉ、と名所観光でもするかのような気軽な感じで言海はそう言った。
随分とお気楽な様子な言海に怒るべきなのか安心するべきなのか、なんとも反応に困る。
俺が反応に困っているうちに言海が俺の後頭部に手を当てた。
「っ……!」
一瞬痛みが昇ってきたが段々とひいていく。
治療能力か何かなのだろう。
先程より気分もマシになっていた。
「私は専属の回復能力者じゃないからあとでちゃんとした人に見てもらえ」
「あぁ」
「それから、ほれ」
言海が何かをこちらに渡してきた。
素直に受け取る。
長方形の大小が2つ。
スマートフォンと財布だった。
「あ!」
「探してきといてやったぞ。あと、この鞄はあちらの女性のもの、でいいのか?」
言海の方を見れば女性モノの鞄を抱えていた。
それは確かに綾瀬さんが大学に持ってきているのを見たことがあると思われるものだった。
「たぶん、そうじゃないか? 俺ら以外には捕まっている人間はいなかったんだろう?」
「うむ。あと一人、気絶している気配しかなかった。耕輔が倒した相手なんだろう?」
「よくわかるな」
「まぁ、それくらいは……」
言葉を切って、言海は鞄を地面において丁寧にお辞儀をした。
俺の返事が曖昧だったので一応中を探って本人の物か確認をするのだろう。
「……そういえば、綾瀬さんは大丈夫なのか?」
「うん? 彼女か? 彼女なら気を失っているだけだよ。若干の栄養失調は見られるが外傷も別段なし、耕輔より大丈夫そうだぞ」
「……良かった」
やっと、やっと大きなため息を吐けた。
ずっと気に掛かっていた事だった。
そんな俺を横目に見て言海は呆れたように笑った。
「耕輔の性根は結局変わらんな。だが、あまり無茶に無策で突っ込むのはやめるんだな」
「わかってるよ」
「せめて誰かにきちんと連絡しろ」
「はいはい」
「……今の耕輔のことを心配している人間だってたくさんいるんだからな、覚えておけよ」
「……」
言海は俺の態度にも怒らない。
窘めるようなそんな優しい言葉に、返す言葉が見つからなかった。
しばらく沈黙が続いた。
沈黙のうちに言海は鞄の中身を改め出した。
俺は先ほど受け取ったスマートフォンの電源を入れる。
「ふむ、あった。えーと、『綾瀬早紀』。彼女の名前で間違いないか?」
「え、おう。間違いないぞ」
「よし。あとは『協会』に連絡を入れるとするか」
言海はどうやら財布の中から学生証を取り出して確認したようだった。
事件は解決した。
冬の寒空の元、言海の言葉がそう告げていた。
空を見上げてみた。
雲が少しづつ増えているようだった。
もう2日もすればクリスマスだ。
今年は雪が降るかもしれない。
なんだかちょっとだけ楽しみになって、笑った。
「む」
「なんだ、どうした」
財布を綾瀬さんの鞄に戻そうとしていた言海の動きが不意に止まった。
何事かと見てみれば、言海は財布を戻した代わりのようにゆっくりと何かを鞄から取り出した。
それは紛れもなく、目の前にいる幼馴染の著作物であった。
「……もしかして彼女、私のファンか?」
「あー……」
「なんだこれは。ど、どうしたらいいと思う?」
「いや、それは知らん」
「あ、握手か? 握手しておいたらいいか?」
「綾瀬さん気絶してるしなぁ」
先程まで余裕がなくなり何故か慌てだした言海。
俺はその様子に笑いそうになりながら、どうしたらいいのか思い付かなくて、また寒空を見上げてしまった。
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