時に雨は降る 3

 「え?」
 沈黙を経て、暁斗はもう一度呆けた声を出した。
 「目標の人は見つけたけど、逃がしちゃった」
 錬樹は悪びれた様子もなく、もう一度律儀にそう口にした。
 今度は流石に錬樹のことあの意味を受け止め、暁斗は苦い顔をした。
 「それ、大丈夫なの……?」
 『能犯』と暁高校生徒会執行部は確かな繋がりがあるわけで、その『能犯』からの依頼を反故にして大丈夫なわけがない。
 錬樹がそれを当然わかった上でやったということはわかっているが、それでも質問せずにはいられなかった。
 暁斗の質問に、錬樹は相変わらず呑気にコーヒーに口を付けてから答えた。
 「大丈夫じゃないねぇ」
 あんまりにも気にしていない声でそんなことを言うものだから、暁斗も苦笑してしまった。
 「後で怒られちゃうよ? 錬樹君」
 「そうかな? 『能犯』が僕を怒る事なんて出来ないと思うけど?」
 『能犯』と暁高校生徒会執行部は密接な繋がりがある上権力も規模も大きな法人と学生では上下も自然とはっきりしてしまう。
が、『能犯』と時雨錬樹個人では話が違う。
 時雨錬樹の後ろ盾は『能犯』ではなく、第二魔界という大きな存在だからだ。
 生徒会長としてはアレコレと仕事の依頼やらを受けるが、個人としては突っぱねることも可能。
 そんな微妙なパワーバランスの上に立っている錬樹を『能犯』も扱いかねているのだが、その実力と立場、そして性格から手を離すわけにもいかない。
 錬樹はそれをよく知っているからこそ、そういうことをする。
 暁斗はそれをよく知っている。
 だから、また苦笑するしかなかった。
 二人してコーヒーに口を付けて、窓の外を見た。
 天気はすっかり変わってしまったようで、今にも降り出しそうな分厚い雲が空を覆っていた。
 「……なにかあるの?」
 不意に暁斗が呟くように言った。
 錬樹は普段から面白半分に行動する人間ではあるが、基本的にその行動にはなにかしらの筋や理論がある。
 錬樹のような人間以外には理解できないものではあったりするけれど。
 だから、今回もきっとそれがあるのだろうと暁斗は思う。
 暁斗の言葉に、錬樹はわざとらしく肩を竦めて見せた。
 「さぁ? どうだろうねぇ」
 ニヤリと口角を上げた錬樹を見て、暁斗は小さくため息を吐いた。
 どうせ、これ以上何か訊ねたところで答えてはくれないのだろう。
 「……あんまり無茶しないでね」
 「暁斗君は相変わらず優しいね。無茶なんかしないよ。よく知ってるだろう? 君なら」
 「どうだろう。錬樹君と知り合ってから一年半程度だから」
 「ん。そういえば、そうだったね」
 錬樹は手に持ったコーヒーカップを煽り、残りのコーヒーを飲み干した。
 「さて、さっさと残りの仕事終わらせて帰ろうか。雨も降り出しそうだ」
 「そうだね」
 「暁斗君を長時間拘束してると灼奈さんに本気でキレられちゃうし」
 「あはは。その時は何とか灼奈さんを宥めてみるよ」
 笑い合って、それからそれぞれの仕事に戻った。

2/
 「クソっ! クソっ、クソっ……!」
 男は逃亡していた。
 必死の形相で、ボロボロの体を引きずるようにして、這う這うの体で。
 一時は助かったはずだったはずの命が、また容易く脅かされていた。
 少年に見逃された時点で追手はしばらく来ないものだと思っていた。
 それがこのざまだった。
 見通しが甘かった。
 男は大した能力など持っていない。
 『相手』のことを考えれば、それでも生き延びている今の状況が奇跡的だった。
 握りしめた銃身がやけに重たい。
 今すぐにでも投げ捨てたいが、身を護る手段はこの銃程度しかない。
 身を休めなければ回復することも出来ないが、休めている余裕などない。
 だから、この体を引きずり回すしかないのだ。
 何処に行けば助かるのか、どこまで行けば助かるのか。
 プランなど疾うに瓦解している。
 いや、或いは男の考えていた事など最初から何もないようなものだったのかもしれない。
 「クソッ……!」
 口から出てくる言葉はその程度だった。
 体中が痛み、軋む。
 遂に、のろのろとした歩みが止まりかけた、その時だった。
 ブゥンと低い音が男の耳に届いた。
 「ッ!! クソッ! クソォオオッ!!」
 それは男にとっては、正しく死神の足音だった。

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